English Grammar In Use
1985年のfirst editionの19版(1993年購入)と2012年の4th editionの14版(2016年購入)。
for intermediate learners。中級者向け。
サイズがB5のノートより大きくなったが、厚さは1.8cmから1.5cmに。
しかし、ページ数は328ページから380ページに増えている。
内容も絵が増えカラーとなっている。
章立ても骨組みは同じように見えるけど、いろいろ変わっている。
例えば、現在進行形の未来としての意味が、そこだけ、未来の章へ移動していたり。
初版に慣れた人には「うーん」となるかも知れない。
ただ前置詞の章が増えており、このあたり、前置詞に苦しむ人たちがネイティブ以外に多いということで、日本人だけではないのだなと。
自分的には昔のほうが、ハンディでシンプルなので好きなのだけど、それは昔の人間だからだろう。また、いろんな事項に対して、最初のエディションの方が定義ははっきりしている。これは、もうプログラムなんかもそうだけど、コンプレインに耐えられるようにとした結果で。。これも人によるんだろうけど、自分的には初版のほうが見晴らしが良くて好きなんだよなぁ。まあ、自分が大雑把な性格だからなのだけど苦笑。
赤本(for elementary learner)も塾の生徒に見せるために買ったのだけど、こっちの青本のほうが断然詳しいし、情報も多い。昔のfor intermediate learnersは結構難しい単語が散見されたのだけど、単語も昔より簡単な単語を使っているし、いまは、中学生3年生くらいの語学力があればこっちのほうからやってもできるんやないかなあと。
ご参考まで。
『リップヴァンウィンクルの花嫁』
見始めた。
今回はちょっと趣向を変えて、一定時間ごとに感想をブログに書き加えていくカタチで。
岩井俊二監督。1963年生まれなので、岩井さん年上だけど、ほぼ同世代。
リップバァンウィンクルと聞いてニック・ボックウィンクルを思い浮かべる。
全日本プロレスが地上波で視聴率が結構高かった世代である。
パチもん。大阪では「偽物の商品」をそう呼ぶ。
いろんなところで彼はこの映画をそう思わせようとしているフシがある。
まず、光。計算されすぎている。
日本人を撮った映画には『彫り』がないと昔から言われていた。平たい顔族なのでしょうがないのだが、蓮實重彥やら村上龍やらがあまりにそのあたりのことを批判したこともあった。間接照明の使い方が下手であるとか、コンビニの光もそうだけど、すみからすみまで白々と照らされていないといけないと思っている民族なのだとか。
最近の映画は、そういうこともあってなのか、そのあたりかなり意識して照明が工夫されているのだが、それにしてもあまりにも「工夫している」感がわかりやすく、これは、わざとそうやっているなと。
結納交換の場面では、セリフがあからさまに録音されている。籠った音感をわざと出していて。これはやっぱりと。そして随所に見られるちぐはぐな感じ。演技、カメラ、照明。ネットとリアルの世界の綱引きが行われている日常といい。。これはもう明らかに狙ってやっている。
三谷幸喜はあてがきが非常にうまくて、真田丸なんかもそんな典型的な三谷脚本だと言われているけど、岩井俊二も恐ろしくそうで。しかし、岩井俊二氏の場合は、その暴露の仕方がかなりなアレだったりする。蒼井優も奥菜恵も最初っから本性が見破られていたわけで。スワロウテイルの大塚寧々なんて、「あぁ、この人こういう人だったのか」と、なるほど確かにと。
そして黒木華である。ううーむ。蒼井優のアレ扱いなわけかと。そう勘ぐらずにはいられない。そして綾野剛のうさんくささ。
うーーむ。この映画の主題は現代の「虚」のあり様をいろんな見せ方で見せようとしているのだと。今26分13秒まで観た。
つづく。
参考:岩井俊二監督最高傑作!『リップヴァンウィンクルの花嫁』を観る前に知ってほしい10のこと
ニック・ボックウィンクル(ウィキペディアより)
評価:リック・フレアーに先駆け、バディ・ロジャースの流れを汲むヒールの「ダーティー・チャンプ」のスタイルを貫いた。劣勢になるとわざと凶器攻撃を見舞ったり、セコンドを乱入させるなどして反則負けを選び、AWA世界ヘビー級王座を防衛することがほとんどだった(AWAではピンフォール勝ち、ノックアウト勝ちもしくはギブアップ勝ちでないと王座は移動しなかった)。
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寝てました。あー、失礼しました。わかりにくかったですね。一定時間というのは、映画の進行の一定時間ごとを意図してます。ブツ切れで観ているので、このシリーズ、しばらくかかります。。乞うご期待。
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自分が初めて黒木華をみたのは、テレビ東京『まほろ駅前番外地』の第8話「恋敵の婚約指輪、隠します」。このときは、強烈な自己中女の役。恋人を知人の女に取られ。その男がその知人のために買った婚約指輪を、「あれは私のために買った指輪だ」と言い張り、女が恋人のところへ引っ越す際に、作業を頼まれた多田便利軒に押し掛けて、どさくさに紛れてその指輪を奪おうとする話で。
まあ、女が持つ非論理性と自己中なあり様を具現化したような役柄で。自分的にはこの印象が濃い。それは、「これは、このコの地だ」と直観的に信じたからでもあるのだけど。
だから、真田丸で観ようが、この映画で、状況に振り回されるかよわい女の役をしようが、いまの言葉で言うと、「あー、ね」という感じで観てしまう。
まあ、そういう偏見もありつつのこの感想だったりもする。
そのあたり、差っ引いてこのブログは読んでもらったほうがいいのかもしれない。
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一気に観終わってしまった。果たして、どの時点からだろう。
上記のリンク先からわかるように、
『リップ・ヴァン・ウィンクル』とは、アメリカの小説家ワシントン・アーヴィングによる短編小説、および主人公の名前です。
その物語は、“主人公が森の中に迷い込んで、見知らぬ人と酒を飲み交わしているうちに眠ってしまい、目を醒ますとあたりに周りに誰もいなくなっていた。主人公が家に帰ると、20年もの時が経っていた”というもの。“アメリカ版浦島太郎”とも呼ばれる作品なのです。
そんな話である。この映画は、2つの世界から成り立っている。
生きている実感がない「現実」と生きている実感に富む「非現実」。それを結んでいるのがネットであり。黄泉への切符、あるいは心の現実を実感できるおとぎの国への切符を手に入れることができるのがネット。クリックするようにして、それらは簡単に手に入るのだけど、簡単に手に入るものほど恐ろしいものはないと。
2つの結婚式。その間に横たわる賽の河原。「ここはどこですか?わたし、どこへいけばいいですか?」。その賽の河原を挟んだ2つの世界を行き来できるのが、あるいはその橋渡しをするのが綾野剛の役どころである。だからうさんくさく、そしてうさんくさい。限りなくうさんくさい笑。そして血が通っているのである苦笑。うーん。
これ以上書くとネタバレするのでやめておきます。
自分がもっともコワかったのは、その現実と非現実のちょうど真ん中のライン上で起こっている出来事のすべてで。。いや、ほんとコワかった。おしまい。
ボムファック
結成25周年を迎えるBOMB FACTORY!
25周年YEARの幕開けはセルフカヴァーアルバム!
リード曲ではないが隠れた名曲をリレコーディング!!
名曲WHEN THE WIND BLOWSのMVが完成!!
BOMB FACTORY 25YEARS “COVERED TOUR 2016″
09.03(sat) 熊谷 HEAVEN’S ROCK
09.18(sun) 長野県飯田文化会館 “焼來肉ロックフェス”
10.01(sat) 米沢 LIVE A_R_B
10.22(sat) 下北沢 SHELTER
11.04(fri) 名古屋 CLUB ZION
11.11(fri) 八戸 ROXX
11.12(sat) 仙台 BIRDLAND
11.25(fri) 大阪 ZEELA
12.10(sat) 下北沢 SHELTER “TOUR FINAL”
会話
人見知りをしない。おせっかい。というのが自己分析。
だが、どうしても会話をするときに構えてしまう相手がいる。
ライブ会場で、気軽に話しかけれる人とそうでない人。
普段の生活ではそこまでではないと思うのだけど、ライブ会場では
気軽に話しかけられる人には、割りと辛らつなことを面と向かって言っていて。
それが自分のお節介な部分。お節介な人って、基本甘えん坊でしかない。
もっとも相手が甘えられる器の人だと思っているフシはある。
構えてしまう相手っていうのは、多分、本音だけで話をしなくちゃいけない相手で。
そうするとどうしても愛していながら、いずれ血の雨が降るのを予期している。
だから話しかけられない。
こないだ数十年ぶりに小学校の同窓会に行ったけど、小学校の時から同じ年を経た相手とは血みどろになっても、どこかはわかっている安心感がある。
椿三十郎にこんなシーンがある。奥方を助ける為にばっさばっさと人を切る三十郎(三船敏郎)に対して、奥方は「あなたはギラギラとして、まるで抜き身刀のようですね。よーく切れます。でも、
30代のときはこのセリフになるほどなと思った。しかし、今は違う。というか、お互い鞘に入っていなくてもよい、それが許される関係というのもあるのだと。たとえ、よく切れる刀をお互い持っていたとしても。
抜き身同志でもお互い傷つかない。そんなふうになれる年が来る。まあ、傷つくんだけど、許せるから死なない。そんな安心感が彼らや彼女たちにはあったのである。長く生きてみるもんだ。小学校の同級生というのは貴重な存在だ。
大人になってからも、特定の誰かとそういう関係を築ける人生を歩んでいる人は幸いである。
私という人間を一番理解しているのは、母親だと信じている。母親が一番私を愛しているからだ。愛しているから私の性格を分析している事が無用なのだ。 私の行動が辿れない事を少しも悲しまない。悲しまないから決してあやまたない。私という子供は『ああいう奴だ』と思っているのである。世にこれ程見事な理解というものは考えられない。(小林秀雄 『人生の鍛錬』)
これはお互いに理解しているということではなく。理解をする必要などない場所があると。そういうことで。愛することは、相手を理解することではない。それらは、まったく別のものということであろう。
血の雨がふることを予期しているようなレベルでは、まだ自分は浅いんだろうな。
ロックンロール
さて、ライブを見に行ったのであった。
JAMMIN' presents「音、酒ぶ。」
〜OHIO101「SECOND HELPING TOUR」〜
オハイオのツアーと銘打ってるのだが、新譜を出したのは7年前だそうだ。しかも、昨日、京都から、東京に帰る前にライブ会場はないかと名古屋のライブ会場を探し、急遽ブッキングしてもらったとか。
OPEN / START * 17:00 / 17:30
ADV / DAY * ¥2000 / ¥2500
※入場時別途ドリンク代¥600必要
<LIVE>
RAT
OHIO101
LAZYgunsBRISKY
The LOVERS
Geode
古き良きロックンロール。その流れを汲む系。
Geode→The LOVERS →OHIO101→RAT→LAZYgunsBRISKY
久しぶりに近鉄電車に乗って名古屋まで。
車窓から不思議なものを見た。
広場で電車に手を振る少女。
あぜ道で子豚を散歩させる夫婦。
家の屋根まで炎をあげて野焼きするおっさん。
隅から隅まで真っ茶にサビている牛舎。
ヘドロの池に佇むサギ。
どの国にもカオスはある。愛すべき混沌。
見たいのは、綺麗なものだけじゃねえのさ。

