象の夢を見たことはない -35ページ目

やがて哀しき

かつて村上春樹といえば、ビールと芝生だったのだけれど、同じようにスパゲティとアイロンでもあった。混乱するとスパゲティを茹で、アイロンをかけるわけだ。

 

何かが伸びてスッキリする。絡まっているものがほどける。だから、スパゲティは固めに茹でられる。それが彼の短編の効能だったのだろう。

 

ときどき、スパゲティを茹でていると電話がかかってくる。それが異世界への入り口。そしてスパゲティは茹ですぎでダメになる。ネコは行方不明になる。

 

 

 

なかなか本が読めない。自分の時間にアイロンをかけて伸ばす。そんな時間ってどうやって作ってたんだっけか。

too much

La La Land を見始めたが、音やら色やらがいろいろうるさくてわずらわしい。

 

 

日曜美術館のルドン特集で、鴻池朋子さんが「色に引きずられるとほんとに表現したいものが見えなくなる」と言っていて、まったくその通りだと思ったのだが、なんだかツーマッチなのだ。みな、この色は処理できているんだろうか。細部も含めてすごいのだが、あーって感じでストーリーが入ってこない。ミュージカルだからか、あるいはミュージカル自身、ツーマッチでヒラリアスあることが本質なのだろう。うむむ。

 

 

 

sketch of pain

マイルス・デイビスの映画を見ていて、sketch of spainって、

sketch of painになるのかと気づく。

 

LAZYgunsBRISKYのLUCYちゃん。帰国子女で子供のころに海外だったので、英語が子供の言葉だとからかわれるとかどっかで言っていたのだが、こないだA-Chaを聞いてて、ドリームの発音が「あー」と気づく。

 

春は別れの季節で、それは3月。

塾で教えてると巣立っていく、子供たちが切ないのよね。

だからいろいろ今さら気づくモードな3月。

 

気づかないふりで過ぎるのを待つのはもういいかげんやめよう。

だけど、すべてはタイミングで、そのときを逸するともう二度とないのだ。

人生すべては一瞬。

 

さて、桜も咲き始めたし、来月はライブに行こう。

 

 

 

 

 

子供の時間 大人の時間

子供のころ、時間は一つにつながっていたように思う。

すべてが自分。

 

大人になるにつれて、時間が分断されてしまった。

それと同時に自分そのものの時間を歩めなくなったようだ。

すべてどこかが自分ではない。

そういうものなんだろうか。

しょうがないからそれを運命と呼んでいるんだろう。

 

今のところつながっていた自分を取り戻せる自信はない。

ない。

やれやれ😥

 

 

あけましておめでとうございます

「わくわくする」というのと「ホッとする」。

 

「恋人」と「奥さん」っていうのがその在り様。

という二幸。

 

二兎を追う者は一兎をも得ずという諺があって、それに対して青山二郎は「一兎を追うのは誰でもするが、二兎を追うことこそが俺の本懐なのだ」と言ったとか言わないとか。

2進法的なモノの見方の解決方法として、アウフヘーベンっていうのもあるけれど。

人間はモノのように単純ではなく、「わくわくする」というのと「ホッとする」っていう両方を持った相手を無意識に選んでいるような気もするのよね。案外。

 

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。