象の夢を見たことはない -34ページ目

ストーリーとスター性

ローザンヌ国際バレーコンクール

 

同じ人がクラッシックとモダンを踊る。総合点で評価。

ただし、誰がどういう点をつけたがが出ないのが前時代的。

 

クラッシック部分は見損ねた。モダン部分を見たが、

①技術は表現に現れてこその評価

②技術そのものの難度の評価

未来的には②だけど、①というのはある種の天才性だと思う。

 

フランダースの犬は①のような気がする。

欧州では、負け犬の死だそうだ。

表現というのは、ストーリーと等価なのだと思う。

ストーリー性に対する価値観の差なのだろう。

 

絵を見る場合、穏やかな日常の近影と遠くの遠雷。

それぞれの部分の時間の流れが違う。

そういう流れを身体表現としてどう表していくかという点で自分は見ていた。

予感というのは大きな意味でのストーリーである。

それは未来へ続いている。

 

単体の技術は感覚的だが、ストーリーは感情的なものだ。

欧州では、技術の習熟は幼少期、ストーリーの習熟は大人になってから。

そう考えているからの評価だったのかもしれない。

 

ただ、全体的にみて、技術とかストーリ性に対する評価を、スター性という評価が塗り替えていた。

予感というのは大切だ。

スター性というのは、そういうものなのだろう。

その先へ。

 

 

色彩の時間

何を描いて、何を描かないか。

 

画家の描いた一本の線に戦慄した自分は、最初、「描かないこと」がポイントなのだと思っていた。

しばらく、いろんな絵を眺めて、いろんな人の考え方を聞いているうちに、

描かなければ、描かないことが現れないことに気づいた。

 

子供のころ、白い紙に絵を描いた。

小学生になると、紙に白い部分があることに怒られる。

何かはそこにあるのだから、描かなければならないのだと。

そうして、白い紙は斑模様の紙となる。ただそれだけ。

色がついただけで、それは色のついた紙になるだけだ。

 

大人になった自分は、そんな絵にバッテンをつける。

大きな×を描く。すると、画面が4つに分かれる。

分かれたとたんに、それらの部分を見る順番ができる。

絵が、ストーリーになり、時間軸が現れる。

 

だが、よく見るとその絵の中で一番生き生きしている部分は、バッテンの線そのものだったりする。

怒りに任せて、無力感にさいなまれて、あるいは破壊衝動に任せて。

ある部分では力強く、ある部分ではかすれたその線。

確かに何かがあるように思える。

自分が画家の描いた一本の線に戦慄したのは、画家の、感情になる前のなにかの揺らぎのようなものをその一本の線の中にみたのだろう。

 

モネの絵。視覚混合と言われる網膜内で混合されたとき、ただの点の集まりが絵になって見えるというアレは、その網膜上の色の混合とその錯覚を発見したことが発明なのではなく、輪郭を描かないことによって、その色彩混合によって、見るものがそれをどう捉えるかというときに、見る人の目の動きによって、その絵の中に、あるいは見る人の中に時間の揺らぎが発生することであって。

 

意図ではなく結果。

実は、そういうもので世の中の大部分は成り立っているのかもしれない。

 

ぼーっと生きてんじゃねえよ

とNHKが言っていた。

 

獣道を見ている。

 

 

彼女の名前は、伊藤沙莉。彼女を好きになった理由は僕自身にもわからない。

いや、はっきりしている。ヤンキーだからだ。しかも、平成のマイルドヤンキーではない。昭和のヤンキーだからである。

 

というのはうそで、NHKの朝ドラで出ていてなかなかのパンチがあったので、気になっていたのである。

この朝ドラの前のとと姉ちゃんヤンキー枠は川栄李奈だ。平成のマイルドヤンキー枠である。そんな枠などない。だが、彼女も好きである。

 

ちなみにべっぴんさんは見ていない。

ヤンキーが出ていないから。

うそである。端的に見なかっただけだ。

 

なお、私の好きなバンドはLAZYgunsBRISKYである。

 

 

彼女の名前は、LUCY。彼女を好きになった理由は僕自身にもわからない。

好きなことに理由なんてないのだ。

 

ただ、「ぼーっと生きてんじゃねえよ!」と言われたいのかもしれない。

ほとんどMなのかもしれない。

平成の終わりに

カーネーションは、話題になっていたのだが、そのときは全然知らなくて、今NHKの朝ドラを見ているのはそのかたき討ちみたいなところがあり。

 

それが再放送でいまやっている。

再放送情報「カーネーション」

結局これも最初の6話ほど見逃してしまったが。

 

そのせいか否か、向田邦子まで引っ張り出してまた読み始めた。

昭和は遠くなったなあ。

 

 

ところで『半分、青い』、村上春樹がノーベル賞云々っていうのは、昭和の話ではありえないのよね。

気になって検索かけたら、いろいろ出てきているみたい。

ちなみに小道具は結構粗くて、その商品はその時代のデザインとしてはおかしいってのは結構ある。

衣装もそう。

あーいうのは他の映画のを使いまわしできないのかな。ストックできないんだろう。

昭和何年のものとか。そのうち平成のものも手に入らなくなるのか。

プラスチックなんて劣化するし、作るしかないにしてもそれも不可能だ。

我々は流れの中にいて、その流れの中にしかいられない。

 

 

占いの崩壊

「デートの予定が3日後以上だと、日が近づくにつれてだんだん行くのがめんどくさくなってきて…。でも、実際行ったら楽しめるんですよ」

とさんま御殿でフィギュアスケートの村上佳菜子が言っていたので、

 

「おおっ、こいつは俺と同じだ。B型牡羊座だ」

 

と思って彼女の生年月日を調べたら、誕生日は11月7日のさそり座。

血液型はA型だったとき。

 

あるよね~