マレーシア ドリンク編
郷に入れば、郷に従えっていうのは、旅先だとあたりまえというか、それをしないと楽しめないですよね。
結局そこの土地の人が、そこの土地に一番適合しているわけで…、とはいえ、なんで「こんなものを?」なんてのもよくあります。
基本わからん食い物や飲み物は試してみるのですが、マレーシアの缶ジュース系はいろいろよくわからなかったです。まあ、だいたいどこの国でもわからんものはありますが。。

これはメジャーなやつ。サーシです。なぜこんな味のものを?サロンパスの味がします。サロンパス食ったことはないですが。

これは、小麦草ドリンク。草汁とかいてあるので「ヤバイか?」とおもったけど、なんてことはなく。
普通に飲めます。甘いです。青くさい味はしません。でも、なんでしょ?やっぱり青汁みたいなもんなのかなあ。緑の液体です。
「KLCCにある、フレッシュジューススタンドでは、生の小麦草をその場でジュースにして売っていて」らしいです。ジューススタンド、狙い目
です。だれの狙い目なのかは知りません。

これは、大豆の汁ジュース。うそ。豆乳です。豆乳?そう、ベースは豆乳らしいのですが、なんか甘いっす。日本の豆乳のような味はしません。でも、どっかそういう味だったりします。
とりあえず、このあたり缶ジュースとして普通に売っています。値札見てもわかりますが、セブンイレブンに置いているので売れ筋なんだと思います。
が、まったくそそられる味ではないところが、マレーシア人恐るべしです。
なにを恐れたらいいのかはわかりませんが。。ああ、甘さだ。みんな結構甘いんですよ。南国の人は甘いモノ好きだったりします。
あ、そういや、おやつの食べ物もあまかったです。まあ、どこでも、おやつは甘いか。
こんなものを食べました。

なぞのピンクパンと「ういろう」もどき。なぞのピンクパンは、まんじゅうっぽい味。どうも本来は仏用らしく。旅先で、知らなかったとはいえ葬式饅頭食うのもどうかと思いますが。。だって普通に売ってるし。
この極彩色のやつは、たぶん「クエ」だとおもうのですが、ガイドブックに載ってるようなのは見つからず、こんな感じで売ってました。食感は「ういろう」です。「ういろう」知りませんか?名古屋に来てください。いますぐに。
あと、得たいの知れない飲み物がこのサイ汁。

どうも水っぽいのですが、水より高い。しかも量もちょびっとです。サイズはオロナミンCくらい。
実はこれ、熱さましのお薬なのです。で、結構いろんなところで売ってます。
風邪ひいたときに飲むらしく、熱中症とかにも効くのかなあ。
マレーシアでうろちょろしてたとき、暑さにやられたのか、熱っぽいときがあって、言われるままに飲んでみました。効き目は…いまいちよくわかりません。でも、気持ーち、熱はさがって楽になったような気はしました。もし、そういうときがあったら飲んでみてください。
おしまい。
結局そこの土地の人が、そこの土地に一番適合しているわけで…、とはいえ、なんで「こんなものを?」なんてのもよくあります。
基本わからん食い物や飲み物は試してみるのですが、マレーシアの缶ジュース系はいろいろよくわからなかったです。まあ、だいたいどこの国でもわからんものはありますが。。

これはメジャーなやつ。サーシです。なぜこんな味のものを?サロンパスの味がします。サロンパス食ったことはないですが。

これは、小麦草ドリンク。草汁とかいてあるので「ヤバイか?」とおもったけど、なんてことはなく。
普通に飲めます。甘いです。青くさい味はしません。でも、なんでしょ?やっぱり青汁みたいなもんなのかなあ。緑の液体です。
「KLCCにある、フレッシュジューススタンドでは、生の小麦草をその場でジュースにして売っていて」らしいです。ジューススタンド、狙い目
です。だれの狙い目なのかは知りません。
これは、大豆の汁ジュース。うそ。豆乳です。豆乳?そう、ベースは豆乳らしいのですが、なんか甘いっす。日本の豆乳のような味はしません。でも、どっかそういう味だったりします。
とりあえず、このあたり缶ジュースとして普通に売っています。値札見てもわかりますが、セブンイレブンに置いているので売れ筋なんだと思います。
が、まったくそそられる味ではないところが、マレーシア人恐るべしです。
なにを恐れたらいいのかはわかりませんが。。ああ、甘さだ。みんな結構甘いんですよ。南国の人は甘いモノ好きだったりします。
あ、そういや、おやつの食べ物もあまかったです。まあ、どこでも、おやつは甘いか。
こんなものを食べました。

なぞのピンクパンと「ういろう」もどき。なぞのピンクパンは、まんじゅうっぽい味。どうも本来は仏用らしく。旅先で、知らなかったとはいえ葬式饅頭食うのもどうかと思いますが。。だって普通に売ってるし。
この極彩色のやつは、たぶん「クエ」だとおもうのですが、ガイドブックに載ってるようなのは見つからず、こんな感じで売ってました。食感は「ういろう」です。「ういろう」知りませんか?名古屋に来てください。いますぐに。
あと、得たいの知れない飲み物がこのサイ汁。

どうも水っぽいのですが、水より高い。しかも量もちょびっとです。サイズはオロナミンCくらい。
実はこれ、熱さましのお薬なのです。で、結構いろんなところで売ってます。
風邪ひいたときに飲むらしく、熱中症とかにも効くのかなあ。
マレーシアでうろちょろしてたとき、暑さにやられたのか、熱っぽいときがあって、言われるままに飲んでみました。効き目は…いまいちよくわかりません。でも、気持ーち、熱はさがって楽になったような気はしました。もし、そういうときがあったら飲んでみてください。
おしまい。
『蛇にピアス』
どうも、ドライな表現になじめない。
『蛇にピアス』を観た。

やはり、はやりのドライフィニッシュ。
もともと、刺青は社会からの逸脱であったはずなのだけれど、もはやそれは社会からの禁止に対する侵犯という意味をもたなくなって来ていて、同時に昔はウェットであったそれは、社会からのドライな浮遊をあらわすなにものかに変わってしまった。
規範や道徳なんていうものが、重みをもたなくなった世代にとって、唯一、体の痛みのみが彼らを現実世界へつなぎとめる。
なんてのが、一般的な書評なのかもしれないが。。
タトゥーだの、SMだの、舌ピアスだの淫美なものであるはずのものをドライな道具として見せてしまうという手法は、評価されるべきものなのだろうけれど。。
どうもなにか訴求してこない。
ドライフィニッシュという言葉は、先の『夜想 耽美』で松岡正剛氏が使っていたのだけれど、グラフィックデザイン界の巨匠杉浦康平氏のある手法から引用した言葉らしい。
正剛氏が耽美とは?に応えて言うには、
「どこか濡れているということですね。意識なのか身体なのか、機械なのか衣装なのか。耽美はウエットです。」
「今の人たちを見ていると、非常にドライフィニッシュなんですね。だからウエットなまま放りだすのが出来ないとは言わないけれど、非常にやりにくそうですね」と。
原作の金原ひとみの「蛇にピアス」。第130回芥川賞受賞作なのだがアマゾンの書評をみると、さんざんこき下ろされていて、芥川賞選考委員は何考えてたんだというような。。まあ、私は読んでないのでなんとも言えないのだが。
これは携帯小説とかレディコミの妄想のようなものなんだけれども、それをさもありなんとして勘違いして受け取ってしまうという、若い世代と年寄り世代の乖離を楽しむものなんだろうか?とすら思えてしまい。。それはそれで社会現象として興味深くはあるのだけれど。
邦画としてはもちろん悪くなどはない。最初の長回しのシーンとか。キャッチーだけど、そこからきちんとストーリーにつながっていく。吉高由里子なんていったいどこで見つけてきたのかと思う。小栗旬、唐沢寿明、藤原竜也なんて有名どころをちょい見せのサービスカットで使える人などいない。
その品質の割に、見たあとなにも残らない。なぜ監督があえてそういう本を選んだのか。それがなぜか不思議なだけである。
『蛇にピアス』を観た。

やはり、はやりのドライフィニッシュ。
もともと、刺青は社会からの逸脱であったはずなのだけれど、もはやそれは社会からの禁止に対する侵犯という意味をもたなくなって来ていて、同時に昔はウェットであったそれは、社会からのドライな浮遊をあらわすなにものかに変わってしまった。
規範や道徳なんていうものが、重みをもたなくなった世代にとって、唯一、体の痛みのみが彼らを現実世界へつなぎとめる。
なんてのが、一般的な書評なのかもしれないが。。
タトゥーだの、SMだの、舌ピアスだの淫美なものであるはずのものをドライな道具として見せてしまうという手法は、評価されるべきものなのだろうけれど。。
どうもなにか訴求してこない。
ドライフィニッシュという言葉は、先の『夜想 耽美』で松岡正剛氏が使っていたのだけれど、グラフィックデザイン界の巨匠杉浦康平氏のある手法から引用した言葉らしい。
正剛氏が耽美とは?に応えて言うには、
「どこか濡れているということですね。意識なのか身体なのか、機械なのか衣装なのか。耽美はウエットです。」
「今の人たちを見ていると、非常にドライフィニッシュなんですね。だからウエットなまま放りだすのが出来ないとは言わないけれど、非常にやりにくそうですね」と。
原作の金原ひとみの「蛇にピアス」。第130回芥川賞受賞作なのだがアマゾンの書評をみると、さんざんこき下ろされていて、芥川賞選考委員は何考えてたんだというような。。まあ、私は読んでないのでなんとも言えないのだが。
これは携帯小説とかレディコミの妄想のようなものなんだけれども、それをさもありなんとして勘違いして受け取ってしまうという、若い世代と年寄り世代の乖離を楽しむものなんだろうか?とすら思えてしまい。。それはそれで社会現象として興味深くはあるのだけれど。
邦画としてはもちろん悪くなどはない。最初の長回しのシーンとか。キャッチーだけど、そこからきちんとストーリーにつながっていく。吉高由里子なんていったいどこで見つけてきたのかと思う。小栗旬、唐沢寿明、藤原竜也なんて有名どころをちょい見せのサービスカットで使える人などいない。
その品質の割に、見たあとなにも残らない。なぜ監督があえてそういう本を選んだのか。それがなぜか不思議なだけである。
ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる
私たちは10年近く交渉を続け、150日間という長期の同居が許された。
だが、彼らは私たちをナプと呼び、自分たちと明確に区別した。
ナプ。
ナプとは、ヤノマミ以外の人間、あるいは
人間以下のモノ。
女がひとり、生まれたばかりの子供を弔っていた
子供のなきがらはシロアリの巣の中におさめられている。
シロアリに食べさせたのち、巣ごと焼き払うことで天に送る。
だが、子供をあやめたのは母である女自身だった。
その部族は自らをヤノマミと呼ぶ。
ニンゲンという意味だ。
NHKスペシャル|ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる
すげえぜ、NHK。さすが、やってくれる。
語りは、あの場踊りの田中泯。横浜トリエンナーレでは見れずじまいだったが。。それは、まあよくて。
おととし、マレーシアのタマンヌガラにいったとき、現地の少数民族を見かけたのだが、ていうかジャングルウォーキングで客がわっし一人だったので、ガイドのコが彼らと話し始めた。
世間話して時間つぶししてたのに付き合う感じでしばらく一緒の空間にいたのだけれど。
かれらはちゃんと服を着ていた。が、彼らのどこか諦めたような目が、いまでも少し体の奥に残っている。
たわいもなくそんなことを想い出した。
「敵なのか、ナプなら殺すか。」
そして突然男は踊りながら呪文のような唄を歌い始める。
「もういい、行け」
木や屋根の上から見ると、ボロロ族の村は荷車の車輪に似ている。…この種の環状集落を持っていたのは、ボロロ族だけではなかった。細部に若干の変化はあっても、環状集落は、アラグアヤ河とサン・フランシスコ側の間の中部ブラジル台地を占めているジェ語族すべての種族に特徴的なもので…(レヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅱ』)
そんなふうにして、あるいは宣教師に、あるいは探検家に、あるいはそれにつづく文明によって多くの部族の目は輝きを失い、消えていったのだろうか。

マレーシアで思ったのは、いかにヨーロッパや北米のバックパッカーがジャングル好きでしかもタフであるかということだった。ジムで泳ぎこみをしていて、同年代の平均より体力はあると自認していたが、ヤツらにはトレッキング能力でぜんぜん勝てなかった。なさけない。しかも、アウトドアの知識が深い。しれーっとしてるのに植物の知識やらをもっている男とか多いような気がする。そういや高校生くらいの白人男子二人組がわっしのあとにドミトリに泊まりにやってきていたが、奴らは子供のころから東南アジアまで来てこんな遊びをしているのか。。ぬぬっ。
タマンヌガラ国立公園のロッジでツアーで一緒になったこの下の写真のじいちゃん。つっても60前だったが、こんなじいちゃんでさえ、足が強ぇ。いっしょにトレッキングにでかけたときに置いて行かれそうになった。
オレ、おそっ!まあ、故郷では趣味でハンティングもするとは言っていたじいちゃんだったが。

西洋人にまで、抜かれてしまった日本人はもう終わってしまっているのだろうか。
「なにが四季を通じて自然に囲まれた、自然が好きな日本人だよ、けっ!」と。
っていうか、トロいのはオレか、オレなのかあぁぁぁ~。ううっ。
そんなことをおもいながらも、次の日には、ガイドさんにつれられて、這いつくばいながら洞窟に入ってコウモリをみたり、

こんな滝つぼに飛び込んで遊んでいたが。。

まったく、そんなヤツは人間以下のモノなんだろうさ。反省の色は今も、なっしんぐ。。
だが、彼らは私たちをナプと呼び、自分たちと明確に区別した。
ナプ。
ナプとは、ヤノマミ以外の人間、あるいは
人間以下のモノ。
女がひとり、生まれたばかりの子供を弔っていた
子供のなきがらはシロアリの巣の中におさめられている。
シロアリに食べさせたのち、巣ごと焼き払うことで天に送る。
だが、子供をあやめたのは母である女自身だった。
その部族は自らをヤノマミと呼ぶ。
ニンゲンという意味だ。
NHKスペシャル|ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる
すげえぜ、NHK。さすが、やってくれる。
語りは、あの場踊りの田中泯。横浜トリエンナーレでは見れずじまいだったが。。それは、まあよくて。
おととし、マレーシアのタマンヌガラにいったとき、現地の少数民族を見かけたのだが、ていうかジャングルウォーキングで客がわっし一人だったので、ガイドのコが彼らと話し始めた。
世間話して時間つぶししてたのに付き合う感じでしばらく一緒の空間にいたのだけれど。
かれらはちゃんと服を着ていた。が、彼らのどこか諦めたような目が、いまでも少し体の奥に残っている。
たわいもなくそんなことを想い出した。
「敵なのか、ナプなら殺すか。」
そして突然男は踊りながら呪文のような唄を歌い始める。
「もういい、行け」
木や屋根の上から見ると、ボロロ族の村は荷車の車輪に似ている。…この種の環状集落を持っていたのは、ボロロ族だけではなかった。細部に若干の変化はあっても、環状集落は、アラグアヤ河とサン・フランシスコ側の間の中部ブラジル台地を占めているジェ語族すべての種族に特徴的なもので…(レヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅱ』)
そんなふうにして、あるいは宣教師に、あるいは探検家に、あるいはそれにつづく文明によって多くの部族の目は輝きを失い、消えていったのだろうか。

マレーシアで思ったのは、いかにヨーロッパや北米のバックパッカーがジャングル好きでしかもタフであるかということだった。ジムで泳ぎこみをしていて、同年代の平均より体力はあると自認していたが、ヤツらにはトレッキング能力でぜんぜん勝てなかった。なさけない。しかも、アウトドアの知識が深い。しれーっとしてるのに植物の知識やらをもっている男とか多いような気がする。そういや高校生くらいの白人男子二人組がわっしのあとにドミトリに泊まりにやってきていたが、奴らは子供のころから東南アジアまで来てこんな遊びをしているのか。。ぬぬっ。
タマンヌガラ国立公園のロッジでツアーで一緒になったこの下の写真のじいちゃん。つっても60前だったが、こんなじいちゃんでさえ、足が強ぇ。いっしょにトレッキングにでかけたときに置いて行かれそうになった。
オレ、おそっ!まあ、故郷では趣味でハンティングもするとは言っていたじいちゃんだったが。

西洋人にまで、抜かれてしまった日本人はもう終わってしまっているのだろうか。
「なにが四季を通じて自然に囲まれた、自然が好きな日本人だよ、けっ!」と。
っていうか、トロいのはオレか、オレなのかあぁぁぁ~。ううっ。
そんなことをおもいながらも、次の日には、ガイドさんにつれられて、這いつくばいながら洞窟に入ってコウモリをみたり、

こんな滝つぼに飛び込んで遊んでいたが。。

まったく、そんなヤツは人間以下のモノなんだろうさ。反省の色は今も、なっしんぐ。。
シュールレアリズム
シュールレアリズムの絵を見て痙攣を感じたことなどない。
シュールレアリスティックな体験は痙攣を伴う。そういう体験ならある。
「痙攣的な美はエロチックで覆われていて、爆発的で静止していて、魔術的で情況にかかわるものだろう。さもなければ存在しないだろう。」
アンドレ・ブルトン
もし、本当にシュールレアリスティックな美術が作れるのなら、それは静止している絵画や彫刻ではなく、もっと状況依存的な何かだと思う。再現性のない、しかも、エロティックな。。インスタレーション?あるいは舞踏?あるいはライブ?
すくなくとも、ダリの絵よりアイズ・ワイド・シャットのほうが刺激的だと思うし、あるいはフルメタルジャケットの都市部での戦闘シーン、そっちのほうが本質に近い。破壊的な痙攣。
「美は痙攣的なものであるにちがいない。さもなくば存在しないであろう」
あえて無茶をいうなら、シュールレアリズムの半分は痙攣でできていて、その結果としてつくられた作品はタダの残骸で、そこに痙攣的な美などはない。射精された精子に痙攣がないように。
そこにあるのは、関係性の暗示。それがシュールレアリズムの残りの半分。
※ モノアミン神経伝達物質の放出量の急激な変化による一部神経での情報伝達量の増加と制限。組み換えと切断。そんなところなのか?
※ バタイユと三島由紀夫。「禁止と侵犯」と「毒」。瞬間的なこれらと、谷崎潤一郎の耽美は、どこで交錯しているのだろう?どこからそっちへ移行する?
yaso―特集+耽美 Yaso(夜想)

¥1,575
Amazon.co.jp
シュールレアリスティックな体験は痙攣を伴う。そういう体験ならある。
「痙攣的な美はエロチックで覆われていて、爆発的で静止していて、魔術的で情況にかかわるものだろう。さもなければ存在しないだろう。」
アンドレ・ブルトン
もし、本当にシュールレアリスティックな美術が作れるのなら、それは静止している絵画や彫刻ではなく、もっと状況依存的な何かだと思う。再現性のない、しかも、エロティックな。。インスタレーション?あるいは舞踏?あるいはライブ?
すくなくとも、ダリの絵よりアイズ・ワイド・シャットのほうが刺激的だと思うし、あるいはフルメタルジャケットの都市部での戦闘シーン、そっちのほうが本質に近い。破壊的な痙攣。
「美は痙攣的なものであるにちがいない。さもなくば存在しないであろう」
あえて無茶をいうなら、シュールレアリズムの半分は痙攣でできていて、その結果としてつくられた作品はタダの残骸で、そこに痙攣的な美などはない。射精された精子に痙攣がないように。
そこにあるのは、関係性の暗示。それがシュールレアリズムの残りの半分。
※ モノアミン神経伝達物質の放出量の急激な変化による一部神経での情報伝達量の増加と制限。組み換えと切断。そんなところなのか?
※ バタイユと三島由紀夫。「禁止と侵犯」と「毒」。瞬間的なこれらと、谷崎潤一郎の耽美は、どこで交錯しているのだろう?どこからそっちへ移行する?
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アンドレ・ブルトンは死んだ。
恣意性…必然性はなく、偶然そうなっていること。
コトバは恣意的なものではない。否、たとえ恣意的なコトバがあったとしても関係性というのは作られる。
因果というのは、「原因があって結果がある」というものだけではない。
「モノとモノ、コトとコトに後付け付与させられる」ものがある。
前者は物理的な法則だったり、数学的論理だったりの真。
で、後者のほうは真と信が入り乱れていてこっちのほうが胡散臭くてオモシロイ。
人の体や脳に付与された物理的性質や機能と、われわれをとりまく世界との関係によって後付けされる後者ほうの因果。
人体からくるボトムアップの部分と、物理的なあるいは社会的な環境によってトップダウン的に与えられるものとのつながりやせめぎあいによって築かれるこのカンケイセイ。
しかも、こいつは神経細胞のようにグリッド的につながっているので因と果がところどころで逆転してたり、逆転したりもする。
この人の可塑性で後付けされる、ニワトリガサキカタマゴガサキカ的な因果をぶち壊してしまおうという運動がシュールレアリズムだったりダダだったりしたのだけれど。。
ブルトン自体、その純粋な破壊性と、夢や自動記述などのユングやフロイトのいう深層心理だったり無意識だったりあるいは心的コンプレックスだったりイドだったりの影響とをわけることが、その当時の知識ではできていなかった。そのため、そこがゴッチャになっていてシュールレアリズムもダダもその線引きがあいまい。あいまいだからおもしろいのだけれど。
そのあたり、恣意であると言い切った先人のソシュールのほうが、ブルトンの詩なんかより、よほど純粋に破壊的だ。。
で、そこまでわかった時点でシュールレアリズムもダダもある意味、死に体。
破壊は破壊と意味付けされた時点で役割を終える。意味がわかれば用などない。さようならである。
そして関係性のみが残った。しかしこっちのほうが格段にオモシロイ。しかもインチキくさくてイイカゲンである。そこがよい。
いかに関係性をもてるか。アタッチできるか。つながれるか。あるいは隠れたカンケイを見つけられるか。
そしてそれをいかにきれいに手離せるか。
人生ってソレだよね。
まあ、こうやってもっともらしいこと言ってますけど、まあ、
おおきく言えば適当なんですよね。by 井上陽水
バンザイ、てきとー
コトバは恣意的なものではない。否、たとえ恣意的なコトバがあったとしても関係性というのは作られる。
因果というのは、「原因があって結果がある」というものだけではない。
「モノとモノ、コトとコトに後付け付与させられる」ものがある。
前者は物理的な法則だったり、数学的論理だったりの真。
で、後者のほうは真と信が入り乱れていてこっちのほうが胡散臭くてオモシロイ。
人の体や脳に付与された物理的性質や機能と、われわれをとりまく世界との関係によって後付けされる後者ほうの因果。
人体からくるボトムアップの部分と、物理的なあるいは社会的な環境によってトップダウン的に与えられるものとのつながりやせめぎあいによって築かれるこのカンケイセイ。
しかも、こいつは神経細胞のようにグリッド的につながっているので因と果がところどころで逆転してたり、逆転したりもする。
この人の可塑性で後付けされる、ニワトリガサキカタマゴガサキカ的な因果をぶち壊してしまおうという運動がシュールレアリズムだったりダダだったりしたのだけれど。。
ブルトン自体、その純粋な破壊性と、夢や自動記述などのユングやフロイトのいう深層心理だったり無意識だったりあるいは心的コンプレックスだったりイドだったりの影響とをわけることが、その当時の知識ではできていなかった。そのため、そこがゴッチャになっていてシュールレアリズムもダダもその線引きがあいまい。あいまいだからおもしろいのだけれど。
そのあたり、恣意であると言い切った先人のソシュールのほうが、ブルトンの詩なんかより、よほど純粋に破壊的だ。。
で、そこまでわかった時点でシュールレアリズムもダダもある意味、死に体。
破壊は破壊と意味付けされた時点で役割を終える。意味がわかれば用などない。さようならである。
そして関係性のみが残った。しかしこっちのほうが格段にオモシロイ。しかもインチキくさくてイイカゲンである。そこがよい。
いかに関係性をもてるか。アタッチできるか。つながれるか。あるいは隠れたカンケイを見つけられるか。
そしてそれをいかにきれいに手離せるか。
人生ってソレだよね。
まあ、こうやってもっともらしいこと言ってますけど、まあ、
おおきく言えば適当なんですよね。by 井上陽水
バンザイ、てきとー
