現代美術の効用
サカナクション/アルクアラウンド見てて赤レンガ倉庫のミランダ・ジュライの「廊下」を思い出した。
横浜トリエンナーレ2008。
人が一人やっと通れる狭い廊下。
左右の壁から交互にメッセージボードが生えている。
行く手をさえぎるように。
ジグザグに歩かざるを得ない。
ボードのメッセージが目に飛び込んでくる。
身体を使う観客。
なんらかの労働、恐怖、気持ちの高揚など
それと引き換えにメッセージだったり、ある視覚だったりが
観客の身体を通して脳に刻まれる
インスタレーション・インタラクティブ。
おばけ屋敷だったり、遊園地の乗り物だったり。
昔からあるのだけど、ここんところその手法が分派して
先鋭化するスピードがスゴイ。
若いコたちが手軽にビデオカムやコンピュータを使う。
もはやそれを使った表現が皮膚感覚の一部になっているのか。
知覚イメージのフレームワーク化が脳内で加速?
トライアル・エラーを誰もが簡単にシミュレートできる世界の進歩って…。
たとえば
Plastic Tree 「ムーンライト ――――。」携帯のシグナル。
2005の横トリ。サインウェーブ・オーケストラを思い出す。
「そうか、アイデアはトリエンナーレに散らばってたんだ」と。
うーむ。気付かなかった。。バカだオレ。
こういうメソッドがPVだけじゃなく
生活の中に入り込んでいけば面白い世界になるなあと。
いたるところで表現のクレヴァスが口をあけている。
身体的なクレバス
タイム・クレヴァス
そして、アートサーカス。
トム・クルーズが出てた
マイノリティ・レポート的な未来のあり方
とは違う表現の未来。
そういうのが見たい。
進歩のタネはいつも断層の中に…
情報の取得と活用の能力の差が
ますます人の手足の長さを変えていく。
負け組のオレにはちょっと怖いな。格差の幅がハンパくなるのかしら…
ハードウエアはそう簡単に変えられんからな。
身体を使った経験もそうそう数を増やせん。
それがボトルネックになるか…ダイハード4だよ
ところでPlastic Treeのボーカル、松ケンかオモタ
アイコン降臨!!!
The Show Must Go On !!!
So ya thought you might like to go to the show.
To feel the warm thrill of confusion, that space can get glow.
I got some bad news for you, Sunshine.
xxxx isn't well, he stays back in the hotel,
And they sent us along as a surrogate band.
Now tonight, we're gonna find out where you've gotta really stand.
今夜 この会場にホモは来ているか?
そいつらを壁際に立たせろ!
あそこにいる野郎はユダヤ人だし
あっちの野郎は汚ならしい黒人だ
人間のくずどもをこの会場に入れた奴は
一体どこのどいつなんだ?
ピンク・フロイドって、10代のときハマるのか?
こういう痛みは好き。
ぎりぎりのところで自分の痛みをさらけだす。
表現者として命掛け。
発禁喰らって表現者としての生命を断たれるからね。
スゴイ。
痛みの表現方法って、いろいろあるんだよね。
ぶっ殺せ!なんて思ってるわけではないのだ。
…わからんけど。いるかな 笑
他者が理解できず
自分を投影して自分の影を怖がってるヤツ。
そっちのほうがコワイ。
簡単にラインを超えるのはそういう人たち。
そんなふうに思う。
モノを作るとき
想像だけで、現場へ行かない奴はヤバい。
無精こいてんじゃねえよ。
あ!オレか?
怖がってないで現場へ出ねば!!
So ya thought you might like to go to the show.
To feel the warm thrill of confusion, that space can get glow.
I got some bad news for you, Sunshine.
xxxx isn't well, he stays back in the hotel,
And they sent us along as a surrogate band.
Now tonight, we're gonna find out where you've gotta really stand.
今夜 この会場にホモは来ているか?
そいつらを壁際に立たせろ!
あそこにいる野郎はユダヤ人だし
あっちの野郎は汚ならしい黒人だ
人間のくずどもをこの会場に入れた奴は
一体どこのどいつなんだ?
ピンク・フロイドって、10代のときハマるのか?
こういう痛みは好き。
ぎりぎりのところで自分の痛みをさらけだす。
表現者として命掛け。
発禁喰らって表現者としての生命を断たれるからね。
スゴイ。
痛みの表現方法って、いろいろあるんだよね。
ぶっ殺せ!なんて思ってるわけではないのだ。
…わからんけど。いるかな 笑
他者が理解できず
自分を投影して自分の影を怖がってるヤツ。
そっちのほうがコワイ。
簡単にラインを超えるのはそういう人たち。
そんなふうに思う。
モノを作るとき
想像だけで、現場へ行かない奴はヤバい。
無精こいてんじゃねえよ。
あ!オレか?
怖がってないで現場へ出ねば!!
堕ちた天使 - floor 40
ダカラ、イワンコッチャナイ。
舞台は整った。
平和の祈りを込めた鉛筆、一本1000円。
そして自分の懐へ。
それは偉大なパーフェクト・プロモーション
彼女は偉大な「パーフェクト・プロダクション」
神の意向により?
僕はそうじゃないと思う from 佐野元春 『完全な製品』
誰もが最初は志す。
ユダだってそうだったのかも知れない。
まあ、そこはそれ、大人の事情ということで…。
イラナイ。カッコワリーよ、それ。
そういえば、サッポロビールの大人エレベーター。
46 Floorのリリー・フランキーがなんだかカッコイイ。
大人ってなんでしょう?
どんどん苦しくなってるよ。いろんなイヤなことが待ってます。笑
こういう大人にならなきゃとか、それはなくなって来たよね、なんか。
潔し。
一度僕は捨てて見よう。
すべての「パーフェクト・プロダクション」
ほんとうに彼女が必要になる時まで。
舞台は整った。
平和の祈りを込めた鉛筆、一本1000円。
そして自分の懐へ。
それは偉大なパーフェクト・プロモーション
彼女は偉大な「パーフェクト・プロダクション」
神の意向により?
僕はそうじゃないと思う from 佐野元春 『完全な製品』
誰もが最初は志す。
ユダだってそうだったのかも知れない。
まあ、そこはそれ、大人の事情ということで…。
イラナイ。カッコワリーよ、それ。
そういえば、サッポロビールの大人エレベーター。
46 Floorのリリー・フランキーがなんだかカッコイイ。
大人ってなんでしょう?
どんどん苦しくなってるよ。いろんなイヤなことが待ってます。笑
こういう大人にならなきゃとか、それはなくなって来たよね、なんか。
潔し。
一度僕は捨てて見よう。
すべての「パーフェクト・プロダクション」
ほんとうに彼女が必要になる時まで。
痛みと記憶
マラッカで、Charles Chamの店に入ったら、本人にTシャツの説明をされた。
本人曰く、人権や自然保護がうんぬんと。
色や形であらわされたものは、その人のいろいろな経験や記憶と結合したメタファーだったりする。
その人のうちに繰り返し生じる身体的経験や、体験から一般化された、具体的な認知構造やイメージを含んでたりする。知覚の抽象化は、誰も行っている無意識の認知過程であって、同じ場所に住んでいる人や同じような環境で暮している人では、同じようなスキーマを持ってたり。
それが共鳴するときに各個人の中で、各個人の中の別の記憶のカテゴリーやスキーマとの「重ねあわせ」が起こる。そういうとき、各個人の中で認知スキーマの再編がおこる。
確かに動機は、人権だったり自然保護だったりするかもしれないけど。
マレーシアって、マレー人、中国人、インド人と…。そのマレー人にしたところで、サラワク州にはイバン族、ビダユ族、サバ州にはカダザン族、西マレーシアにはオラン・アスリ(orang asli)などの先住民がいて、各民族がいまだにそれぞれの文化、風習、宗教を生かしたまま暮らしていたりするのだが、生活の格差とか人権とか…ほんとモザイクの価値観で、いろいろ心を痛めることがあって。
森で住んでいる先住民の人たちの生活が脅かされていて、自然保護というのもすごくわかる。
実際、そこの場所に行っていろいろ見聞きすると「ああー」と。
旅人だったので、やはりその認識や痛みも浅いのだけれど。
色遣いとか面白いとおもって見てたのだけど。
なぜか、人権と自然保護とあらためて言われると萎えてしまう。
なんなんだろう?
言われないとわからなかったりするのだが、
わからないまま着てもらっちゃこまるということなのだろうか?
なんだかいつも釈然としない。

以下、『音楽と記憶』ボブ・スナイダー著の再紹介。
言語と異なり、イメージスキーマにはそれらが表象するものと本来無関係の気まぐれなシンボルはない。そうではなく、イメージスキーマは、知覚的経験に直接根ざしていると考えられている。
イメージスキーマは恣意的なものでなく、知覚的カテゴリーを根拠とした経験を直接的に表象するものである。
ごく幼い乳児は、最初の物事の表象をイメージスキーマから発達させると考えられている。
イメージスキーマの本来の機能は、物理的世界を1枚の図にまとめる、一連の運動を結合することにあるようである。
たとえば。「上方」「下方」という一般化されたイメージスキーマは、自分が落下したり、ほかの物が落下するのを見て、自分が物を持ち上げたり、ほかの物が上に昇るのを見るという活動から派生したと思われる。
これらの表象の一部は、後に言語構造を決定するようである。すなわち、言語は、その発達の途中で前言語的で、前概念的な構造の線に沿って自らのイメージスキーマを構築することがあるのである。したがってイメージスキーマは経験の概念化の橋渡し役をするようである。
イメージスキーマの形式に一般化される人間の初歩的な経験には、前述の上方と下方、空間的な中心、他の事象と何らかの因果関係によってつながる事象、目標に向かう道を進む移動、容器-あるいは「外側」と「内側」-などの経験がある。
こうしたイメージスキーマのすべてが、必然的になんらかの「空間」を必要とするが、それは必ずしも個別的な(詳細な)具体的イメージである必要はない。これらは、世界がどのように機能するかというわれわれの考えにとって非常に基本的なものであり、逐語的な形で使用されるだけでなく、比喩的に使用されて、ほかの抽象的なタイプの考えを表現する。
われわれは、イメージスキーマを毎日、何度も、それについて全く考えることなく使用している。
音楽と記憶―認知心理学と情報理論からのアプローチ/ボブ スナイダー

¥4,410
Amazon.co.jp
音楽の聴取と認知のしくみについて書かれた本だが、東大出版の認知心理学シリーズを読むよりよほど認知心理学の基本について、体系的で分かりやすい。多くの著者がフラグメント的に記述した本は、日本の大学系の出版物に多いけど、統一的な視点で語られていないため、読者がその本を読んで思考する際に自らの知識や理解を体系的に伸ばしにくい。
そりゃ、アメリカの文系の学生には、あたりまえのように負けるわな。

たぶん、当事者でもない人間がうだうだ言ってるのが、自分と重なるからイヤなのだ。人にかまけて自分から逃げているのだ、オレ。逃げとる。
心の声か。修造氏、見なおしちまった。やはり、ウインブルドンまで行くっていうのは並み大抵ではないのだなあ。決めているのはすべて自分。嫌がるのもすべて自分の問題。
本人曰く、人権や自然保護がうんぬんと。
色や形であらわされたものは、その人のいろいろな経験や記憶と結合したメタファーだったりする。
その人のうちに繰り返し生じる身体的経験や、体験から一般化された、具体的な認知構造やイメージを含んでたりする。知覚の抽象化は、誰も行っている無意識の認知過程であって、同じ場所に住んでいる人や同じような環境で暮している人では、同じようなスキーマを持ってたり。
それが共鳴するときに各個人の中で、各個人の中の別の記憶のカテゴリーやスキーマとの「重ねあわせ」が起こる。そういうとき、各個人の中で認知スキーマの再編がおこる。
確かに動機は、人権だったり自然保護だったりするかもしれないけど。
マレーシアって、マレー人、中国人、インド人と…。そのマレー人にしたところで、サラワク州にはイバン族、ビダユ族、サバ州にはカダザン族、西マレーシアにはオラン・アスリ(orang asli)などの先住民がいて、各民族がいまだにそれぞれの文化、風習、宗教を生かしたまま暮らしていたりするのだが、生活の格差とか人権とか…ほんとモザイクの価値観で、いろいろ心を痛めることがあって。
森で住んでいる先住民の人たちの生活が脅かされていて、自然保護というのもすごくわかる。
実際、そこの場所に行っていろいろ見聞きすると「ああー」と。
旅人だったので、やはりその認識や痛みも浅いのだけれど。
色遣いとか面白いとおもって見てたのだけど。
なぜか、人権と自然保護とあらためて言われると萎えてしまう。
なんなんだろう?
言われないとわからなかったりするのだが、
わからないまま着てもらっちゃこまるということなのだろうか?
なんだかいつも釈然としない。

以下、『音楽と記憶』ボブ・スナイダー著の再紹介。
言語と異なり、イメージスキーマにはそれらが表象するものと本来無関係の気まぐれなシンボルはない。そうではなく、イメージスキーマは、知覚的経験に直接根ざしていると考えられている。
イメージスキーマは恣意的なものでなく、知覚的カテゴリーを根拠とした経験を直接的に表象するものである。
ごく幼い乳児は、最初の物事の表象をイメージスキーマから発達させると考えられている。
イメージスキーマの本来の機能は、物理的世界を1枚の図にまとめる、一連の運動を結合することにあるようである。
たとえば。「上方」「下方」という一般化されたイメージスキーマは、自分が落下したり、ほかの物が落下するのを見て、自分が物を持ち上げたり、ほかの物が上に昇るのを見るという活動から派生したと思われる。
これらの表象の一部は、後に言語構造を決定するようである。すなわち、言語は、その発達の途中で前言語的で、前概念的な構造の線に沿って自らのイメージスキーマを構築することがあるのである。したがってイメージスキーマは経験の概念化の橋渡し役をするようである。
イメージスキーマの形式に一般化される人間の初歩的な経験には、前述の上方と下方、空間的な中心、他の事象と何らかの因果関係によってつながる事象、目標に向かう道を進む移動、容器-あるいは「外側」と「内側」-などの経験がある。
こうしたイメージスキーマのすべてが、必然的になんらかの「空間」を必要とするが、それは必ずしも個別的な(詳細な)具体的イメージである必要はない。これらは、世界がどのように機能するかというわれわれの考えにとって非常に基本的なものであり、逐語的な形で使用されるだけでなく、比喩的に使用されて、ほかの抽象的なタイプの考えを表現する。
われわれは、イメージスキーマを毎日、何度も、それについて全く考えることなく使用している。
音楽と記憶―認知心理学と情報理論からのアプローチ/ボブ スナイダー

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音楽の聴取と認知のしくみについて書かれた本だが、東大出版の認知心理学シリーズを読むよりよほど認知心理学の基本について、体系的で分かりやすい。多くの著者がフラグメント的に記述した本は、日本の大学系の出版物に多いけど、統一的な視点で語られていないため、読者がその本を読んで思考する際に自らの知識や理解を体系的に伸ばしにくい。
そりゃ、アメリカの文系の学生には、あたりまえのように負けるわな。

たぶん、当事者でもない人間がうだうだ言ってるのが、自分と重なるからイヤなのだ。人にかまけて自分から逃げているのだ、オレ。逃げとる。
心の声か。修造氏、見なおしちまった。やはり、ウインブルドンまで行くっていうのは並み大抵ではないのだなあ。決めているのはすべて自分。嫌がるのもすべて自分の問題。
今日のヘビロテ
Crispy Nuts いいじゃん!!
って最上ってどこ?
山形かぁーっておもってたのだが、
若いコのフットワークの軽さはすげー。
イっちゃってるんだ。
すげー。
なんつー、サマソニ行ってきます!なう的なブログを見るとおおっ!!
ひそかに若いエキスをブログから吸い取るのだ
ひゃひゃひゃ
DRINK OR DIE !
Crispy Nuts
って最上ってどこ?
山形かぁーっておもってたのだが、
若いコのフットワークの軽さはすげー。
イっちゃってるんだ。
すげー。
なんつー、サマソニ行ってきます!なう的なブログを見るとおおっ!!
ひそかに若いエキスをブログから吸い取るのだ

ひゃひゃひゃ
DRINK OR DIE !

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