『走ることについて語るときに僕の語ること』
まだ半分。
平易な文なのだが、読んでいて自分と比べる。
考え考えしながら読んでいるので時間が掛かる。
まじめに自分のことを語る村上春樹にはじめてあったような気もするが、そうでもないのか。はったりや誇張をできるだけさけようとしている意志が見えて。。もっとも筆がのってくるとそうではないところもあって…
とはいえ、真摯に自分とも読者とも向き合おうという姿勢が見えるので、自然と自分もそんなふうに考えながら読んでしまうのかもわからない。
けれど、この文章を書くにあたって、なにか自分が気にいったフレーズとか、読んでて思いついたことがあったのかと、読んだとこをナナメ読みしたのだが、どこにもない。なにも見当たらない。アレっ?確かにいろいろ考えてたし、文章にも唸った筈なのにと。
彼は自分が走っているときのことについて
僕は走りながらただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。そのような空白の中にも、その時々の考えが自然にもぐりこんでくる。当然のことだ。人間の心の中には真の空白など存在しえないのだから。人間の精神は真空を抱え込めるほど強くないし、また一貫してもいない。とはいえ、走っている僕の精神の中に入り込んでくるそのような考え(想念)は、あくまで空白の従属物に過ぎない。それは内容ではなく、空白性を軸として成り立っている考えなのだ。
そう語っている。これって、まさにこのエッセイそのままじゃないかと。
しかるに村上春樹は、自分にとっては走ることが作品を生み出すための必要不可欠なピースだと。
考えてみれば、彼の長編も短編もこの空白性を軸として成り立っているのかも知れない。いま、そんなふうに感じた。
走ることについて語るときに僕の語ること

平易な文なのだが、読んでいて自分と比べる。
考え考えしながら読んでいるので時間が掛かる。
まじめに自分のことを語る村上春樹にはじめてあったような気もするが、そうでもないのか。はったりや誇張をできるだけさけようとしている意志が見えて。。もっとも筆がのってくるとそうではないところもあって…
とはいえ、真摯に自分とも読者とも向き合おうという姿勢が見えるので、自然と自分もそんなふうに考えながら読んでしまうのかもわからない。
けれど、この文章を書くにあたって、なにか自分が気にいったフレーズとか、読んでて思いついたことがあったのかと、読んだとこをナナメ読みしたのだが、どこにもない。なにも見当たらない。アレっ?確かにいろいろ考えてたし、文章にも唸った筈なのにと。
彼は自分が走っているときのことについて
僕は走りながらただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。そのような空白の中にも、その時々の考えが自然にもぐりこんでくる。当然のことだ。人間の心の中には真の空白など存在しえないのだから。人間の精神は真空を抱え込めるほど強くないし、また一貫してもいない。とはいえ、走っている僕の精神の中に入り込んでくるそのような考え(想念)は、あくまで空白の従属物に過ぎない。それは内容ではなく、空白性を軸として成り立っている考えなのだ。
そう語っている。これって、まさにこのエッセイそのままじゃないかと。
しかるに村上春樹は、自分にとっては走ることが作品を生み出すための必要不可欠なピースだと。
考えてみれば、彼の長編も短編もこの空白性を軸として成り立っているのかも知れない。いま、そんなふうに感じた。
走ることについて語るときに僕の語ること
ただ、しなやかに…
ライブとPVは違うし、ipodにダウンロードした音とも違う。
どっちがどうなのかわからないけど、情報量が多い方を頭は覚えているのかもしれない。あるいは、自分がイイと感じたほうを。
人の適応能力というのは、ただ状況に適応するための能力という意味ではなく、良いものを根源的に選択できる能力に大きく依存しているのかもしれない。
善とか絶対的な真相の認識とかいうモノは好きではないし、むしろいつも反発するのだけど、人でも動物でも生存本能としてそういうものを識別する能力がどこかに備わっているのだろう。たとえ、それが不完全なものだとしても。
プライミングというのは、たとえば何をするのか忘れたときにそれを思いついた場所へ戻ると思いだすことも含めるのだと思うが、現場に戻れというのは仕事でも同じで…。戻ったときに思いだせるのは、実は現場の情報を自分が意識していないところまで身体が覚えているからなんじゃないかと思う。音、匂い、肌感覚。さらにその奥にある何かまで。
CDで聴いてるときに、ライブで感じたものを、不完全ながら頭の中で再現している。
あるいは、逆にCDやPVのほうが良くてライブでの不完全な演奏が見えたり、聞こえたりする。
なんだか、人の能力っていうのはあたりまえにすごいことをやっている。
広義の意味で、メタフィジカルとも呼べるのかもしれない、そんな能力は人が成長するために必須の能力で、でも動物の本能のように完璧ではなく。。
完璧ではないからこその可塑性で、その可塑性のわずかな強みで勝てている。
変わらないということは、それを放棄すること。
ただ、動物の強さに対する憧れは確かに捨てがたい。
答えは現場にしかない。そんなふうに思う。
人の中の動物が勝つか、人の中の人間が勝つか。
自分が自分であるために変えなかったり、新しい自分を見つけるために果敢に挑戦したり。
ただ、生命という動的な平衡は、変化しつづける社会や環境と対でしか存在しえない。
苦しくて楽しい。それも含めてどうにか愉しめたらいいなあと思う。
あまりに楽観的すぎか…
まあ、個人の嗜好みたいなその人に閉じたものはさておき、仕事に関係することで現状維持は、ゆっくり後退することに変わりはない。
どっちがどうなのかわからないけど、情報量が多い方を頭は覚えているのかもしれない。あるいは、自分がイイと感じたほうを。
人の適応能力というのは、ただ状況に適応するための能力という意味ではなく、良いものを根源的に選択できる能力に大きく依存しているのかもしれない。
善とか絶対的な真相の認識とかいうモノは好きではないし、むしろいつも反発するのだけど、人でも動物でも生存本能としてそういうものを識別する能力がどこかに備わっているのだろう。たとえ、それが不完全なものだとしても。
プライミングというのは、たとえば何をするのか忘れたときにそれを思いついた場所へ戻ると思いだすことも含めるのだと思うが、現場に戻れというのは仕事でも同じで…。戻ったときに思いだせるのは、実は現場の情報を自分が意識していないところまで身体が覚えているからなんじゃないかと思う。音、匂い、肌感覚。さらにその奥にある何かまで。
CDで聴いてるときに、ライブで感じたものを、不完全ながら頭の中で再現している。
あるいは、逆にCDやPVのほうが良くてライブでの不完全な演奏が見えたり、聞こえたりする。
なんだか、人の能力っていうのはあたりまえにすごいことをやっている。
広義の意味で、メタフィジカルとも呼べるのかもしれない、そんな能力は人が成長するために必須の能力で、でも動物の本能のように完璧ではなく。。
完璧ではないからこその可塑性で、その可塑性のわずかな強みで勝てている。
変わらないということは、それを放棄すること。
ただ、動物の強さに対する憧れは確かに捨てがたい。
答えは現場にしかない。そんなふうに思う。
人の中の動物が勝つか、人の中の人間が勝つか。
自分が自分であるために変えなかったり、新しい自分を見つけるために果敢に挑戦したり。
ただ、生命という動的な平衡は、変化しつづける社会や環境と対でしか存在しえない。
苦しくて楽しい。それも含めてどうにか愉しめたらいいなあと思う。
あまりに楽観的すぎか…
まあ、個人の嗜好みたいなその人に閉じたものはさておき、仕事に関係することで現状維持は、ゆっくり後退することに変わりはない。
日記
フランス語講座からのー
Tower Record近鉄パッセ店。
にーななからNeverTooLateの間髪ない感じらしいので…

買う。
空腹ピーク。
朝からマサラドーサしか頭にない。
ナマステ・インディアin名古屋2010へ。
広場、ガッラーン。
台風接近のため本日は中止となりました!
ええっ!!!
なので、大須の赤門へ

ランチ限定10食のヒレカツ定食\1050-

9食目げっと。
後ろのカップルは1人分だった。すまぬ。
名古屋の人に旨いって人気がある店って、昔っぽい味付けの店が多い。
けっこう保守的な感じ。そうか、そういうことかと。
浜乙女とかマルアイ花かつおのCMを思い出した。
みそ汁とお茶がしみじみうまい。
これに小っちゃいカップのコーヒーが食後についてきた。
うーん、にゃごや。
で、最近恒例のビレバン。

(使いまわしです。ごめんなさい)
で、村上春樹と

ひとり宮崎駿祭り。

で店を出て帰る道すがら、
「ん?海猿?ちがう…」
と思って立ち止まった。

自衛隊のポスターだった。
さわやか路線なんだ。へぇー。へぇへ→(へぇへ)→…
さて明日はマサラドーサ食べれるのか?
Tower Record近鉄パッセ店。
にーななからNeverTooLateの間髪ない感じらしいので…

買う。
空腹ピーク。
朝からマサラドーサしか頭にない。
ナマステ・インディアin名古屋2010へ。
広場、ガッラーン。
台風接近のため本日は中止となりました!
ええっ!!!
なので、大須の赤門へ

ランチ限定10食のヒレカツ定食\1050-

9食目げっと。
後ろのカップルは1人分だった。すまぬ。
名古屋の人に旨いって人気がある店って、昔っぽい味付けの店が多い。
けっこう保守的な感じ。そうか、そういうことかと。
浜乙女とかマルアイ花かつおのCMを思い出した。
みそ汁とお茶がしみじみうまい。
これに小っちゃいカップのコーヒーが食後についてきた。
うーん、にゃごや。
で、最近恒例のビレバン。

(使いまわしです。ごめんなさい)
で、村上春樹と

ひとり宮崎駿祭り。

で店を出て帰る道すがら、
「ん?海猿?ちがう…」
と思って立ち止まった。

自衛隊のポスターだった。
さわやか路線なんだ。へぇー。へぇへ→(へぇへ)→…
さて明日はマサラドーサ食べれるのか?
G4N
BOMB FACTORYを聞きに行ったのだけど…
APOLLO THEATER
GOOD4NOTHING "BACK 4 GOOD TOUR '10-'11"
GOOD4NOTHING がえらいことになっていた。
知らんかった。
若いお客さんが会場の前にあふれて並んでて、一瞬会場間違えたのかとおもった。
みんなGOOD4NOTHINGを見に。
YOUTUBEのPV見る限りでは、メロディアスでパンクにしてはおとなしめな楽曲なのかと思ってた。「ふーん」と。おとなしめのが好きなのかなあと。
ライブが始まると、
音の洪水。
10-FEETのライブ行ったときも感じたのだが、ライブでしか醸成されない音があって…。パンクのバンドではたまにあるのだけど、YOUTUBEのPVや
MYSPACEで聞いてるのとライブの音はまったく違う。
ライブは生き物で。
生き物であるがゆえに、干物と泳いでいる魚くらい違う。
なにコレ???
完璧に置いてかれた。若いコたちに。
あふれる音のピースはスピードとチェンジ・オブ・ペースで押し込める。
なのでドライブ感がハンパない。さらにストップ・アンド・ゴー。
音もキレてて、それでいて艶がある。
脂乗りまくり感のライブ。
なんなのだ、こんなバンドだったっけか。
すげえわ、もうすげえとしか言いようがなかった。
圧倒された。懐かしいこの感じ。
老いて枯れてる場合じゃねえな。
たえず表現していかないと、そしてそれを重ねないと到達できない世界。
変わってゆく。変えてゆく。
生活でもなんでもそうなんだろうけど…
ホント老いて枯れてる場合じゃない。
ライブに近い感じのないかなあとようつべで探してたが、ライブに近い感じなのは逆にこういうやつなのかもしれない。
APOLLO THEATER
GOOD4NOTHING "BACK 4 GOOD TOUR '10-'11"
GOOD4NOTHING がえらいことになっていた。
知らんかった。
若いお客さんが会場の前にあふれて並んでて、一瞬会場間違えたのかとおもった。
みんなGOOD4NOTHINGを見に。
YOUTUBEのPV見る限りでは、メロディアスでパンクにしてはおとなしめな楽曲なのかと思ってた。「ふーん」と。おとなしめのが好きなのかなあと。ライブが始まると、
音の洪水。
10-FEETのライブ行ったときも感じたのだが、ライブでしか醸成されない音があって…。パンクのバンドではたまにあるのだけど、YOUTUBEのPVや
MYSPACEで聞いてるのとライブの音はまったく違う。ライブは生き物で。
生き物であるがゆえに、干物と泳いでいる魚くらい違う。
なにコレ???
完璧に置いてかれた。若いコたちに。
あふれる音のピースはスピードとチェンジ・オブ・ペースで押し込める。
なのでドライブ感がハンパない。さらにストップ・アンド・ゴー。
音もキレてて、それでいて艶がある。
脂乗りまくり感のライブ。
なんなのだ、こんなバンドだったっけか。
すげえわ、もうすげえとしか言いようがなかった。
圧倒された。懐かしいこの感じ。
老いて枯れてる場合じゃねえな。
たえず表現していかないと、そしてそれを重ねないと到達できない世界。
変わってゆく。変えてゆく。
生活でもなんでもそうなんだろうけど…
ホント老いて枯れてる場合じゃない。
ライブに近い感じのないかなあとようつべで探してたが、ライブに近い感じなのは逆にこういうやつなのかもしれない。
『神去なあなあ日常』 三浦しをん
実家で妹が貸してくれた。
(クリックすると拡大)
三浦しをん、エッセイによく出てくる彼女のおとうさんの実家は三重県にある。
その実家がある神去村が舞台。
神去村?なぜこんな名前に変えたのかはよくわからん。
うちの実家は、この神去村から山一つ隔てたところにある。
負けず劣らずな田舎である。
こないだ、家の屋根でサルがサンマを喰っていたそうだ。
隣の家のネコのエサをかっぱらったらしい。
高校卒業と同時に平野勇気がこの神去村に放り込まれる。
先生とおかんによって嵌められたのだ。
実家でフリーター予定から林業に。
なんだか弟をそうしてやりたいという「しをん姉ちゃん」の意志が透けて見えなくもない。
本の帯の宮崎駿氏のコメント
とてもおもしろい。読みすすみながら、この本は映画になるぞと思い、やるなら実写映画かなと考え、いや、やはりアニメーションだと思い、そのうちにやっぱり映像化しない方がいい、すぐに映画になるかと考えるのはわるいクセだと自分をいましめ、読みすすみ、やっぱりおもしろい、これはいいぞ、なんとかなりそうとまたまたアニメ化をあれこれ考えはじめ、でもやっぱり実写かなぁ、だとすると自分には出来ないナァとか逆戻りし、満足しつつ読み終えました。
それから、また2回読みました。
(クリックすると拡大)
三浦しをん、エッセイによく出てくる彼女のおとうさんの実家は三重県にある。
その実家がある神去村が舞台。
神去村?なぜこんな名前に変えたのかはよくわからん。
うちの実家は、この神去村から山一つ隔てたところにある。
負けず劣らずな田舎である。
こないだ、家の屋根でサルがサンマを喰っていたそうだ。
隣の家のネコのエサをかっぱらったらしい。
高校卒業と同時に平野勇気がこの神去村に放り込まれる。
先生とおかんによって嵌められたのだ。
実家でフリーター予定から林業に。
なんだか弟をそうしてやりたいという「しをん姉ちゃん」の意志が透けて見えなくもない。
本の帯の宮崎駿氏のコメント
とてもおもしろい。読みすすみながら、この本は映画になるぞと思い、やるなら実写映画かなと考え、いや、やはりアニメーションだと思い、そのうちにやっぱり映像化しない方がいい、すぐに映画になるかと考えるのはわるいクセだと自分をいましめ、読みすすみ、やっぱりおもしろい、これはいいぞ、なんとかなりそうとまたまたアニメ化をあれこれ考えはじめ、でもやっぱり実写かなぁ、だとすると自分には出来ないナァとか逆戻りし、満足しつつ読み終えました。
それから、また2回読みました。