象の夢を見たことはない -136ページ目

アリナミン

ジムに泳ぎに行ったら、帰りに受け付けでこれを貰った。

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お盆までジムでごくろうさま的なアレなのだろうか?

ゼッーーート

と貰った瞬間アニキのように叫びたい衝動に駆られたのだが、Zはないらしい。

ランナーズハイってコワいなあ。怖いのはオレか。

リポビタンZもないのだ。あれはDだ。

ところで、その昔おいらの先輩はこういう強壮剤を

肉体疲労児のための飲み物だと思ってたのだそうだ。

かわいそうな子供がいるんだなあと。

かわいそうなのはむしろ先輩であった。ちーん

男のたしなみ

男のたしなみとして、魚くらいさばけないとダメだろうとふと思い立ち、
出刃と柳刃包丁を買った。

$ニャンちゅうなブログ-包丁

どうせまともに高い包丁を買っても錆びさせるにちがいない。
というところでステンレスにした。

「しゃー、さばくでぇーアップ
で、スーパーへ勇んでいった。
のだが、あたりまえのようにエラも内臓も処理されて、ウロコもすでにないわけで。。

ヾ(@°▽°@)ノ

これは、、、
海釣りに行くしかない。
だがしかーし、釣り道具は持ってない。
男のたしなみとして、釣りぐらいできなきゃダメだろう。。

どうやら先は長いらしい。
がんばれオレ!

HUCK FINN 2012.08.11

★MONSTER HOUSE Vol.41
THE→CHINA WIFE MOTORS
BOMB FACTORY
Jr.MONSTER

$ニャンちゅうなブログ-HUCKFINN

小雨模様。会場へ開演前に着いていたのは久しぶり。
客の入りは10数名くらい?あとはスタッフとメンバー。早すぎたか?
と思いながらも、はじまってもいないのにビールを。

で、そこになぜか、G4Nのメンバーが。
ええっ?いやいや、なんで?
と客は思っていたけど、そこは知らないふりを決め込むわけで。

開演時間も過ぎ、客もボツボツ増え始める。
でふとみるとTANNY氏がステージにおずおずと。
とおもったらメンバーもセッティングを始める。

客1:ええっ?マジで…?
ボムKAZUYA氏:マジマジ笑
お客はステージへダッシュである。

そしていきなりはじまったGOOD4NOTHING!!アップ
Broken→One day→Stick
いやーまったくおどろきのオープニングアクトだった。
今池3STARでライブだったらしく、その出番前に駈けつけて演奏してくれたらしい。

そしてTHE→CHINA WIFE MOTORS。
大阪は堺から2時間半のところ5時間かけてやって来たとのことで、盆というのはおそろしい。やっぱり大阪のロックンロールバンドはええわ。関西のロックバンドはMCで情が伝わってくる。前日にようつべで見て、これは最初から行かなくちゃとおもって来た甲斐があった。



次はBOMB FACTORY。
1曲目はJIMMY'S BACKYARD。渋い!
もうそこでキレてしまってセトリを覚える作業などどこへやら。
知らない間にコーラスワークで叫んでいたよ。
物販でFAT BOOSTを見かけたなあと思ってたらHANGOVERも!

$ニャンちゅうなブログ-FAT BOOST

あいかわらずの安定感と爆音ですっかりごきげん。いやーやっぱりボムだわ。
ちなみにボムは東京から普段6時間のところを14時間だったらしい(THE→CHINA WIFE MOTORSのKajitaくんのMCより。ううぬ、ありがとうございます)



そしてトリが主催のJr.MONSTER。
いきなりぞろぞろとTシャツを着たコたちが増えて会場がざわつきだしたとおもったら、Jr.MONSTER登場。いやーすごい人気あるんだねえ。おっちゃんは初めて見たのだけど、とにかく若い女の子たちが楽しそうに踊りまくってた。やはり楽しそうなコたちをビール飲みながら後ろで眺めるのがおっちゃんの性にあっている。それがいい年してなかなかライブ観戦を止められない理由かもしれない。



THE→CHINA WIFE MOTORSのKajitaくんも行ってたけど、やっぱり現場に来ないとわからない。ライブ会場でしかわからないことってあるし、ライブ会場でしか出会えないものがある。というかロックの場合それがすべてのような気がする。

ライブが終わって外へ出たら、雨はすっかりあがっていた。
楽しい一日だった。

ギター考

ギターですか?
弾けませんがなにか?
なにか?

だいぶ前からわかっていたけど、実はフェンダーはあまり好きではないのだ。

メタル - ハードロック - コア
フェンダー   ⇔   ギブソン

ていう感じがする。あくまでも主観である。
そして自分がコアが好きなのはそういう理由らしい。

もちろんギターそれぞれでクロスオーバーする部分はあるのだろうけど、フェンダーが好きな人はよりフェンダー風に、ギブソンが好きな人はよりギブソン風に演奏するので、本来のギターのスペック以上にどっちかに偏る。ように思う。

敢えて語るなら、フェンダーのほうが自己陶酔タイプが多い。あのアタック感が全能感を促すのか、あるいはもともと自己陶酔したいからフェンダーを選ぶのか。どちらにしろ、あの音に酔うより演奏する自分に酔っている感が個人的にひっかかる。中二っぽいのである。

もちろん偏見である。
偏見ではあるが、いいとこついてるんじゃないかと思っている。
まあ、なんにせよギター弾けないもののヒガミである苦笑

そういや、TVブロスのマキタスポーツのコラムでギターを弾こうと手に取る動機は、だいたいかなりイタいというふうなことを書いていたのだけど、女子もそうなのか?どうも自分の場合、その男女間の違いにフィルターを感じてしまって『女は許す!』的な部分がある。むしろ、YUIとかカッコいいと思ってしまうのだけれど、そういうフィルターを逆手に取れるかどうかがモテル男とモテナイ男の違いなのかと思わないでもない。



GHEEEのアコースティックバージョンというかアンプラグドライブ観たい。名古屋ワンマンだしやってくれんかのお。ここに例えばドラムスでYANA氏が入っても鴉空でやれてるから、すごくおもしろくなると思うのだけど、YANA氏が入ると近藤氏のS気質を刺激してしまうのでアコースティックでなくなるだろうな、まどろっこしいから焼酎くれ!みたく。

gheee
★8月25日(土)@名古屋・栄TIGHT ROPE 【ONE-MAN】
open 18:00/start 18:30  前売¥3,300/当日¥3,500(税込・ドリンク別)
★8月24日(金)@名古屋HUCK FINN FACTORY 【近藤&深沼弾き語り】
open 19:00/start 19:30  前売¥3,300/当日¥3,500(税込・ドリンク別)

村上春樹の効用

村上春樹の小説には、2つの対になったものがよく出現する。

双子、ねずみと自分、腎臓、2つの月、2つの世界。これらは、対立するものとして描かれている場合もあるけど、それらも含めて結局は相互に補完するものとして物語を形成しているように思える。阿吽の形態を持つ狛犬のように、あるいは一対の仁王像のように。

陰陽道においても、陰と陽というのはそういうあり様を持つものであって、対立しながらも相互に補完するものとして、それら2つで世界を現わすわけで。

自分の場合、心の中のどこを探っても、そういう根源的なイメージはないというか、深い喪失の体験をしてもそういう2つの世界があるという観念に救いを求めたことはないのだけれど、ある種の人はそういうものを深く感じることがあるのだろうか?

幽霊をよく見るとか、あるいは幽体離脱の体験をするとか、基本的には脳の器質のせいだと考えられていて、たとえば、統合失調症の人は、まさにそこに存在するようにありありと幻覚を見ることがあるし、脳の角回の刺激が体外離脱体験を誘うことも実験により確認されている。

ドッペルゲンガー的な話も村上春樹の短編にあって、それは鏡をみる話なのだけど、彼は個人的にそういう体験をしたことがあるのかも知れない。ただ、ドッペルゲンガーの場合、「ドッペルゲンガーを見ると死期が近い」といわれているように、相互に補完するなんていうものじゃないのだけど。ちなみに、ドッペルゲンガーについては

医学においては、Autoscopy[4](AS 自己像幻視)といい、例えばスイス・チューリッヒ大学のピーター・ブルッガー博士などの研究によると、脳の側頭葉と頭頂葉の境界領域(側頭頭頂接合部)に脳腫瘍ができた患者が自己像幻視を見るケースが多いという。この脳の領域は、ボディーイメージを司ると考えられており、機能が損なわれると、自己の肉体の認識上の感覚を失い、あたかも肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するかのように錯覚することがあると言われている。

カナダ・マギル大学のワイルダー・ペンフィールド博士がおこなった実験によって、正常な人でも、ボディーイメージを司る脳の領域に刺激を与えると、肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するように感じられることが確認されている。ドイツ・アーヘン大学のクラウス・ポドル博士は、自己像幻視は脳腫瘍に限らず、偏頭痛が発生する原因となる脳内の血流の変動による脳の機能の低下によっても引き起こされるとしている。実際、前述のリンカーンや芥川龍之介も偏頭痛を患っており、ドッペルゲンガーが本人によって目撃される事例に関しては、これによりある程度説明できると言える(from wikipedia)


だとか。ただもちろん、他者によってそれらが目撃されることについては不明なままだけれど。

そんなふうに考えていくと、彼の小説はいくぶんそれらの傾向があるのかもしれない。つまり、彼の脳にそういう傾向があって。
精神分析でいうカタルシス効果っていうのが「物語」という名のもとで誇大に表現されて、小説を読むことによって救われるとか、小説を書くことで彼自身が救われているだとか、いろんなところで彼自身も書いたりしているのだけれど、そういうのはほとんど民間伝承的な信憑性を持つものでしかないと考えたほうがよくて、ただ単にその人の脳の器質が紙の上に表わされているだけで、それ以上でも以下でもない。そんなふうに考えたほうがいいんじゃないかと最近思うようになった。

もっとも、自分の場合、よく村上春樹の本について考えをまとめるために書いてはいるし、これからも書くかもしれないけれど、本心を言うとそんなことはどうでもよくて、彼の文体だとか、小説が持つ雰囲気だとか、そっちが好きで読んでいるのであって、正直彼自身がどうであってもどうでもよい。とりあえず、夏に風が心地よく吹く木陰の芝生の上で寝っころがってビールを飲む。そんなテイストの彼の過去の短編が個人的に好きで、もちろんそうでない作品も読み物として面白いから読んでいるだけである。そんなことを1Q84の3巻目を文庫で読みながら思った。

まあ、結局、読みながらいろいろ考えちゃってるわけだけど、いつものようにこの2つの世界がある的な観念に対して共感はなく。でも、どうもこれに描かれている2つめの月のように、昔の作品には色濃くあったもう一つの世界の力というのが、彼の中で弱くなってきていて、なにか今は便宜的に小説を書くためのモチーフとして使っているだけのようなそんな気がした『1Q84』。井戸は風化して埋まりつつあるのかもしれない。。