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イラストレーターの原あいみです。
このブログは、妊活の末に授かった念願の娘
(のち・5歳)との日々を綴っています。
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先日、娘が自分のおこづかいを使って、初めて買った「はたおり機」の事を書きましたが、これこそ血だなと思ったのは、私の母が「はたおり」を趣味にしていたからです。
趣味で機織りというと、卓上のはたおり機くらいを想像するかもしれませんが、母が使っていたのは、足で糸を組み替えるタイプの本格的なもの。いわゆる、日本昔話で「つるの恩返し」のつるが、トントンカラリ…と鳴らしてた、あれです。
学校で勉強していた訳でも、関連する仕事をしていた訳でもなかった母ですが、祖父母の家の屋根裏に、大正時代から使っていたはたおり機が分解してしまってあるらしい、ということを聞いて「はたおりやってみたい症候群」にかかり(笑)、祖父母が亡くなった後、家の片付けに行った際に「大婆ちゃんのはたおり機捜索大作戦」を行うことになりました。
私は20代後半だったかなぁ。となると、母は55歳くらいかな?
さすがの「はたおりやってみたい症候群」の母も、築105年(現味で)の古ーい日本家屋の屋根裏に、一人で潜入するのは怖かったのか、私が一緒に祖父母の家に行けるタイミングで、捜索大作戦を決行しました。
あんまり覚えていませんが、人ひとりが四つ這いになってやっと進めるくらいの、暗くて狭い通路だったような。
頭に懐中電灯をつけ、母と二人で「はたおり機の部品」を探してススだらけになって進んだ記憶があります。
で、前を行く母が「これだわー!あったあった!全部出すよ!!!」と興奮気味に、歓喜していたような。
(冒頭の絵がそれです。)
そこからは、母に聞いた話なので、私の勝手な脚色が入っている可能性もあります。
母は、村の長老的なおばあさんのお家に、まだ当時のはたおり機が組み立てて置いてあるというのを聞き、そのお宅まで現物を見せてもらいに行ったとか。組み立て方などを聞いたり、色々調べたりしながら、独学で見事組み立て(足りない部品を確か兄が作ったんだったかな・・・)立派な反物を織り上げるまでに至りました。ほんと、物づくりへの執念です。
私は、あらゆる手芸を母から習いました。紙粘土人形の講師の資格を持っていた母の隣で、余った粘土をコネコネして、よく遊んでいました。一応、時々「人形作家」の私ですが、師匠は母だと思っています。
こんな風に受け継がれた血が、のちに宿っているなと、感じずにはいられません。
ちなみに今は亡き義理の母も、七宝焼作家でした。そりゃもう、毎日毎日、のちがなんか作り続けるのも、頷けるわけです。
コロナが落ち着いたら、のちが初めて自分で買ったはたおり機を持ってお見舞いに行きつつ、
病室でみんなで、卓上はたおりして遊びたいなぁ。早くそんな日が来ますように!
(ちなみにコレが母が大捜索のうえ発見したはたおり機。今は祖父母の家に戻っています。)
[のちがはたおり機を買ったお話はこちら]





