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BUCHI Days

「尋常性白斑」と生きてきたこと、生きてゆくこと。


私の体の表面は
ある日から突然変わり始めて
いまも変わり続けていて
これからも変わっていくのかな。

それは何を意味してるんだろう。
何度となく自問を繰り返した日々。

いまの私はこう思う。
それは大きなimaginationのためにやってきたんだって。

肌の色が不規則的になくなっていくという経験を与えられたことで、
私の思考は深く内側に進んでいった。

自分の力じゃどうにもならない悔しさは、
他の病気や不幸を被った誰かの悔しさに対する
思いやりの心を育んでくれた。

医学で容易に治せない事実は、
ある部分では「諦め」を私に叩きつけてきたけれど、
病気以外のところでは努力すれば叶うんだという、
粘り強さを培わせてくれた。

“一緒に生きる”

それはきっと、
良いとこも悪いとこも両方吸収して、
人生楽しく笑って生きること。

でも私も完璧じゃないから、
時々大丈夫かな?って不安になるときもある。
そんなときは手を取り合いたい。
一緒の病気を背負ってがんばって生きている人たちと。

“imagination”

周りに相談できる人
1人でかかえている人
治療に励んでいる人
何も気にしないで暮らしている人

この日本には、同じ病でも、
きっといろいろな人がいる。
白斑の場所・大きさ・数、みんなみんな違っている。
だけど同じところもきっとある。
病気とどう向き合って、どう自分の生き方を決めていくか。
白斑にいろいろな形があるように、
いろいろな考え方・感じ方があると思うんだ。
私もその中の1人。
だからこんなやり方で私はうまく生きてるよー
っていう人がいたらシェアしたい。

白斑も丸ごと含めて
もっと自由に
もっと楽に
私は私の人生を楽しみたい。



白斑ちゃんの逆襲に合ってます。

カンボジアから帰国して気づいたのですが、

唇の下が若干白いのが広がってきた気が・・・。

うーん。


多分いま、増えたんじゃなくて、

日焼けしたから余計目立つようになってしまったのだろうけど。

分かっているけど。

うーん。


自分でコントロールできないって、悔しいです。

鏡の前で涙がこぼれました。


私どんな顔になるんだろうなー・・・。

そんなこと考えると、一時的でもいいから、

病院にまた通ったほうがいいのかもしれないとも思いました。


ただ、病院は怖いところでもあります。

今回の唇のところもそうだけど、私はおおざっぱだから、

普段あまり体のことをマジマジとは見ません。

けれど、病院に行くと診察という名のもと、

あーここもですねぇとか、細かいところまで見られたりします。

それを報告されたとき、私はいい気もちがしませんでした。

むしろ不快だったのかもしれない。

なぜならば、潜在意識に不安要素を植えつけられてるような、

そんな風に私は感じてしまっていたから。


白斑ができたと聞いただけで、

広がってしまうイメージが目の前をよぎってしまいます。

この瞬間だけは、家族にも友達にも共感してもらえない、

とても孤独な瞬間で1番しんどい瞬間。

小さいときから何回も何回も体験してきたはずなのに、

変化をすることへの恐れは、やってくるんだね。


私は泣くけれど、でもどこかで、

それが自然であるのだとも感じています。


悲しいときは泣こう。

人には悲しみを涙で吐き出す機能がついてるのだから。


・・・そして落ち着いたら祈ろう。


神さま、たとえどんな自分になったとしても

受け入れられる勇気をください。




10月あたまにベトナムとカンボジアを旅行してきました。

今回の旅行ではちょっぴり悲しいこともあった。
現地の人々に、日本人?かわいいね~と冷かされるかたわら、

足どうしたの?
手どうしたの?

と大声で聞かれたこと。

添乗員のリッティには病気なんだ~って答えたけど、
それ以外はいちいち答えるのが面倒だったから無視した。

日本は「気遣う」文化が行き届いてるんだなぁ。
こういう経験をすると、やっぱ日本人は優しいのかもな~なんて見直したりも。