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BUCHI Days

「尋常性白斑」と生きてきたこと、生きてゆくこと。

白斑になることは「失うこと」だって思ってた。

その悲しみに耐えることでいっぱいでした。


でもそうじゃないね。わたしは何も失ってなかった。

むしろ私はどんどん私らしくなっていっているのかも。


最近そんなこと考えてます。




この間、会社にショートパンツを履いていきました。

ショートパンツとハイヒール。


膝小僧から脛にかけての白斑、

そして足首より下の足全体が真っ白の私にとって、

その格好がどれだけ視線を浴びるかは、

想像が出来ていました。


案の定、電車に乗ると目の前に座っていた男の子が、

私の脚全体をじーって見つめていました。

その視線は小さいときに嫌になるくらい浴びた、

記憶が蘇ってくるような眼差しでもありました。


気づいていても、私は気にしないようにして。

それを繰り返していたら、いまは人にどう見られようとも、

落ち込むことは少なくなりました。


たぶん、落ちるところまで落ちて、

考えるだけ考えたからでしょうか。。。




二十歳のとき。いまからもうだいぶ前になるけれど、

それまで私は「大人になれば」という言葉を信じて、

人生を歩んでいました。


「大人になれば皆にジロジロ見られないんだ」

「大人になれば理不尽な言葉を浴びないはず」


小さい頃から早く大人になりたかった。


でも大人になったある日、違和感を覚えて・・・

私は現実と向き合うことになりました。


「皆ジロジロ見なくなるのじゃなくて、

ジロジロ見なくなる配慮を覚えただけなんだ」

「皆私に何かを言わなくなったんじゃなくて

言わない気遣いをしてくれてるだけなんだ」


それを悟ったとき、ものすごく落ち込みました。


大人と子どもの違いは、

たとえば白斑を見て「気持ち悪い」と感じたら、

その気持ちをストレートに出さないか出すかの違い。

「気持ち悪い」と感じるところまでは同じなんだ、

ということをなんとなく感じ取ったとき、

無力な自分と悲しい気持ちでいっぱいで、

自分を消し去りたかった。




でも今は思います。それでいいじゃないって。

だって想像してみて。

他人の外見が自分と違っていたら、

私だって見てしまうかもしれない。

いや、見ると思う。

それは「自分と違う」から。

なんだろー、どうしたんだろー、って気持ち。

子どもはそれがすごくストレートに表れやすいだけ。

そう考えると、見られることも普通のことかもしれない。

それ以上のことは、私は考えないことにした。

人がどう感じようと自由なことだし、

感じないようにすることは無理だから。


ただ、沢山の視線を浴びると、

人間そんなに強くないし、不安にもなる。

その視線に悩んでいる白斑の人も沢山いると思う。

「白斑だから」見られるって解釈じゃなくて、

「皆と違うところがあるから」見られるって捉え方が、

より正確なのだと思います。


いまの自分が過去の自分に話しかけるとしたら、

「そんな視線を浴びて悩むのだって普通のことー」

「あまり自分1人でどうにかしようとしないでね」

って話しかけるかもしれない。




またきっとショートパンツを履こう。



自分の外見がこの先どのようなものになろうとも、


それを受け入れられる勇気、


それも私のものだと強く愛していける力を、


神さま、どうか私に与えてください。