地震雷火事原発 | aiko★のひとりごと

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く そ ぶ ろ ぐ

本当なら震災から一ヶ月目の4/11に更新する予定でした。

しかし、私の住む福島県いわき市は今月11日と12日に
マグニチュード7.0、最大震度6弱という
巨大地震が二日連続で起きました。

しかも、今回の地震は余震ではなく、
311の大震災の影響で生まれた
新たな断層においての地震だというからまたびっくり。

ちなみに411以前までのいわき市は、
徐々にではありますが平穏を取り戻しつつありました。
流通も部分復旧し、開いてるお店も増えて旦那も仕事を再開。
続いてた断水も90%復旧。原発も好転はしないものの小康状態。
私の家の片付けも床に平詰みしてたCDを片付け終わり、
ようやく震災前の状態に戻したところでした。

なのに!!!

当時私は近所のスーパーで買い物中でしたが、
震災の時よりも怖かった。あの日は天気も悪く雷も鳴り、
それでなくても嫌な日だったのに…。

ジワジワと強くなっていった震災時の揺れに対し、
411の地震は急にズドーン!という揺れで一気にグラッときました。
咄嗟にカゴを落とし、娘を抱きしめてしゃがみこんだのですが
まだ揺れる揺れる。とにかく揺れる。次の瞬間、
お店の電気がバチン!と凄い音をあげて全て消えました。

「キャーーー!!!」

年甲斐もなく叫びましたよええ。
非常電源で電気がつくまで20秒くらいかな。凄く長く感じました。
目の前には30代くらいの女性が青い顔で携帯をいじって居て、
あたしは呆然と辺りを見渡しながらゆっくり立ったと同時くらいに
「また揺れくるから早く外出てー!」という声。
棚とかを見るとまだ揺れてる。
そこからは店員さんに誘導され、店外へ。

目の前のお店も電気が消えており、停電になったことを理解。
震災の時でも停電にならなかったのに…その段階で恐怖感MAX。
家や旦那の心配よりも先に出たのは原発の懸念。この地震でオワタ…
とあの時はマジで思いました。

娘は泣き叫んでたけど、全く気にも止められなかった。
旦那に連絡しようにも携帯が完全にダメ。
(震災時はSoftBankのみ繋がってた)
Twitterを見る余裕もなく、
その場にしゃがみこんでしまいました。

30分は店の軒先にいたかな。
あんまりその辺は覚えてないんだけど、次に冷静になった時は
娘をパートのおばさんがあやしてくれてました。

その後は車に乗って帰宅しましたが、
信号も全て消え、仕事を切り上げた人たちで大渋滞。
本来なら5分で帰れるところ30分以上かかって帰りました。

恐る恐る家のドアをあけると案の定いくつかの棚が倒れ散乱。
昨日片付けたばかりのCDが再び散乱。散乱散乱散乱散乱。
震災の時よりは荒れませんでしたが、
本当絶望とはこのことだなと思いました。
連絡の取れなかった旦那も帰宅し、第一声は、、

「笑うしかない」

幸いにも電気はすぐ復旧し、
再び大規模断水になると言われてましたが、ならず。
「片付け慣れ」したおかげでその日のうちに片付けも完了。
心配していた原発も目立った被害はないとのことで一安心。
宮城でも7日に最大余震があったし、
「もうこれで終わりだろ」なんて言いながら寝ました。

そして12日昼に再び震度6……

もう言葉がなかったです。
二日目は揺れが短く11日よりはひどくありませんでしたが、
もう恐怖より呆れ。呆れて何も言えねえってやつでした。

311大震災よりも411大地震のほうが怖かったし、
かなり気が滅入りました。
その後の余震も必要以上に怯えてしまい、
数日は何にも手につかなかった。
震災から復興を目指してもまた壊される。
そういう恐怖感でいっぱい。
あれから10日以上たった今もそういう思いは拭えません。

けどみんなタフになりました。現在街はほとんど元通りです。
学校も始まり、街の活気も震災以前のものになってきました。
どこかで「またくるんじゃ」と思いながらもみんな頑張ってます。

原発はまだ悪化の可能性を残しつつの小康状態だし、
あれからまだ余震が一回も無い日は一日もありません。

けど生きてます。

もう人間、命あれば十分だなと。
ここまで本当に酷い目にあってる福島県だけど、
命あれば何回でも直せます。

この一ヶ月で学んだことはそういうことです。

おい地震!霊鳥類なめんな!!


次からは普通の日記が書けますように。。