急いでいる時に 大切な途中経過を抜かして 失敗してしまうことですが、合気道の技を掛ける時も早く倒したい、早く制したい気持ちが先に立ってしまい 反撃されてしまう未完成の動きになってしまいます。たいていの場合は受けが気遣って(忖度して)倒れてくれますので上手くいったように思ってしまいますが 本当はとんでもない失敗を犯していることが多々あります。物事は順序を踏んで丁寧に事を運ばないと失敗します。例えば一教の表の作りは二教→三教→四教→一教です。そんなことは無い、触れた瞬間に受けを腹這いにできると言う師範が多いと思いますが習字で例えると私の例は楷書です。触れた瞬間に腹這いにするのは草書です。初心者には楷書を丁寧に習う「急がば回れ」の稽古をお勧めします。    

 切れる刀以上の刀を求めた刀鍛冶師、大隅記念館全景


合気道は強くなることを目的にした武道ではありません。合気道を創始した植芝翁は「合気道の精神の中で・合気とは愛なり、天地の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ。合気とは自己に打ち克ち敵をして戦う心無からしむ、否敵そのものを無くする絶対的自己完成の道なり、而(しか)して武技は天の理法を体に移し霊肉一体の至上境に至る技であり道程である。」このような言葉を残しています。これは自己完成の武道であり禅の悟りに通じる精神です。強くなろうという意識は体に不自由を与え上達の妨げになります。合気道の上達を目的に上手くなることを中心にした稽古が大切です。里見道場では強くなろうと稽古をする人はおそらくいないと思います。上手くなろうとする人だけが来ているからです。

 杖の型 陰の手(左手)
 
杖の握りは陰(手前の手)のほうが大切な場合が多い。陰と陽がはっきりしていないと陽も生きない。左右の手を上下に構えたときに、陽の手で相手を攻めると思われますが、実は陰の手で崩す。派手さはないが、より確実だし、特別な力は必要としない、スキも無い。こっちの手〔陰〕が大事。そういうのが合気道の稽古の中に全部ある。合気道はよくできた稽古だと思います。実際に杖の操作の中心は陰の手です。前手は杖を動かす時の支点として、そして、舵取りです、本当に杖で突く、たたく具合は陰の手の技術で決まります。入身や小手返し、四方投げも陰の手が中心になります。

合気道の稽古は攻撃側(受け)を陽とし、守勢側(取り)を陰として稽古をすること。取りも受けも互いに近づくことで陰陽の法則は成立します。取りは自分の体を陰として陰の中心を発揮して受けに対応することが肝要です。見せない部分が大切であることは袴をはいて膝等を隠していることからも理解できます。陰はいろいろな面で重要な役割を担っています。白鳥は優雅に泳いでいますが水面下では両足で一生懸命水をかいています。


人間は少しでも解ってくると初心者にアドバイスしたくてムズムズしてきます。「どうして周りの人はもっと助言をしないのだろう」「ちょっとアドバイスするだけで、ずいぶん変わるのに」と。でも、決して自分からは、相手にアドバイスをしてほしくありません。聞かれた時にはプライドを捨てて師範を呼ぶべきです。道場の唯一の指導者(責任者)である師範に任せるべきです。「向上心のある師範は日々進化しているので以前と違う説明の場合が多々あります。」私が初心者の時の経験ですが、先輩達の説明の違いに迷ったことがよくありました。今振り返ると全ての人の説明が曖昧で正しく無かったのです。知ったかぶりをしないこと、言いたくても言わないこと。「あなたはこういう点がダメで~」ときつい言葉で言い始めたら、間違いなくその人との関係が悪くなります。私からすると偉そうにアドバイスをする人は大変困ります。そうしないように常に目配りしていますが難しいところです。その人のその時の実力でのアドバイスであり参考にすぎません。私が前から言っていることを、自分の意見のように俺はこう思うんだけどと説明しているのが聞こえたとき「むかっとしました、まだ未熟なのかも」とにかく、上から目線でそれを他人に押しつけてはいけない、学生だから、初心者だからと威張らない、肝に銘じてほしいと思います。この指導方法は私のような個人道場での話です。公共施設を利用し、曜日によって指導者が変わるサークル的な稽古場は個人道場とは別物ですから参考にしないでください。
 

日本で初めて(708年)秩父から銅が産出されました

羊太夫、藤原不比等の名が残る多胡の碑は(711年)に建立しています。

受けの取り方が、非常に硬い人〔すぐ力んでしまう〕、わざと力を入れて崩れまいとする人がいます。無意識に後ずさりして力点を外す人もいます。確かに、業を掛けて相手が崩れないのは掛け手の未熟であることに違いはありませんが、あくまで稽古ですので、正しい理法の追及でなければなりませんが、未熟な人にとって、力点を外されることは たまったものではありません。稽古にならないからです。業を掛けられている人は相手の弱点、まずいところがよくわかるものです。「例えば座取り呼吸法の稽古を私とやった場合、私が本気で抵抗したら稽古になりません。」それでいいのでしょうか、答えは違うと思います。倒れなければ私を恨んで帰って行くと思います。「稽古は基本的にゆっくりやっているので抵抗しやすい、逃げやすいこともあります」全部倒れることは相手のためにならないし、倒れなければ気分を害して恨んで帰って行くと言う事です。「正しい倒れ方とは、相手にもしスキや未熟な点があればここは直したほうがいいよということを伝え、倒れてやることです。わざと体を硬くして抵抗するのは、自分にとっても、相手にとっても良いことではありません、あくまで合気道は理合の追求です、力を抜くところは抜く、入れるところはいれる、全部抵抗するなとはいいませんが、せいぜい一回の業の稽古で1回程度で十分です。」合気道は試合がありませんので稽古の姿勢次第で進歩が違います。稽古の時間だけは真剣な気持ちを保持してお互いに違和感の無い和合の合気道を稽古してほしいと思います。

メーテルリンクの童話、遠くに探しに行ったが青い鳥はいなかった、戻ってから近くにいることに気ずいた話。私も他の人も、日本のどこかに武道の達人がいるのではないかと本やビデオ、インターネットを頼りに訪問したが本物に会えずに終わった人が多いと聞く。植芝開祖も修業時代、日本中の名人、達人に教えを請うために訪問したと大先輩から聞いたことがあります。しかし、もったいぶってなかなか教えず、結局たいしたことは無かったとのこと。しかし、この経験と諦めが自分の探求心になってくる。私の諦めは植芝開祖のことば「天の理法を体に移し霊肉一体の至上境に至る技であり道である」に繋がっていきました。青い鳥は自分の中に住んでいると気付いた時に心機一転 新しい合気の世界が生まれると思います。天の理法とは宇宙の法則が先生であること。人が気がついた宇宙法則、人体の法則(つぼ等)はいろいろな合気を教えてくれます。


 

田宮流居合目録(田宮長勝・林崎甚助門弟の上州出身の田宮平兵衛業正の子)の中に「居合とは、人に切られず人切らず、ただ受け止めて平らにせよ」つまり、人を切ると言うよりも、そういう難に合わないように心掛けることが大切だと言っています。田宮流の必勝法は戦わないこと、争いに巻き込まれそうになったら全力で回避せよと教えています。太刀を抜かずに勝ちを制する考え方です。相手が屁理屈を言ってきても、怒ってはいけない、理を尽くして言い聞かせよ。それでもダメな場合は? 刀を抜くしかない。そのためには いざと言うときのために武術を極めるとともに 精神修養にも重きを置き、どんな場面でも心を平静に保ち、怒りを発しないように稽古を積むこと。丹田を鍛えることは日本では大変重きを置きます。合気道の地道な稽古の中にたくさん含まれていると思います。平和ぼけした日本人は力が正義、勝てば全ての犯罪は無効になることの事実が理解できていない人が多すぎる。歴史を振り返ること、どんなに汚い戦いでも、勝者はへりくつをこねて正当化してきたのです。
 居合術元祖林崎甚助、一宮流免許皆伝書 田宮流は林崎甚助重信の次に名前が入るはずです。写しを里見道場に掲示中


最近のウォーキングは「できるだけ大股で歩きましょう」です。しかし、大股で歩くことは武道ではありえません。その理由は、筋線維の収縮のし方には、瞬発力のある「速筋」と、持久力のある「遅筋」に分けるという考え方があり、速筋は身体の表面に多く存在し、すばやく収縮することができますが、疲れやすく、筋肉痛の原因にもなりやすい。一方、遅筋は身体の奥に多く、収縮はゆっくりですが、疲れにくい“省エネタイプの筋肉です。「立つ」「歩く」「坐る」といった日常の動作に必要なのは、遅筋を中心とする筋肉です。中高年の場合、速筋ではなく、身体の奥にある遅筋を主に鍛えたほうがいい。ところが大股歩きでは速筋を中心とした筋肉が使われます。速筋は疲れやすく、肉離れを起こしやすい。姿勢も悪い。立ったときに、重心が左右の足の中心に落ちるように、また、横から見ると、耳のうしろ、肩、膝の皿のうしろ、そしてくるぶしが一直線上になることが重要ですが、この姿勢を保つには小股で膝をゆったりと伸ばして歩くことが基本です。歩幅を大きくすると姿勢が崩れ、歩き方もおかしくなってしまいます。姿勢と歩行は表裏一体。正しい姿勢は正しい歩き方の前提条件です。合気道の入り身、転換の動作はおしりの筋肉である大殿筋を意識することがポイントだと私は考えています。タメを作って飛び込む(速筋)よりも小股で近づく遅筋の(拍子)リズムを身につけることをお勧めします。へたな師範演武のほとんどが大股で投げているのは投げようと言う気持ちが大股にしてしまっているからです。合気道の達人は投げていないのです。

久しぶりの武道館での演武会に群馬県合気道連盟を代表して弘道館里見道場の小林指導員が演武することになりました。当日の観覧はできませんが、ユーチューブで公開されますのでご覧ください。