このロックアートは原始のヒンドゥー教徒が描いたと考えられている。
インドラ神などの姿も認められる。
描かれた時期は、千年から二千年前。
なんとも大雑把な。
千年の誤差。
これが歴史の真実。教科書では「◯◯年頃」とハッキリ書かれていても、実際は岩の地層などから憶測するしかない。それは、思うほど簡単では無いのだ。
もしも千年前だった場合、
たった今見てきたばかりの仏教ゴンパよりも新しい可能性もある。
それにしては稚拙なロックアート。
たった3キロしか離れていない場所で。
「そんなワケは無いだろ! このロックアートの方が古いに決まっている」
と言った私に、マイケルは分かりやすく説明してくれた。
仏教徒とヒンドゥー教徒は交わらずにそれぞれの集落で生息してきた。
ヒンドゥー教徒が、いつの時代にこの場所に現れたのかは確かではないが、初めて人類が絵を描くときは必ずこのロックアートのように単純なものが出来上がる。
世界中で同じような古代絵画が発見されている。
赤子が初めて描く絵と同じ。
それが千年前か二千年前かはまだ分からないんだ。
仏教徒はカシミールで既に発展していた当時トップの画家を呼んで来ているが、
この土地土着のヒンドゥー教徒はまだ未発達だった可能性もある。
「それならば、このスピーティ地区では、ヒンドゥー教と仏教のどちらが早く発達したの?」
と質問すると、
それが僕の研究している事なんだ。
と言われた。
そんな事も簡単に答えが出ない。
そんな単純な答えを探すために、様々な知識を駆使して研究する。
インディ・ジョーンズに憧れたかつての私に教えてあげたい。
考古学って難しい。
しかし、南から来たヒンドゥー教と北の仏教の交わる地点。
確かに興味深い。
カナダ訛りの英語は私の耳には難しい。
しかし、まるでテレビに出てくるハリウッドスターのような流暢なマイケルの英語が今も耳に残っている。