私は翌日帰りたかったので、バスの予約時間、夕方5時半から6時半の間にカザに戻れるなら。
とゆう条件で加わりました。
ゴンパの行事に行かなくてはいけないとヒステリックに大騒ぎして町中に助けを求めていたパウリーナも、呆気なく付いてきました。
が、予定時間になっても出発の気配なし。
さすがインド。何を待っているのか分からない。
最終的にパウリーナの準備が1番遅くなり、なんとか出発。
その後でパウリーナが途中のゴンパに5分だけ。立ち寄って欲しいと。
ゴンパに立ち寄り。
待つことしばらく。
やっと出発1時間近く遅れた。
メンバーの1人、カランの宿で農夫をしているおじさん。娘さんが私のバンスリの生徒なので、それなりに仲良くしていたのですが。
素朴なおじさんも、慣れてくると少しづつ馴れ馴れしくなる。
肩を叩くような軽いボディタッチでさえ、インドにされると嫌な私。
相当トラウマが溜まっているのもあるが、インド人女性にしないことを外国人にするのが気にくわない。
道の途中で学のあるインド人2人を拾う。
カランの大きなワゴン車も満員。
渓谷を走る。
そして、当然車酔い。
車は約1時間走って目的地に到着。
とても古いゴンパ(仏教寺)
997年に建てられたと言う。
かつてこの地域には沢山のゴンパがあって仏教が栄えたのだが、ほとんどはヒンドゥー教の侵略にあって破壊された。
この村のゴンパだけは、奇跡的に見つかららずに破壊されなかった。
千年以上前に建てられたそのゴンパの中は、驚くほど鮮やかだった。
(撮影禁止で写真は撮れず)
四面壁を覆うのはブッダの歩いた道。
ブッダの教えを描かれた色鮮やかな壁画で覆われている。
この絵は、カシミール地方から画家を読んできて描いたそう。
そして、寺を守る神々の像が並ぶ。
メインの仏像は黄金に輝いていた。
そこにひれ伏せずにはいられない神々しさ。
仏像の後ろはほそい回路になっていて、千のブッダが壁一面に描かれていた。
このゴンパは伝道師ティーシャのグループによって建てられた。
ティーシャによって、モンゴルに伝えられ、パキスタンまで教えが届いた。 仏教が栄光を誇った時代。
マイケルの解説を、私達のグループだけでなくて、修行僧も混ざって聞く。
絵やシンボルで分からないことは、そのゴンパを守っている仏僧に聞く。
外の世界で仏教が衰退して行く中、交通の不便ゆえに誰にも邪魔されずにこのゴンパを代々守ってきた僧たち。
渓谷に建てられた古代の建築物は壮大なロマン。