日本では感じたこと無いが、
インドにいるとヨガとゆうものを信じられなくなる。
それくらい、悪意でヨガとゆう名前を利用する人が多い。
何度も悲しくなって、投げ出しそうになった。
そんな時に、ヨガを信じさせてくれた人がいる。
ビシャルに何度もヨガを教えて欲しいと頼まれるが、なかなか頷けない。
彼が毎朝、1時間お寺に座っている姿を見て、
私も夜お寺に座るようになった。
バンスリの練習は、プラナヤマの練習よりもずっと集中して呼吸をコントロール出来るし、
何時間でも正い姿勢で座っていられる。
今まで、自分が練習していると思っていたアサナやプラナヤマの浅さが身にしみる。
どちらも2時間も集中を切らさずに毎日続けることなんて出来ない。
その程度しか、まだ練習してきていないのだと実感させられる。集中力も、肉体的にも。
でも、その練習がバンスリを助けてくれた。
インドの練習事は、時間が長ければ長いほど良いのか?
と疑惑を持ったことがあるが。
10時間瞑想出来ると自慢するヨギー達。人生ってなんだろう?と思う。
インドでは、人生の大切な時間を沢山浪費する程素晴らしいのか。
そもそも、私たちが思うほど人生の時間なんて尊く無いのか。
私には、何のために1日中バンスリを吹くのかなんて答えが見つからない。
でも、ビシャルは見つけた。
私には、全く見えない何かが見えていて、それを私に見せようとする。
彼がお寺に座っている時も、バンスリを吹いている時も、グルジの話をしている時も、何も違和感がなく美しい。
この汚れた世界で。
世の中が不条理で不純であるほどに、染まらない純粋な美しさが引き立つ。
誰も信じられない世の中だったら、なんでヨガなんてやるの。
と泣きついた私に、
「だから、あなただけは正しくヨガをしなさい。」
そう言ってくれた人。
どんな立派な練習をするかじゃなくて。
シンプルなもの程難しい事を教えてくれた。
今は、どこでヨガをするのか。
それを考えさせられる。
今の私は、やっぱり、インドでヨガの実践がしたいと深く思っている。