7/5/2013 悲しみのヨガ | ○●ガネーシャの栖〜ヨガとバンスリと〜●○

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お絵描きはちょっと休憩中。
ヨガにぞっこんな毎日。
バンスリを吹いたりして時間を過ごしています。


哲学分野は別ブロクに引っ越しします。
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ヴァカバットギータの第一章 は
"Yoga Of Sorrow"
"Yoga Of Despondency"
悲しみのヨガ、失望のヨガ
と呼ばれています。

人間の一生は、
「苦しみ、苦しみ、苦しみ、喜び、また苦しみ…。」
こんな感じ。

全てが苦しくて、心にはストレスがいっぱい。

人が心に悲しみや苦しみ、痛みを抱えた時、精神的なものを求めはじめる。

そうやってヨガに辿り着く。

人生が幸せに満ち溢れていたら、その人はヨガなんてしようとおもったりしない。


つまり、ヨガはスタジオに通った時、ヨガクラスを受けた時、瞑想を始めた時にスタートするんじゃない。

人生の全ての時間に、今まで生きてきた長い時間で起こった沢山の経験、苦しみや悲しみ。

その一つ一つの経験からヨガが始まっている。

それは、新しい自分を見つける為に起こっていること。

失望を経験しないと、神(神とは本当の自分)には出会えない。



そう言われても、生きてる限り悩みや苦労は消えない?

その悩みは?
常に人は未来の心配をするから悩む。これは全ての人に共通していること。(ヨガスートラによると、どんな偉人でも死への恐怖は必ず抱くと。)

未来への不安。
まだ起こっていない事へ悩むこと。どれだけ悩んでも何が起こるのか分からないのに。

未来への心配。
それは、今この瞬間に生きていないということ。 未来への執着に囚われて今この瞬間を見つめることが出来ていない。

真実は今この瞬間にある。
外にはなくて、自分自身が真実。

不安に心を奪われないように。
それが出来るように、自分の心をコントロールする練習がヨガ。
ヨガをやっている人は、今までの自分を決して批判することは無く。
過去の出来事も、今の感情も、全て、純粋な本来の自分を見つけるために必要なプロセスなんだと。
忘れてはいけないんだね。



ちなみに。。。
アシュタンガヨガの元になった
サンキャ哲学によると、プルシャ(本来の自我)がいかに素晴らしいかをプルシャに気付かせてあげようとプラクルティさん(自性)が思いついて。プルシャにくっついて、色々な心や感覚を与えたそうです。それで、欲や悲しみを経験させて、プルシャさんがそれから逃れる方法を自分で探させて(これがヨガ)。最終的に、純粋なプルシャがどんなに素晴らしいものなのか自分で気付かせてあげようと。

なんてお節介(´Д` )

とゆうか、サンキャ哲学はロジカルで理屈っぽくて色々難しい(笑)