グル | ○●ガネーシャの栖〜ヨガとバンスリと〜●○

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お絵描きはちょっと休憩中。
ヨガにぞっこんな毎日。
バンスリを吹いたりして時間を過ごしています。


哲学分野は別ブロクに引っ越しします。
http://blog.livedoor.jp/yukamangalam/

シャラの入り口に貼ってある言葉の一つ。

「いい先生に出会うのは難しいが、いい生徒に出会うのは同じくらいとても難しい。」

良く分からない言葉だと思っていたが、昨日200時間の生徒に向けてこのことを話していた。
一緒に聞いていたが、いまいちガッテン出来てなくて。
一緒に聞いていた同級生に解説してもらったのだが。やっぱりよく理解出来ず…。最終的に、なぜなぜ坊やな私に
「心配しなくてもあなたは良い生徒だから大丈夫。」
となだめられてしまった。
知りたいのはそこじゃなかったのだが…。



プラナヤナの授業での質問。
「プラナヤナの練習は逆に体に悪い影響を与える事があるから危険だと良く本に書かれていますが。」
それに対してグルジは、
「なぜ危険?それは、ちゃんとアサナやクリア(クレンジングエクササイズ)で身体の準備を充分に整えていないのに本などから得た知識で勝手にやるからいけない。だからグルジがとても大切。きちんと見極めが出来るグルジの元で、指導に従えば何も危険では無い。」
と言っていた。
数日前、私が胃の病気から復活した日にはno retention(クンバカ禁止)を言われた。私は始めてだったが、他の生徒はけっこう色々ストップかけられている。
オーダーメイドの指導って本当に必要だと感じる。



良い先生に会えないと言えば、「ヨーガ根本教典」にも同じ事が書いてあった。
ヨガの修業は良いグルジの元で行うのが絶対条件だが、良いグルジになかなか出会えないのは昔も同じだったようで、グルジを見つけられない修行者への救いの道がグルのグルである自在神への祈念。グルジの存在を信じてひたむきに修行する道。その自在神を言葉にしたのがオーム。(PYS1・26&1・27)。

幸い私は「良いグルジに出会えない」なんて思ったことが一度もないが、グルジ達と一緒にオームを唱える時、すごくグルジが近く感じる。繋がりを感じる。

インドの伝統通り、ヨガはグルジから生徒へと代々伝えられてきた。かのアルダマツェンドラもパタンジャリも同じように。その出発点はオーム。全てを教え与えてくれる存在。

継続してひたむきに教えに向かう姿勢が「良い生徒」ならば、自分のグルジが常にそれを見せてくれる。今は自分のグルジがいないのに、全くぶれずに教えに向かうグルジ。

ちょっと貼り紙の言葉を選んだグルジの考えが分かった気がする。
もっと見習わなくちゃ。