私は、大学でフランス語を勉強したおかげで
英語のボキャブラリーがかなり豊富になったという話を
以前、書きました。
参考:
英語に行き詰まっている人は、フランス語やるといいよ!という話。
で、今日は、
私がそもそもなぜフランス語を勉強したのか、
そして何があったのか、大学時代の話をしたいと思います。
大学受験当時、私は、
教育学部を志していました。
でも、センター試験で失敗し、
かわりに、
フランス語を第一外国語として勉強することになりました。
なぜフランス語か・・・というと、
深い意味は全くありません。
全くそんな予定はありませんでした。
センターに失敗して落ち込む私を元気づけようと、
たまたま塾の先生が、
「フランス語とか
やってみたらいいんじゃない?」
と冗談で言ったのを、真に受けたからです。
(※ちなみに、それに関しては今は
その先生に本当に感謝しています!
フランス語を勉強してよかった!!)
研究室には何人か教授がいましたが、
今でも強烈に覚えているのが、
フランス人のケニー先生(仮名)です。
50代くらいの独身の男の先生でした。
とてもおしゃれで、いつもベレー帽をかぶって
香水のいい匂いをまとわせて
ブランドの洋服を上品に身につけていました。
いつもきれいに整えられたあごひげも、
渋くてとても素敵でした。
雨の日には、
長靴をはいて大学に来ていましたが、
長靴をあんなにおしゃれに履きこなす人は、
私は後にも先にも見たことがありません。
そして、欧米人で
とてもおしゃれ、頭もいい、顔もいい、
なのに独身という人たちは、
・・・たいてい、ゲイです。
ケニー先生も、おそらくそうでした。
(それに対するジャッジの話ではありません)
ケニー先生は、指導経験が豊富で、
授業は毎回、とても充実していました。
・・・ただ、
男子の名前はバッチリ覚えて、
ちゃんと名前で呼ぶのに、
女子の名前は全く覚えてくれなくて、
全員「マドモワゼル」でしたけど。
そして、そのケニー先生、実は、
日本語を一切しゃべらない先生でした。
日本に長く住んでいたので、
日本語はそこそこ出来たはずなのですが、
全く日本語が分からないふりをしていました。
おそらく、外国語である日本語を
学生の前では封印して、
威厳を保っていたのだと思います。
でも私たちは
大学で初めてフランス語を習う初心者。
日本語を話さないで、どうやって授業をするのか。
初めからフランス語のみで教える、
というスタイルも有り得ます。
でも、フランス語が全く分からない人に
フランス語で教えるのは、とても効率が悪いです。
(フランス語に限りませんが)
日本語をしゃべらないケニー先生はどうしたか。
なんと、最初の2年間、ケニー先生は、
英語でフランス語を教えました。
そして、3年生から突然
フランス語オンリーの授業に切り替わりました。
英語さえ満足に聞き取れないのに、
英語でさらに新しい言語の説明がなされる
ケニー先生は、フランス語訛りはあるものの
英語はペラペラでした。
(噂では、ドイツ語もペラペラだったそう)
当時の私は、リスニングが本当に苦手だったので
毎回授業の半分くらいしか理解できず、
出された宿題もよくわからないという状態でした。
さて、このケニー先生、
とても教えるのが上手で、ユーモアもあり、
私は授業がとても楽しかったのですが・・・
突然、
鬼に豹変するのでした。
遅刻をする学生がいると
顔を真赤にして怒り、
「そんなやる気のない学生はいらない!
今すぐ教室から出て行きなさい!」
と追い出す。
宿題を忘れようもんなら、授業では
完全にアウトオブ眼中。
(怒られるより、無視される方がさらに堪える)
ケニー先生のあまりの厳しさに、ついていけず
途中でドロップアウトする学生がたくさんいました。
噂では、昔はもっとひどくて、
指名されて答えられない学生に向かって
教科書を投げつけていたそうです。
同じ研究室の先輩たちは、
「あれでも、年取って丸くなった方よー。
昔と比べたら、楽勝!」
なんて言ってましたが。
教科書を投げるって・・・・・
辞書じゃないだけ、マシかな・・・・・・・
そんなある日、
私はこの「鬼」ケニー先生に対して、
今思い出しても、
背筋が凍りつくようなことを
やらかしてしまったのです。
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