最期に立ち会えなくても…ゴミ袋から助け出し13歳と11カ月で看取った保護犬に今思うこと | トピックス

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身近で起こっている動物に関する事件や情報の発信blogです。

2025年5月2日 FRaU

 

東京都、千葉県、福島県を中心に、動物の保護活動を行っている坂上知枝さん。「人間の世界で暮らす動物たちが、心身ともに健やかで、そして穏やかでいられる社会を実現したい」という思いで、2020年に、一般社団法人動物支援団体「ワタシニデキルコト」を立ち上げ、行き場をなくした保護犬・保護猫を救い、新たな家族とつなぐ活動を続けている。

 

実家を出た坂上さんが飼っていた勘太(左)と臍の緒がついたまま、ゴミ袋に入れて捨てられていた大食。写真提供:ワタシニデキルコト(現代ビジネス)

 

  【写真】ゴミ袋の中から拾われた大食は坂上さんの娘を見守る家族となった 

 

坂上さんに、毎月、保護活動の実態や、保護犬・保護猫とのエピソードを伺う連載。 

 

前回は、ワタデキが、病気やケガを負った、それも重傷で治る見込みの薄い動物を、里親希望者が現れない前提で積極的に引き出している理由についてうかがった。 

 

高額な医療費と多大な労力、先のみえてしまった仔に、なぜそこまでやるのかの問いに、坂上さんは、「大学生の時に、チビリンという犬と出会ったことが大きいように思います」と答えている。 

 

今回は、坂上さんに「腕の中で最期を迎えさせることだけが看取りではない」と気づかせた、2匹の犬との思い出をお伝えする。

へその緒の付いた子犬がゴミ袋に

「二十数年前、勘太というゴールデンレトリバーを飼っていた」 

 

結婚を機に実家を出た坂上さんは、勘太という名前のオスのゴールデンレトリバーを飼い始めた。その勘太が1歳の頃、散歩中に、近所の人から声をかけられる。ゴミ収集場でもぞもぞ動いている袋があるので、一緒に見てほしいというのだ。 

 

袋を開けてみたところ、まだ臍の緒が付いた状態の生まれたての子犬が4匹入っていた。2匹は仮死状態だったが、坂上さんが引き取りかかりつけ病院に直行、みんなでこすりながらドライヤーで温め、4匹とも命がつながった。 

 

「勘太は、辛抱強く、やんちゃな4匹の子犬の相手をしてくれました」 

 

3カ月後、子犬たちはそれぞれ新しい家族の元へ行き、1匹だけが坂上さんの手元に残った。「それが大食(たいしょく)でした」。 

 

勘太と大食は仲良く暮らしていたが、4歳の誕生日の前日に勘太は高カルシウム血症を併発した悪性リンパ腫を発症。5ヶ月の闘病ののち息を引き取った。 

 

「勘太のことが大好きだった大食はそれから半年間、食餌と散歩以外は暗い物置部屋の奥にこもり出てきませんでした。勘太がいた頃は、2時間でもやり続けていた、大好きなボール遊びもその日から一切やらなくなってしまって。私も大食と同じで、当時、1歳だった娘を寝かしつけた後、毎日泣いていました」

30分留守にしていた間に

勘太の病気が発覚してから、坂上さんはカテーテル導尿や床ずれ予防のマッサージなど、24時間介護をしていたという。 

 

「娘にも我慢をさせていたので、義母に留守を頼んで30分ほど娘と公園に出かけている間に勘太は息を引き取ってしまいました。さみしく旅立たせてしまったのではないか、もっとできることがあったのではないか、そして、たった4年で亡くなってしまったことへの悔しさ──。娘や大食の前では泣けないと昼間は頑張っていても、夜中になると、いろいろな感情が押し寄せてしまって。 

 

でも今は、死に目には会えなかったけれど、勘太は私たちの愛情をちゃんと理解して旅立ったと確信しています。愛犬や愛猫を孤独に旅立たせてしまい、悲しい思いをしている人もいると思いますが、動物はちゃんと私たちの愛情をわかっているはず。 

 

最期の時に飼い主に会えなくて悲しいとかさみしいとか、そんな気持ちは抱いていなくて、きっとありがとうと思ってくれていると思うんです」 

 

人間が愛情を注げば、動物はもっと人間が好きになり、そして、信頼できる存在だと思ってくれる──。坂上さんはそう信じている。 

 

「人間が想像するより動物は、たくさんのことを理解しています。 

 

私は動物に心を許してもらえるタイプだと自負していますが(笑)、それは私自身が動物を信頼しているから。動物って、シンプルだから、彼らのためを思って行動すれば、ちゃんと心を開いてくれます」

「治療をしない」ことも選択のひとつ

勘太が亡くなった後、元気をなくしていた大食だったが、半年後、犬友から声がかかり、坂上さんは迷子になっていたところを保護された仔犬を飼い始める。 

 

「それがびっくりするほどハイパーで陽気な仔で、私も大食も落ち込んでいる場合ではなくなりました(笑)。大食もその仔のおかげで部屋から出てくるようになり、だんだんと元の大食に戻っていきました。ただボール遊びだけは二度とすることはなかったですね」 

 

その大食も、13歳と11か月で天国に旅立った。 

 

「大食も看取ることができませんでした。長く闘病していたのですが、亡くなる2日前まで普通に散歩をしていました。 

 

でも抗がん剤の副作用で緊急の輸血が必要になり、病院で亡くなってしまって。最後の抗がん剤をしなければ、もっと穏やかに最期を過ごせたかもしれなかったかと思うと大食に謝りたい気持ち、そして自分を責める気持ちがこみあげてきました。 

 

抗がん剤治療は、先生方の意見も聞き、悩みに悩んで決めたことでした。決意した時の光景は今でも鮮明に覚えているほど。 

 

大好きな大食にとって、何が一番かを考え抜いて選んだ──、だからこそ、今は、その時の私たち家族にとっての最善の選択だったと思っています。 

 

大食は、娘の子守りもしてくれる神様のような犬でした。また会いたいな」 

 

何度経験しても治療やケアの選択は難しいと坂上さんは話す。

 

「毎回、『治療をしない選択』の難しさに直面します。ただ、たとえ、命が数日、あるいは数週間短くなってしまったとしても、家族のそばで、慣れた場所で過ごさせてあげたいです」 

 

動物たちが、愛されていることを実感しながら穏やかに最期を迎えてほしい。その思いが、坂上さんの活動の原動力となっている。