「最初は吠え立てるだけだった実験犬が、散歩や食事を楽しみ他の犬と遊んでいる」…いま日本で「実験犬 | トピックス

トピックス

身近で起こっている動物に関する事件や情報の発信blogです。

2025年3月18日 現代ビジネス

はしゃぐ「ネロ」~元気で人懐こい元実験犬~

雪見と同じ元実験犬で、今はペットとして幸せに暮らしているビーグル犬が「ネロ」だ。10歳の雌で、北里大の元学生で今は東北地方で働くAさんが引き取った。
ネロ(現代ビジネス)
 

前編記事『「散歩が大好きで元気な《しょうゆ》を家族にしたい」…ある獣医師の「勇気ある行動」が実現した「実験犬の譲渡制度」』から続く。 

 

Aさんは「ネロはすごく元気。2~3歳の子犬のようにはしゃいで、人懐こくて明るい」と話す。ネロちゃんの写真を見せてもらった。生き生きとした表情でピンクのハーネスが似合い、なんとも愛くるしい。 

 

Aさんは、雪見の飼い主の島さんと同じ犬猫保護活動を行う「北里しっぽの会」のメンバーだった。実験犬の譲渡制度があることを知り、2023年1月に研究室からネロを引き取った。

悩みはトイレ問題

ネロは現在、Aさんが仕事で多忙なため、実家で両親にかわいがられて幸せに暮らしている。ただし、雪見もネロも飼い始めの頃は、トイレの習慣が身についていなかったという。 

 

学生時代の島さんは、大学からアパートに帰ると、雪見は室内のケージ内で、足で糞尿を踏みつけベタベタになっていた。

 

「ケージから脱走していた時は、汚れた足で歩き回って食べ物もあさっていたので、部屋中が汚れていて…。勉強や研究室の手伝いで疲れていたこともあり、一人暮らしで犬を飼う大変さを痛感しました」 

 

雪見を預かっている母の千草さんによると、東京に来た当初は1日に何度もおしっこをする上、留守番中にケージ内でした便を踏んでいることが続いていた。しかし、2年たった今、幾分改善している。 

 

「頻尿は多分、先住犬と先住猫に対する緊張感からで、最近は回数が少し減ってきた。便についても早朝に散歩に連れ出すなど私がペースをつかんだので、以前より頻度は下がっています」 

 

島さんは「大学の実験犬は、ずっとケージで排泄をしていたので、トイレという概念がない。犬は通常、自分が過ごすケージという『快適な所を汚したくない』という習性があるのですが…」と話す。 

 

ネロもまったく同じ悩みがあった。「足が排泄物でベトベトなので、帰宅したら風呂場にすぐ連れていって洗ってあげていた。ケージにもうんちがこびり付いているので、ケージの掃除もしなければならなかった」 

 

Aさんは以前、人をかんだり、飼い主がそばにいないと問題行動を起こしたりする保護犬を預かった経験があるが、「トイレ問題は想像以上に大変だった」。今はケージ内で大便をすると、踏まずにすぐケージから離れるようになった。

 

Aさんは実験犬を引き取ることについて、 「トイレ問題に直面したので覚悟はいると思う。ネロと面会した時、研究室の先生から『相性が悪ければ断ってくれていい。自分が引き取らないといけないと思わなくていい』と言われた。ただし、私には実験犬を救いたいという使命感もあった。後悔はしていません」と言い切った。 

 

私が北里大の実験動物について2018年に取材した時、高井伸二獣医学部長(当時)は同年3月に実験動物施設内にドッグランを設け、週1回30~40分の運動をさせている。今後は運動の回数を増やすことを検討している。毎日のケージ床の清掃時に、犬は10分程度ケージ外の通路を自由に運動している」と答えていた。 

 

現状はどうなのか。同大に現在までの総譲渡数、制度創設によるメリット、散歩の可能性などを質問した。同大は、飼い主になる資格が学生と教職員であることだけは認めたが、その他の質問に対しては「学内関係者のみを対象に実施しているため、差し控えます」と回答した。

犬猫100匹以上を譲渡

ところで、実験動物の譲渡に熱心に取り組んでいる企業人もいる。米国本社の実験動物輸入販売のマーシャル・バイオリソーシス・ジャパン(茨城県つくば市)の安倍宏明副社長だ。 

 

安倍さんは16年に実験犬・猫の譲渡制度をつくり、取引先の製薬企業から処分する必要がない健康な犬猫を引き取り、これまで(24年12月現在)ビーグル犬88匹、猫19匹の計107匹をペットとして新たな飼い主に渡してきた。「最初の3、4年は見つからなくて大変で、僕の友人、知人から始めました。そのうちビーグル犬好きの人を中心に引き受け先が増えていきました」。 

 

里親が愛犬の写真を投稿するSNSの交流サイトもある。 

 

「マーシャルのビーグル犬は25度前後の犬にとって快適な室内で飼われています」。譲る時の年齢は、実験施設の判断によるが、早くて生後9ヵ月から最も遅くて10歳程度という。

実験犬繁殖の国内企業は?

このような譲渡を行っているのはマーシャルだけなのだろうか?国内で実験犬の繁殖、販売をしているのは、一般財団法人動物繁殖研究所(茨城県かすみがうら市)と、北山ラベス(長野県伊那市)。 

 

実験犬譲渡は「社内のルールでしてはいけないことになっている。譲渡活動については、将来的には前向きに検討したい」(総務担当者)と答えた。 

 

北山ラベスの親会社であるオリエンタル酵母工業(東京都板橋区)は「里親などに譲渡する仕組みはない。今後の検討課題ととらえている」(管理本部経営企画部)と回答した。

実験動物扱う人の意識向上に

マーシャル・バイオリソーシス・ジャパンの安倍副社長は、実験動物の譲渡が「研究者のアニマルウェルフェア(動物福祉)の意識向上にも関連するのでは」と考えている。 

 

22年に実験犬の供給先の6実験施設を対象に里親制度などに関するアンケート調査を実施した。回答者は動物管理部門にいる8人。実験犬猫が将来的にペットになる可能性があること(複数回答)は、飼育担当者らにとって「動物福祉の意識向上」(7人)、「日常の動物の取り扱いの向上」(4人)につながるという結果が出た。

 

国際科学誌「プロスワン」に掲載された20年6月の論文によると、英国の動物実験施設を対象にしたアンケート調査で、回答があった41施設のうち、15~17年の3年間に譲渡されたのは約2300匹で、10施設当たり1施設が実施していた。 

 

種類は、魚が最も多く1277匹、次いで鳥の383羽、猫が171匹、犬が計115匹、牛が64頭、両生類が31匹、ネズミ(マウス)が22匹など。里親制度のメリットとして、「実験動物の生活の質の向上と、職員が動物を殺処分する際のストレス軽減、さらに実験動物の殺処分に対する一般の懸念に対応できる」ことを挙げている。 

 

欧州連合(EU)で使用される実験動物の数は年間790万匹(20年、EU委員会統計)、世界では米国で1億匹を超え、中国が約5000万匹、韓国が約500万匹とされる。日本には統計がない。食用の動物のような世界統計はなく、インド、豪州なども含めると総数は不明だ。譲渡される数はほんの一握りに過ぎない。 

 

それでも、人間のために利用された後、余生をペットとして幸せに生きることができる動物が存在し、譲り受けた人も幸せになれること、さらに実験動物に関わる職員にとっても、「いずれペットになるかもしれない」と思うことで処分するストレスが減り、アニマルウェルフェアの向上につながり、実験にも良い結果をもたらす―。これは大きな意味があると思う。 

 

前出の島あさひさんは、最初に実験犬の犬舎に入った時は「人を見て狂ったようにほえ立てるビーグルたちの迫力に圧倒され、家庭犬としての適性はないのかなと思ったこともあった。でも今は、特殊な暮らしをしている実験犬も人にかわいがられ、散歩や食事を楽しみ、他の犬と遊ぶという、幸せを享受する能力を失っているわけではないと確信しています」と力強く語る。

 

島さん、Aさん含めたご家族の飼い主としての責任感には頭が下がる思いだ。しかし、ここまで大変な思いをしないと実験犬は飼えないのだろうか。

「生理と習性はペットも実験犬も同じ」

「犬との生活は楽しい経験なのに、『実験犬だったから』と飼い主が苦労するのは残念なこと」と語るのは、動物福祉に詳しい田中亜紀・日本獣医生命科学大獣医学部特任教授だ。 

 

「犬は本来、寝る・食べる・排せつはそれぞれ離れた場所でしたい生き物。特におしっこは『どこでやろうかな?』と考える。この生理と習性は実験犬でも同じだが、狭いケージ内では、自分が置かれた状況に順応せざるを得ない。何年もそんな生活をしたら、譲渡後に問題が起きるのは当たり前」と指摘する。 

 

その上で、「譲渡して終わりではない。飼い主に渡すためには、実験動物として飼育中から散歩に連れていく、排せつ・食事・寝る場所を分ける、といった動物福祉を考える必要性がある。獣医大学にとって今は過渡期といえます」と述べる。 

 

しょうゆ、雪見、ネロが嬉々として散歩する姿が目に焼きついている。国内には計17の獣医大があり、酪農学園大、北里大に続き、譲渡制度を設ける動きが出てくることを期待したい。

譲渡の背景にあるもの

実験犬の譲渡は施設内での動物福祉と密接に関係するようだ。しかし、日本の動物愛護管理法では動物実験施設は各施設の自主管理であり、法的な規制はなく、実態は不明である。 

 

たとえ不適切な飼い方や実験方法が指摘されても、行政には立ち入り、是正を勧告・命令する権限すらない。これまで20年近く規制導入の必要性が指摘されてきたが、業界と医系議員らによる根強い反対、農林水産省、厚生労働省、環境省など監督官庁の後ろ向きな姿勢により実現しなかった。今年予定される同法改正でも見通しは極めて厳しい。 

 

実験動物を巡っては、このような深刻な問題があることを付け加えておきたい。

 

森 映子(ジャーナリスト)