2024年8月18日 東洋経済ONLINE
飼っている動物が病気になったら、動物病院に連れて行きますよね。動物病院には外科、内科、眼科など、さまざまな専門領域の獣医師がいますが、獣医病理医という獣医師がいることを知っていますか?
この記事では、獣医病理医の中村進一氏がこれまでさまざまな動物の病気や死と向き合ってきた中で、印象的だったエピソードをご紹介します。
ツシマヤマネコの「つつじ(メス)」(写真:環境省対馬野生生物保護センター提供)(東洋経済オンライン)
【写真】絶滅危惧種のツシマヤマネコの特徴は?額には白と黒のはっきりとした縦じま模様
■人間と野生動物の距離が近い
車を運転したことがある方であれば、これまでにきっと一度は、道路上で交通事故に遭った動物たちの姿を目にしたことがあるのではないでしょうか。
道路管理者(道路法の規定によって、安全かつ円滑な交通の確保を図るために道路を管理する)によって回収されるまでの間、何度も車両に踏みつけられ、見るも無残な状態で横たわっている――それは車を運転していれば一瞬のことですが、しばらく心に痛みが残る悲しい光景です。
日本は国土に豊かな森林が広がっており、多種多様な野生動物が生息しています。しかし、例えば山が切り開かれて道路ができた結果、人間と野生動物の距離は近くなり、さまざまな軋轢も生じます。動物の交通事故死は、そんな人間と動物の軋轢の1つのケースです。
【写真7枚】絶滅危惧種「ツシマヤマネコ」の特徴がわかる写真と、ロードキルの実態、対策について紹介。
道路上で起きる野生動物の死亡事故を「ロードキル(road kill)」といいます。主には車両による轢死や衝突死を指しますが、道路脇の側溝に落ちて転落死や溺死することや、乾燥による乾涸死(かんこし)も含みます。
■希少動物を絶滅に向かわせる要因に
希少な動物にとっては、ロードキルが種を絶滅に向かわせる決定打になることがあります。例えば、ぼくが環境省の協力を得て2018年から遺体の死因調査を続けているツシマヤマネコがそうです。
日本には、長崎県対馬と沖縄県西表島に、それぞれツシマヤマネコとイリオモテヤマネコという野生のヤマネコが分布しています。
どちらもユーラシア大陸に分布するベンガルヤマネコの亜種(同一種でありながら、地域によって何らかの差がみられる種のこと)です。
ヤマネコやトラ、ヒョウなど多くの野生のネコ科動物には、耳の後ろに「虎耳状斑(こじじょうはん)」という白い斑点模様があります。イエネコには虎耳状斑がありませんので、これが野生のネコとイエネコを見分ける1つの指標となります。また、ヤマネコは体型がイエネコと比べて胴長短足で、長く太い尻尾を持ちます。
■100頭前後しか生息していないヤマネコ
環境省の調査によると、ツシマヤマネコは現在、わずか100頭前後しか生息していません。そのため、イリオモテヤマネコ同様、国の天然記念物であり(イリオモテヤマネコは特別天然記念物)、種の保存法に基づき、国内希少野生動植物種に指定されています。
絶滅のおそれのある野生生物の種のリストをまとめた「環境省版レッドリスト」でも、最も絶滅のおそれが高いとされる「絶滅危惧IA類」という評価です。
そんな希少なツシマヤマネコが、環境省が記録をとりはじめた1992年から2024年8月現在までに合計135頭、ロードキルによって死亡しています。地球上にたった100頭ほどしかいないのに、交通事故によって毎年4~5頭も死んでいる計算になります。
実際には、交通事故だけでなく、シカを捕獲するくくりわなにかかるなどして、さらに年に数頭が死んでいます。
毎年4~5頭の死亡を人口1億2500万人の日本人に置き換えると、毎年500万~625万人が亡くなっている計算になります。このペースでツシマヤマネコの死亡が起こり続ければ、そう遠くない未来に、彼らは地球上からいなくなってしまうでしょう。
生息地の対馬では、ツシマヤマネコが安全に暮らせるように、事故発生地点にドライバーへの注意喚起の看板を設置したり、ツシマヤマネコが安全に移動できるよう道路と林をつなぐ足場を作ったりするなど、いくつかのロードキル対策を講じています。
こうした対策を社会に広く発信することで、制限速度を順守するドライバーが増えることを期待しています。車両のスピードが落ちれば、それだけ事故に遭う個体は減るでしょうし、不幸にして衝突した際も命が助かる可能性はあがるはずです。
■轢かれて死んだ――だけじゃない?
ツシマヤマネコにかぎらず、全国各地で日々発生し続けているロードキルですが、その全容や遺体の死因についての詳しい調査はほとんど行われていません。ツシマヤマネコのロードキル調査は、希少動物であるがゆえの例外といえます。
ロードキルによる遺体の大半は、道路の管理者によってそのまま焼却処分されるため、記録に残りません。ほとんどが解剖されることなく、死亡時の状況から交通事故死と判断され、そのまま処分されているのが現状です。
ぼくが知るかぎり、ロードキルやその背景に興味を持って遺体の死因究明を行っている研究者は、日本国内にはほとんどいません。
しかし、これまで調べられていないから明らかになっていないだけで、ロードキルの中には、何らかの「異変」が原因となって起きているケースがあるかもしれないと、ぼくは考えています。
まだ集めた症例を解析中なので確かなことはいえませんが、例えば、寄生虫などの病原体に脳が侵されて脳炎を起こしていたり、肺が侵されて呼吸困難になっていたりする動物なら、もうろうとした状態で車両が行き交う道路に出てくるかもしれません。
特にトキソプラズマという寄生虫(トキソプラズマについては過去記事「愛猫を失った男性の『ネコ』は外が幸せ」という誤解」に詳しく書いています)は、寄生した動物の行動を変容させる可能性が研究によって示唆されており、これによって起きているロードキルがあるかもしれません。
実際、タヌキやアナグマなどの野生動物の遺体を解剖すると、トキソプラズマによる病変が観察されることもあります。
ほかに、人間による虐待で傷ついて死んだ動物が道路上に遺棄され、ロードキルに偽装されたのではないかと思われるケースも、ぼくは目にしています。なんとも許しがたいことです。時間と予算があればもっと多くの遺体の死因を究明できるのですが、1人では1日に解剖できる数もかぎられていて、常々、歯がゆく思っています。
■不幸な動物を減らす責任がある
ロードキルの原因の多くは人為的なものですから、ぼくたち人間には野生動物の死因をきちんと調査し、不幸な動物を減らす責任があります。
ただ、これは動物たちのためというだけでなく、ぼくたち人間のためでもあります。ロードキルの原因を探ることで、その背景にある地球環境の変化や、未知の病原体、人に影響を及ぼしうる環境汚染物質などを事前に察知できるかもしれないからです。
ロードキルは、単なる不幸な交通事故ではありません。きっと「自然からの警告」でもある――ぼくはそう考えています。