ここは札幌市民の憩いと学びの場であり、観光名所としても知られる札幌市円山動物園。本来なら家族連れでごった返すはずのゴールデンウィーク初日だが、園内に人影はない。全国の他の公共施設と同様、新型コロナウイルスの感染拡大防止策として、4月14日から休園を余儀なくされているからだ。同園の場合、2月に北海道独自の緊急事態宣言が出されたのを受けて、3月1日から31日までの1カ月間、すでに一度休園しており、4月1日から再開園したところで、再び休園となってしまった。
円山動物園は昭和26年創業だが、冬季開園が始まった昭和41年以来、ここまで長い休園は初めてのこと。子どもたちの歓声が消えた動物園で、動物たちはどう過ごしているのだろうか。
「ちょっと退屈しているように見える」
「やっぱり、普段と比べると、動物たちものんびりしているようには見えます。ただ、誰にも見られていない状態があまり長く続くと、ちょっと心配な面もあります」
そう語るのは、円山動物園の加藤修園長だ。
「動物というのは、野生においてもまったくストレスフリーの状態というのはないんです。草食動物であれば、いつ肉食動物に襲われるかわからないし、逆に肉食動物の側もいつエサにありつけるか、わからない。常に外界の刺激に晒されて、生きている。
動物園の場合は、食うか食われるかというストレスはない代わりに、飼育員や来園者とのコミュニケーションが、“刺激”となって、動物らしくいられるという面があるんです。やっぱり動物園を形作っているのは、動物たちと来園者、それから私たちスタッフという三つの要素なので、今はその一つが欠けている状況なんですね」(同前)
では、来園者がいなくなったことで、動物たちにどんな変化が生じたのだろうか。
「特に影響がありそうなのは、オランウータンやチンパンジーなどの類人猿ですね。普段、お客さんが彼らを見ているとき、彼らも、ガラスの向こうから人間を観察しています。それがすごく刺激になっている。ところがそのお客さんがパタリと来なくなったわけですから、最近ではちょっと退屈しているようにも見える。これはやっぱりあまりよくないなぁ、と思っています」(同前)
いつもは“ツンデレ”なシンリンオオカミが……
「とりあえず動物たちの様子を見に行ってみますか。今なら貸し切り状態ですから(笑)」という加藤園長の案内で、誰もいない園内を回ってみると、いつもより動物たちがこちらの存在に敏感に反応していることに気づく(札幌在住の筆者は、休園前はよく同園を訪れていた)。
冒頭のオオワシもそうだが、例えばシンリンオオカミの「ジェイ(♂)」。15歳という高齢ながら威風堂々たるたたずまいで、道内のみならず本州からもわざわざ訪ねてくる人がいるほどの人気者だが、普段はわりとそっけない。ジェイにあてがわれたオオカミ舎のスペースは広く、来園者がいるガラスの方へ近づいてきたかと思うと、クルリと反転して、小高い丘の斜面をかけのぼっていくといった“ツンデレ”ぶりで、なかなか目前では見られないのだ。
ところがこの日、遠くで寝そべっていたジェイは、人間たちがやってくるのを見ると身を起こして、駆け寄ってきた。筆者の隣に飼育員の高岡さんの姿を見つけたからだろうが、それでも、ガラス越しにこちらをじっと見ているのは珍しい。高岡さんが語る。
「確かに私たちの制服に反応しているとは思うんですが、休園中は、例えば業者の方とかが通りかかっても、見に来ますね。誰か来るのをずっと待っているみたいです」
基本的には、ジェイの生活に大きな変化はないというが、ちょっとした変化はある。
「(日向ぼっこをしているジェイを見ながら)そういえば、お客さんがたくさんいるときは、こんな風にガラスに近いところでは、あんまりくつろいだり、眠ったりはしなかったですね。お客さんに『ジェイ、今、いないんですか?』と訊かれるときはたいてい、スロープの奥とか、丘の上とか、人目につきにくいところで爆睡しているんです(笑)。休園中は結構、今までとは違う場所で日向ぼっこしたり、寝たりしていますね」(同前)
マイペースすぎるホッキョクグマ
一方で、ジェイと並ぶ円山動物園の人気者にホッキョクグマの「リラ(♀・5歳)」がいる。透明なトンネルの中から、水中で泳ぐリラの姿を見ることができる展示が評判で、普段は多くの人でにぎわうホッキョクグマ館を訪れると、リラはいかにもリラックスした様子で寝そべっていた。地べたに顎をつけ、おしりを突き出して寝そべる様子は、まるで「すべり台」のようだ。……いつもこんなにリラックスしてましたっけ?
「実はいつもと同じですね。マイペースなんです」と笑うのは、飼育員の井本さん。休園中もこれといって、変わった様子はないという。
「もともと、人の目線はあまり気にならないようですね。特にお客さんがいないから、といって変化はないです。むしろ、2月から4月にかけては発情期なので、そのせいでよく歩きまわったり、活動的になっているという要素の方が大きいかもしれません」(同前)
ところで当然のことながら、動物たちの世話はテレワークというわけにはいかず、飼育員は休園中も基本的には開園時と同じ仕事をしている。長い休園で、何か変わったことはあったのだろうか。
「掃除は“し放題”ですね(笑)。お客さんがいる前では、なかなか掃除できない場所も今ならいつでもできます。動物たちの様子をみるにしても、普段はお客さんの後ろからそっと見るんですけど、こうやって堂々と最前列で観察できます。……でも、今の時期しか見られない動物たちの姿もあるから、やっぱりお客さんに見てほしいですね」(同前)
チンパンジーは「ドン!」とガラスを叩いた
最後に訪れたのは、加藤園長が「園内の見回りの最後は、だいたい、いつもここなんです」というチンパンジー館だ。
チンパンジーの部屋に入った途端、それまでエサを食べていた群れは、一斉に声をあげて、ちょっとした興奮状態になった。中にはガラスに向かって突進してきて、ガラスを「ドン!」と叩いて、ほかのチンパンジーに「やめろ!」とばかりたしなめられるのもいる。だがほどなく興奮は収まり、やがて、1匹のチンパンジーがガラスによってきた。最年長の「ガチャ(♀・推定54歳)」だ。ガラス越しに手を伸ばすと、その手に合わせるようにチンパンジーも手を差し出す。まるで「こっちは大丈夫だよ」とでも言うように。
一方で、類人猿館では、2月に4年ぶり3回目となる出産をしたボルネオオランウータンの「レンボー(♀・12歳)」が、この休園期間中、育児に余念がないという。
「休園が始まった最初の頃は、わりと落ち着いていたんですけど、長引くにつれて、ちょっと時間をもてあますような感じもありました。でも今は、こうなったら子育てに集中しよう、という感じで切り替えてますね」
そう語るのは、飼育員の李さんだ。
オランウータンの凄すぎる「共感能力」
「好奇心旺盛な彼らはガラスの向こうからお客さんのことを本当によく見ています。毎日見にきてくれるお客さんもいましたから、そういう方たちがこれだけ長い時間こないということは、何か普通じゃないことが起きている、ということは、はっきり理解していると思います」(同前)
“森の賢人”とも称されるオランウータンだが、彼らを担当するようになって8年という李さんによると、その人間に共感する能力は、私たちの想像をはるかに超えている。
例えば、レンボーが2月に赤ちゃんを出産したときのこと。出産直後に李さんたちがチェックしたかったポイントは、(1)72時間以内に授乳するかどうか(その時間を超えると、人工飼育に切り替える必要がある)(2)赤ちゃんがオスかメスか、だったというが――。
「そんなことを考えながら、僕が顔を出した途端に、赤ちゃんを抱えて連れてきて、赤ちゃんの足をバッと開いて、こっちに見せてきたんです。“ほら、男の子だよ”とばかりに。
たぶん前回の出産で、僕たちが赤ちゃんの性別をチェックしようと、一生懸命のぞきこんでいたのを覚えていたのかもしれません。で、それが終わると、すぐにおっぱいをあげはじめた。10分もしないうちに、こっちがやりたかったことはすべて終わってたんです」(同前)
筆者が李さんの話を聞いている間も、レンボーは赤ちゃんを抱えて、ガラスの最前列でカメラを構えるカメラマンの前にやってきた。薄暗い室内での逆光のためレンボーの表情さえ見えずにカメラマンが苦労していると、レンボーが突然、白い歯をみせた。「それで撮れました。もしかして、わざとそうしてくれたのかも……」とカメラマンは語るが、李さんも「(歯を出すのは)ちょっと珍しい」と驚いた。その後はカメラマンと〝変顔〟勝負となった。
そういう彼らだけに、李さんたちもこの休園期間中に細心の注意を払っている。
「例えば、毎朝、ブドウを1粒ずつあげるというようなルーティンはすごく大事です。今日も安定した一日が始まるよ、というメッセージになるから。一方で、その安定した一日の中にちょっとした変化だったり刺激だったりを加えるようにしています。例えば、いつもは皮のままあげているニンジンの皮を一部剥いてみる、とか、エサを遊具のいろんなところに隠してみる、とか、あるいは、わざと何もしないで放っておく、というのも刺激になります」(同前)
そのうえで最後に李さんは、こう語った。
「やっぱりいつもと違うという違和感ははっきり感じているし、きっと不安もあるはずなんです。だけど彼らは状況の変化を受け入れて、それに対応して、生きているんですね。その点は、僕ら人間のほうが学ばされます。とにかく再び開園した日に向けて、今できる限りのことをちゃんとやって、あとは受け入れるしかないんだよな、って」
動物園に子供たちの歓声が戻ってくるのはいつになるのか、まだ出口は見えない。だが動物たちはそれぞれのやり方で、その日が来るのを、じっと待っている。
撮影/伊藤昭子
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