昨年6月に中村さん方であった全国大会
◎土佐犬を追う
<自宅に土俵設置>
闘犬は通常、郊外に場所を借りて
大会を開く。
青森県六ケ所村の中村藤夫さん
(73)は好きが高じて、
自宅に土俵を設けた。
約1万5000平方メートルの
敷地に、小屋と直径約4メートルの
八角形の土俵が二つ。
大会時に小屋には役員が陣取り、
向かいの倉庫でギャラリーが観戦する。
中村さんはアパートや飲食店を
経営する。
「子どものころから好きで、
20代で飼い始めて多いときは
15匹ほどいた。
体悪くして今は8匹。金を投げる道楽よ」
中村さんが所属するNPO法人
全土佐犬友好連合会(本部北九州市、全友連)
では1試合は15~30分。
一番長い時間闘い、勝った犬が
「最高優勝」に輝く。
順位に応じて景品が贈られ、
景品代約50万円は出場料と
寄付金で賄う。
勝利の優越感が飼い主を魅惑する。
中村さんは
「どうだ、うちの犬の方が強いだろって、
ただそれだけ。毎日手入れしても最後は
犬の根性次第。
(飼い主なんて)まるでばかなのよ」
と笑った。
<けんかではない>
昨年6月、中村さん方で全国大会が
あった。
北は北海道から南は鹿児島まで
集まったのは愛好家約60人と
約120匹。女性もいた。
土俵では柵の上から飼い主が
犬に指示を出す。
「はいよ、脚取って」
「ちょちょちょ」
「よし、いげ」。
犬同士がぶつかり合う
音が響き、床に血が飛ぶ。
飼い主は目を血走らせ、
勝敗に一喜一憂する。
全友連全国本部長の今井勝男さん
(78)=静岡県三島市=は
「青森は土佐犬が日本で最も多くいる。
青森の犬に全国の犬が挑戦する形だ」
と説明した。
闘犬は昭和の初めごろにルールが
整備され、全国に広まった。
第2次大戦中に食糧難で高知を
はじめ各地で犬が処分され、
壊滅的な状況に。生き残ったのは
弘前市にいた数匹。
戦後、これが全国に運び出され、
再興につながったという。
今井さんは「闘犬はけんかではない。
会員には紳士的にやれと言っている。
土佐犬の歴史と文化を残したい」と力を込めた。
<会員減少を嘆く>
全国にいくつかある大きな団体のうち、
全友連は暴力団排除をうたう。
暴力団幹部が入ると、勝負の公平さが
保てない。
最初は会員の半分が暴力団関係者
だったが、約20年前に追放運動を
展開した。
今井さんの左あごには、大会時に
斬りつけられたという大きな傷痕が残る。
全友連の理念とは裏腹に青森では年々、
会員が減少している。
当初は230人いたが、今は約50人。
「にらみを利かせるやくざ者が
いない分、うちはドングリの背比べ。
仲間内でもめる。遊びだと思えばいいのに、
みんな勝負にこだわりすぎて
出て行ってしまう」
闘犬50年の重鎮、中村さんが嘆いた。
[闘犬]30キロ台から100キロ近い
ものまで体重別に小、中、大、超大型に
分かれて闘う。
取組の時間は天候次第。
同じ力量の犬同士が闘い、ほえたり
威嚇したりした方が負け。
審判もいる。
最も長い時間をかけて勝った犬が1位、
負けた犬が2位、
引き分けが3位-などと順位が決まる。

昨年6月に中村さん方であった全国大会