あれから5年…いまを生きる“福島の被災犬”が伝えてくれること | トピックス

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2016年2月28日 6時0分 女性自身

岐阜県岐阜市。

長良川にほど近い町の一角にある
NPO法人日本動物介護センターで
訓練を重ねているのが、
福島生まれの雑種犬・じゃがいもだ。

目指しているのは、災害時に
行方不明になった人たちを、
嗅覚を使って見つけだす、
災害救助犬。

なにゆえじゃがいもは、
福島から遠く800キロも離れた
岐阜にやってきたのか。

同センターの山口常夫理事長
(64)が説明してくれた。

「私どもは、元の飼い主さんが
避難先で飼育できなくなった
飯舘村の犬を50頭以上引き取り、
育ててきました。
じゃがいもも、その1頭です」

2011年3月11日の東日本大震災
3カ月後の6月、じゃがいもは
元の飼い主である井上キミエさん
(52)の自宅で生まれた。

井上さんは生まれも育ちも
福島県の飯舘村。

かつて日本でもっとも美しい村の
一つとされた自慢の故郷は、
原発事故を受け全村避難を
命じられる。

井上さんも県内の借上げ
住宅での避難生活を強いられた。

「飯舘でこれ以上この子たちを
飼うことはできません。
人間だってもうここには
住めないんだから……。
せめて、この子たちには
安全なところで、かわいがって
もらって、幸せになってほしい」

井上さんは涙ながらに、
じゃがいもとそのきょうだい、
計5頭の子犬を山口さんに託した。

山口さんがインターネットで
新しい飼い主を募集するとすぐ、
最初の1頭に東京からもらい手がつく。

その後も順調に、名古屋、岐阜、
新潟と新しい飼い主が見つかり、
気付けば山口さんのもとには
真っ黒な子犬だけが残った。

「おまえ、どうする?」

山口さんには夢があった。

これまで5頭の災害救助犬を育てた
経験はあるが、どれも血統書付きの
エリート犬。

いつかは雑種犬を訓練し、
救助犬に育ててみたかった。

「救助犬の訓練は生後半年ほどから
始めます。
飯舘村から預かった犬たちの
ほとんどが成犬でしたが、
この子は訓練開始にちょうど
よかった。
ただ、災害救助犬になるためには
厳しい訓練を乗り越え、
合格率約20%という試験にパス
しないといけない。
果たしてこの子にできるだろうか
と悩みましたが……」
(山口さん・以下同)

故郷を追われたこの子犬が、
見事災害救助犬になれたなら、
福島の人たちの、飯舘村の人たちの
励みになるはず--。

山口さんは腹を決めた。

そして’11年12月。

じゃがいもの訓練が始まった。

まずは煙や火、重機やサイレンの音など、
災害現場で想定される状況に慣れること。

臆病な犬はその環境だけで腰が
引けてしまうが、じゃがいもは
難なくクリアしてみせた。

「お、これはいけるか、
と思ったんですが……」

試験では「待て」「座れ」などの
指示にきちんと反応する「服従」、
人がいることを周囲にほえて
知らせる「告知」、がれきの中に
いる人を探す「捜索」の3つが試される。

「じゃがいもは服従も、
捜索もできるんですが……
ほえて知らせることが大の苦手」

食べ物が欲しかったり、
危険を察知したときなど、
自分から相手に伝えたい情報が
あってはじめて犬はほえる。
生きている人間をその場に
見つけたとしても、本能的に
ほえる理由にはならない。

「人間だって悲しくもないのに
『泣け』と言われると困るでしょ。
そんな感じではないでしょうか」

試験は年に2回。

じゃがいもは’12年秋から
これまで8回トライしたが、
残念ながら合格には至っていない。

が、山口さんは、合格を目指す
いまの姿を見せることこそが、
じゃがいもの使命なのかも
しれないと感じている。

「あれから5年もたつのに、
福島はとても復興しているとは
言えません。
うちで預かっている犬の飼い主さんは
ご高齢の方が多く、皆さん故郷に
帰りたいと言います。
その気持ちを押し殺して今日まで
頑張っているんです。
5年間も頑張ってきた人にこれ以上
『頑張れ』と言うのはおかしいでしょ。
そういう人たちに、何度落ちても
頑張るじゃがいもの姿を
見てもらえばいいなと思っています」
女性自身