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aichanの双極性日記

千歳・札幌の季節の風景と手びねり陶芸とレザークラフトとアウトドア。
双極性2型で喘息で『Zensoku Web』というHP(今はない)も運営していましたが、
その内容はブログ〈Zensoku Web〉(https://aichanzw.seesaa.net/)に移しました。

愛犬アイルの肖像


今日5日は、亡くなった愛犬アイルの月命日。


アイル、あの日、病院に連れていかなくてごめん。


あんなに具合悪そうだったのに、パパは仕事を優先してお前を置き去りにしてしまった。


帰宅したらお前は布団の上で死んでいた。


仕事を休んで病院に連れていっていたら、お前は助かったかもしれない。


悔やまれて仕方がない。


ごめんよ、アイル。


つらかったね。


苦しかったんだよね。


悲しかったね。


心細かったよね。


絶望したろうね。


本当にごめん。


みうすぐパパもそっちに行くから、待ってて。


どうか安らかに。

 

愛犬アイル、秋空の下で鳴く

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+2.8キロ。

漫画やアニメといえば私は手塚治虫と宮崎駿を頭に浮かべる。


このふたりは日本の漫画とアニメを世界に認めさせた魁(さきがけ)だと私は思っている。


功労者と言ってもいい。


漫画は、調べてみるとずいぶん昔からあった。


滑稽さ、風刺性、物語性などを持った絵画作品のことを「漫画」だとすると、それは平安時代にすでに登場している。


現代の「漫画」につながる、滑稽さ、風刺性、物語性などを持った絵画作品で、日本最古であると指摘されているのは平安時代の絵巻物の『鳥獣人物戯画(鳥獣戯画)』である。

 

鳥獣人物戯画 カエルとウサギの戯れ
〈『鳥獣戯画』〉


同時代に描かれた『福富草子』は主人公が屁芸で成功するという滑稽なものだが、台詞(せりふ)が人物の横に書かれ、のちのフキダシを思わせる表現となっている。

 

鳥獣人物戯画:漫画の起源を示す絵巻物
〈『福富草子』〉


江戸時代の18世紀初頭までには、肉筆の戯画が商品として流通するようになった。


やがて、町人文化の興隆と木版による印刷技術の発達に伴い、挿絵が添えられた娯楽読み物の書籍である『黄表紙』や、1枚ものの『浮世絵』が19世紀までに成立した。


浮世絵には戯画的な要素を含むものがある。

 

浮世絵『黄表紙』の古書3冊
〈『黄表紙』〉

 

鳥獣人物戯画の絵巻物と人物たち
〈『黄表紙』の中身〉


浮世絵師として知られる葛飾北斎のスケッチ集の『北斎漫画』は、「漫画」という語を含む作品集としてことに有名だ。


ただし、北斎の「漫画」は「漫然と描かれた絵」を意味して用いられており、現代的な意味とは異なるようだ。


けれど、同作では鼻息を表す線や背景を強調する線など、現代の「漫画」で普通に用いられる技法をすでに取り入れている。

 

河童が人間を襲う浮世絵

 

流離王雷死図 浮世絵
〈『北斎漫画』のひとつ〉


幕末になると、後の「漫画」に連なる表現および技法には、2つの流れがあった。


ひとつは従来の浮世絵の系統、もうひとつは西洋由来のペン画の系統である。


幕末期の前者には、歌川国芳、渓斎英泉、初代歌川広重(安藤広重)らがいる。


後者は、写真の撮影や印刷技術が未発達であった時代に、報道すべき出来事を過不足なく伝えるためのイラストレーション(報道画)として制作されるもので、イギリスの新聞『イラストレイテド・ロンドン・ニュース』の特派挿絵記者として1857年に来日したチャールズ・ワーグマンらによって日本に伝わったものである。


ペン画のような細く細密な原画の印刷は、当時の新技術・亜鉛凸版によって実現したものだった。


1862年、ワーグマンは、日本初の外字雑誌にして漫画雑誌である『ジャパン・パンチ』を創刊する。


これ以降、滑稽さ、風刺性、寓意を持ったイラストレーション作品を「ポンチ絵」「西洋ポンチ」、または単に「ポンチ」と呼ぶようになった。


明治になると、『ジャパン・パンチ』を参考に、日本語による絵入り新聞が続々と創刊された。


洋画の技法を学んだポンチ絵師の中には、毛筆ではなく付けペンによるポンチ執筆を行った者も出た。


1896年になると、田口米作は『江の島鎌倉長短旅行』の連載を開始した。


これは日本で最初の連載漫画とされている。

 

鳥獣人物戯画のような漫画の歴史
〈『江の島鎌倉長短旅行』〉


1915年、岡本一平ら数十人の漫画家は、日本初の漫画家団体東京漫画会(後の日本漫画会)を設立した。


翌年に創刊された同会の同人誌『トバエ』で岡本は、ドイツの漫画誌『ジンプリチシムス』などに触発され、ペンによる簡素な描線やデフォルメされた造形といった実験的な作風に取り組んだ。


また、岡本が1917年から少年雑誌『良友』に連載開始した『珍助絵物語』は連載少年漫画の草分けとされる。


また、時事新報は1921年、同紙の別刷り日曜版付録として『時事新報日曜付録・時事漫画』を創刊した。


北澤楽天が1928年から『時事漫画』で連載した『とんだはね子』は、日本で最初の少女を主人公とした連載漫画であり、少女漫画の先駆的作品とみなされている。 

 
『時事漫画』の成功に触発されたほかの新聞・雑誌も、娯楽的な連載漫画作品を多く掲載するようになる。


とりわけ児童向け漫画や、家庭生活を題材にした「家庭漫画」のジャンルとしての定着と技法の進化が見られた。


1923年に『アサヒグラフ』で連載開始された織田小星作・樺島勝一画の『正チャンの冒険』や、1924年に『報知新聞』で連載開始された麻生豊の『ノンキナトウサン』は、いずれも場面が複数のコマで区切られ、人物の台詞はフキダシで囲まれており、現代の漫画に通じる標準的なスタイルとなっている。

 

漫画『正チャンの冒険』、犯人から逃げる三人
〈『正チャンの冒険』〉

 

『黄表紙』の漫画コマ割り
〈『ノンキナトウサン』〉


昭和に入ると「漫画」はより一層、現代漫画に近づく。


1930年代には新聞・雑誌が幼年漫画(児童漫画)の欄を設け、全盛となった。


雑誌では田河水泡の『のらくろ二等卒』に始まる『のらくろ』シリーズ(少年倶楽部)が登場する。


同時期には「紙芝居」が登場し、各地で紙芝居屋が繁盛した。


戦後になると、『冒険活劇文庫』(明々社)、『おもしろブック』(集英社)などの児童向けの月刊誌が発刊された。


これらの多くは紙芝居の作家たちが手掛けたようだ。


永松健夫の『黄金バット』、山川惣治の『少年王者』などが子どもたちの人気を得た。


そして、手塚治虫という天才が登場する。

 

手塚治虫 漫画家 ポートレート

〈手塚治虫〉


手塚治虫は、まとまったストーリーを展開する方法を確立し、描き下ろし長編作品『新宝島』(1947年)で漫画ブームを巻き起こした。


その強い影響を受けた中から多くの人気漫画家が輩出したこともあり、手塚こそ現代漫画の始祖だと指摘する人が多い。

 

新宝島 手塚治虫
〈『新宝島』〉

 

『正チャンの冒険』、漫画の車と風景
〈『新宝島』の中身〉


『新宝島』を読むと、ストーリーを重視していて、コマ割りも四角ではない箇所もあり、吹き出しの使い方なども現代漫画のそれに通じている。


その後の手塚の活躍は目を見張るものがある。


何本もの連載を持ち、そのほとんどがベストセラーと言っていいほどよく読まれた。


連載漫画を続けながら、コマ割りに多くの新手法を考案したり、アシスタントを雇って手の込んだ背景画を描かせるといったことも始めた。


そして、日本で初めてアニメ(『鉄腕アトム』)を制作した。


モノクロのアニメだったが、次に手塚は日本で初めてカラーアニメ(『ジャングル大帝』)を作った。


ディズニーの『ライオンキング』がこの『ジャングル大帝』の影響を受けたのはほぼ間違いないと思われる。


その手塚に続いて多くの漫画家が続々と生まれ、『劇画』というジャンルが生まれたり、近年はスマホなどで鑑賞できるネット漫画が隆盛になったりしている。


今や日本の「漫画」は世界中で認められていて、「MANGA」は世界語になっている。


今の漫画家やアニメに関わる人たちは、手塚治虫の影響を多かれ少なかれ受けていいる。


スタジオジブリの『千と千尋の神隠し』がアカデミー賞を受賞したが、監督の宮崎駿は脚本から絵コンテ描き、監督とすべてを務める、分業化が進んだ今では稀有な存在である。

 

千と千尋の神隠し ポスター 千尋と豚
〈『千と千尋の神隠し』のポスター〉


『千と千尋の神隠し』が劇場公開されたとき、主人公の千尋は私と娘と同じくらいの年頃だった。


それで『千と千尋の神隠し』のDVDを買ったのだが、中を見て驚いた。


DVDが2枚入っていて、1枚は映画館で公開されたアニメだったが、もう1枚は宮崎駿が描いた絵コンテをパラパラ漫画のように続けたもので、それが公開されたアニメと寸分の狂いもないほどのものだったのだ。


絵コンテといっても簡単なものではなく、人物の表情などはもちろん、ちゃんと背景も入っている精密なものだ。


設定やセリフまで入っている。

 

千と千尋の神隠し 絵コンテの一部
〈『千と千尋の神隠し』の絵コンテの一部〉


その絵コンテ版の時間とアニメ版の時間は同じだった。


つまり宮崎作品は、彼の脚本と絵コンテを忠実に守って作られているのだ。


宮崎作品のすべてはそのようにして作られているようだ。

 

となりのトトロ 絵コンテ 少女とトトロ
〈『となりのトトロ』の絵コンテの一部〉


天才だなと思った。


宮崎駿のような万能家はもう出ないだろう。

 

宮崎駿監督のポートレート

〈宮崎駿〉


今の日本アニメの主流は、多くの専門家による分業性で、ほとんど写真のような背景で登場人物たちが動くという、アニメとはちょっと言いがたい作品や、やたらと漢字や日本の古い文化を取り入れた異風な作品が多くなっている。


私は宮崎駿作品が大好きなので残念だが、今後のアニメの主流は宮崎作品のような手作り感溢れるものにはならないと思っている。


ここに北斎がいたら、さぞびっくりするだろうなあ。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+2.7キロ。

私はJという千歳の障害者就労継続支援B型事業所でレザークラフトをしている。


これまで何人かの人がレザークラフト班に来たが、みな適性がなかった。


木工の好きな人は革を彫刻刀で切ったり、円く切るところを平気でギザギザに切り、そのあと、紙やすりで磨いて円くしたりした。


木工のクセが取れなかったのだ。


それでは革の切り口がどうしてもきれいにならない。


革の切り方を教えても、無視してそっぽを向いていた。


切り方も磨き方も糸の縫い方もすべて下手という人もいた。


何度練習させてもダメだった。


何より問題だったのは、糊や磨き材(クリーム)を革に付けたまま作業を続けることだった。


糊やクリームは、乾くと固まって取り除けなくなる。


だから仕上がりはどれも汚くなった。


しかも、クリームを大量に使う。


少しだけ付けて磨けばいいのだが、ベタベタと塗りたくってボトボトと机やカッターマットの上に垂らした。


机やカッターマットには、クリームが固まった山があちこちにできた。


クリームは高価なので、「大事に使ってね」「そんなに付ける必要ないよ」と何度言ってもドバドバ使う。


あとひとりは、レザークラフトをしたいと自分で望んだのに、レザークラフト班に来ても革を切る練習さえ満足にしなかった。


だいたいにしてカッターの使い方も知らなかった。


何度教えても変な握り方でズタズタに切る。


天然石のパワーを本気で信じている人で、勤務中にスマホで天然石の検索ばかりしていた。


普通の会社員なら注意されるかクビになるだろう。


しかし障害者就労継続支援事業所では、通所する障害者をクビにすることはできないし、勤務中にスマホで関係のないものを見ていても、職員がいなければ注意されることはない。


レザークラフト班には職員が配置されてないので、その人はそんなことができたのだ。


それだけならまだいいが、しばしば検索したページを私を見せ、説明文を読み上げる。


無視するわけにもいかず、作業の手を休めていつも聞いて上げた。


私はその人の上司ではなく同じく通所する人でしかなかったからだ。


そのころから私は作業手順書を作りはじめていたので凄く忙しかったから大迷惑だった。


しかもその人は、私がいないスキに本革を勝手に使って切り刻んだ。


私は土日のほかに、通院するために金曜に休みをもらっている。


それで木曜に、「明日はこれこれこういうものをボール紙で作ってみてください」というように言い残して金曜を休んでいたのだが、月曜になって事業所に行ってみると、ボール紙ではなく大事な本革でそれが作られているのだった。


ちゃんと切られていてそれが商品になるのであればいいが、切られた革はみなギザギザになっていたり変なところに穴が開けられていたりして、捨てるしかなかった。


そういうことが何度も続き、本革は高価なのでさすがに私は頭にきた。


それで「本革で練習しないでください」と冷たく言った。


すると、元気だったその人は急にシュンとなり、レザークラフト班の部屋を出ていって職員のいる部屋に行き、その日はずっとその職員と無駄話をしていた。


精神疾患の患者なんだなとそのとき気づき、悪いことをしたなと悔いた。


誰が何の障害を持っているかは職員が話してくれないのでわからない。


仕事しにくいところだなと思った。


2年近く前、レザークラフトでまともなものが作れるようになって、メルカリに出品することになった。


出品するには画像と説明文を作らなくてはならない。


それを私は自分のアパートの部屋で作った。


私は2台のパソコンを持っている。


ひとつは1990年代に買ったうんと古いパソコンで、もうひとつは2010年製のものだ。


なぜ2台あるかというと、プリンターが壊れて買い替えたら、「うんと古いパソコン」のOSのバージョンが古くて新しいプリンターに接続できなくて、仕方なく「ちょっと古いパソコン」を買ったからだ。


「うんと古いパソコン」には、プロ仕様のデザインソフト(IllustratorとPhotoshop)が入っている。


私は編集の仕事をしていたので、それらのソフトは必須だったのだ。


「ちょっと古いパソコン」を買ったのでIllustratorとPhotoshopをそのパソコンにもインストールしようとしたら、それらソフトのバージョンが古すぎてインストールできなかった。


仕方なく、それらのソフトで何か作るときは「うんと古いパソコン」で作り、画像に変換してUSBメモリに保存し、「ちょっと古いパソコン」でその画像を開いて印刷するようにしていた。


レザークラフトの出品画像も、最初のころはそれらのソフトを使って作っていた。


しかし「うんと古いパソコン」なのでメモリは少なくHDの容量も少なく、作業していると「HDの容量が不足しているので作業を続行できません」というメッセージがよく出た。


出品画像を作っているときもそうで、そのたびHD内を調べて、不要な画像等を削除しては作業を続けていた。


3つめの商品ができて出品画像を作っていたら、また同じメッセージが出て作業を続けられなくなって、不要なファイルはないかとHD内をくまなく探した。


しかし見当たらなくて、よくわからないファイルをどんどん捨てた。


そしたら、「うんと古いパソコン」が起動しなくなった。


いろいろ試したが、どうやっても起動しない。


きっと、捨ててはいけないファイルを捨てたからだろう。


しかし、内部にはひとつ10万円ほどもした高価なデザインソフトが入っている。


それで捨てられずにいて、いまだにうちには2台のパソコンがあるのだ。


「うんと古いパソコン」が壊れてからは、スマホで出品画像を作るようになった。


スマホでデザイン関係のアプリを探して、それで作っているが、満足した出来にはならない。


それはまあいいが、考えてみれば私が個人の時間を潰して個人宅で事業所のために個人のパソコンを使用したら壊れたわけなので、その修理費を払ってもらいたいものだとよく思う。


事業所ではそういう事情を知っているのに、修理費を払う気などはさらさらない。


一度、責任者から「出品画像は今後は職員が作ります!」と強く言われ、その職員に簡単なやつを作ってもらったことがある。


私は背景画像と商品画像を用意し、タイトルや説明文も用意し、「この背景画像にこの商品画像を合成し、タイトルはここに、説明文はここに入れてください」と、その職員にやり方とともに教えた。


できた出品画像を見て落胆した。


たぶんできないだろうなと思っていたが、予想していたのよりもっとひどい出来だったので大いに落胆し、任せることはできないと思った。


それでそれ以降はまた私が作ってきた。


責任者は何も言ってこなくなった。

 

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〈私が作ってきたレザークラフト商品〉


また、去年にはメガネのレンズを傷つけられた。


昼休み中にメガネを外してスマホのゲームをし、メガネを机の上に置いたままトイレに行って戻ってきたらレンズに傷が付いていた。

 

傷ついたメガネのレンズ
〈傷つけられた私のメガネ〉


責任者に言っても、「うちにはそんなことをする障害者はいません! だいたい、昼休み中は職員が皆さんのことを監視しています!」と言い放って私の訴えを退けた。


昼休みに職員は障害者とともにトランプや将棋などをしてギャーギャー騒いだり将棋盤を見下ろしてウンウン唸っている。


監視なんてできるわけがない。


そう反論しようとしたが、責任者の顔を見たら、この人は絶対に俺の話を聞かないつもりだなと感じて、それ以上は何も言わなかった。


責任者としては、障害者の中から犯人探しなどできないと思ったのだろうし、そんなことが世間にもれたらどんなことになるか恐れたのだろう。


もっと恐れたのは、監督官庁に聞こえたら大変だということだったと思う。


それで私は犠牲になったのだ。


仕方なく私はメガネを作り替えた。


事業所は一銭も払ってくれなかった。


責任者は、この事件を握り潰し、職員にはもちろん社長にさえ報告していない。


あのときから、いつまでも通所するところではないなと思うようになった。


そしてレザークラフトで変な人ばかり任され、それでもかなりまいった。


前述した人が何枚もの革をダメにしたので、仕方なくまた注文した。


すると事業所の責任者から「レザークラフト班は金を使いすぎる」と苦情を言われた。


前述したようにレザークラフト班には職員が配置されていない。


成り行きで、私が職員みたいな立場になった。


それで注文は私がやっていた。


無駄な注文はしたことなどなかったが、天然石好きの人や高価なクリームをドバドバ使う人が来てから、注文するものが急増した。


それは私の責任だと責任者は思ったのだろう。


それで私は躁期から鬱期に入り(私は躁鬱病である)、1ヵ月くらい事業所を休んだ。


それまで私は、安いものなら自費で買って商品を作っていた。


その頻度が増えた。


生活が圧迫されてきた。


そのことも事業所は知っていたが、何もしてくれなかった。


もう耐えられないと思って私は事業所を辞めることにした。


そしたら社長が慌て、「レザークラフトの火を消したくない」と私に言って私を引き止めた。


「それなら」と私は言った。


「作業手順書を完成させるまではいます」と答えた。


私の私物が壊れるようなことを私にやらせたり、私の私物が傷つけられても無視し、私ひとりに責任を押し付けてくるような事業所で今後も働くのが何だかバカらしくはあったが、社長の説得に負けてしまったのだ。


その時点で作業手順書の基本編6枚(ひとつの項目についてA3版で1枚)、商品編20枚(ひとつの商品で1枚)くらいできていた。


基本編は完成していたが、商品編はあと10枚作らないといけなかった。


事業所では作業しながら自分のスマホで作業の様子を毎日何十枚も撮影し、アパートに帰ってから、パソコンを起ち上げてエクセルで手順書を作り、説明文を打ち込み、スマホで撮影した写真をパソコンに移して、撮影した写真を開いて必要な部分を切り取り、手順書に貼り付けて手順書を作っていった。


その作業に毎日毎日、2時間から3時間くらいかかった。


そのぶん金を払ってもらう気はまったくなかった。


私はただ、自分の仕事にきちんとケジメを付けたかったのだ。


そうやって手順書を作っていくうちに、閃いて10個くらい新しい商品を作った。


そのぶんの手順書も作った。


作業手順書の商品編は全部で40枚になった(似たようなものは1枚にまとめたので実際の商品数は60を超す)。

 

レザークラフト作業手順書〈基本編・商品編〉

レザークラフトの糸の縫い方3選

レザークラフト作業手順書の写真

レザークラフト作業手順書と作品画像

作業手順書01〜06の革細工チュートリアル

作業手順書01~06の画像
〈完成した作業手順書〉


私はレザークラフトの素人で、何かでレザークラフトのやり方を学んだわけでもなく、糸の縫い方を少し教えてもらっただけで、ほとんどすべては私が自ら経験して考えて考えて見いだした方法を記して手順書を作っていった。


だから、中には本当の方法とは違う内容もあると思う。


もっと効果的で適切な方法もあるに違いない。


だけど、それでもちゃんと商品を作ることのできる手順書にはなっている。


出品画像も出品コピーも、以前からのようにすべて私が作った。


だから私はマジで忙しかった。


そのことも事業所は把握していたが、何かしてくれるということはまるでなかった。


それがようやく終わった。


これで最後だと思う商品を作って出品して手順書も作ると、私は抜け殻のようになった。


ウツ感が出てきた。


また鬱期に入るのかもしれない。


ようやく事業所を辞めるときが来たなと思っている。


ただ、今はもう冬で暖房費がものすごくかかる。


千歳はひどく冷えるし、私の住むアパートの壁には断熱材が入っていないし北風に吹きさらされるところにあるので、室内も冷えに冷える。


私はもともと札幌に住んでいたが、千歳に住む娘に子どもが生まれ、娘から千歳に来ないかと誘われた。


千歳に行けば孫に頻繁に会えるし、何より千歳には千歳川があるので釣りを楽しめると考えて札幌から千歳に引っ越した。


ところが千歳川は、私の知っている千歳川ではなくなっていた。


数十年前に誰かが放流した外来種のブラウントラウトが、もともといたニジマスやヤマメを食いあさり、ほとんどブラウンしか釣れない川になっていたのだ。


1年目はヤマメが少し釣れた。


ニジマスは食い尽くされたのかまったく釣れなかった。


2年目にはブラウンさえあまり釣れなくなった。


他の魚を食い尽くして巨大化したブラウンが、小型や中型のブラウンを共食いしはじめたからだ。


それよりも、1年目の暖房費に驚愕した。


冬の暖房費は、札幌時代の3倍にもなった。


生活していけなくなり、それで仕方なく障害者就労継続支援B型事業所に入った経緯がある。


A型事業所なら時給をもらえるので月の収入は結構な額になる。


しかしA型事業所には定年があり、それを過ぎていた私はA型事業所には入れなかった。


B型事業所では時給制ではなく1日いくらの日給制(工賃と呼ばれる)で、その額は驚くほど安い。


私がいま通っている事業所では月に2万くらいにしかならない。


それでも冬の暖房費を払っていくには入るしかないと思って仕方なく入った。


私は障害者就労継続支援事業所ほどうさんくさい会社はないと思っている。


障害者を雇って通所させると、ひとりにつき1ヵ月で15万円以上の給付金が国からもらえる(障害者が毎日通所した場合)。

 

障害福祉サービス費給付金受領のお知らせ
〈私は通院のため毎週金曜に休みをもらっているため、月の給付金は13万円前後である〉


30人通所させれば月に400万円くらい入ってくる。


それで事業所の責任者などは、仕事が楽なわりには多額の給料をもらっている。


厚労省が役人を配置して役人だけでやればいい事業なのに、厚労省は民間に丸投げしている。


役人たちの丸投げは福祉以外の他の事業でもよくある。


多額の給付金を渡せば、民間人が喜ん引き受けてくれるからだ。


だから全国には障害者就労継続支援事業所のような施設が数えきれないほどできている。


普通の企業のように儲けるために努力しなくても多額の給付金を自動的にもらえるので、目ざとい人たちはどんどん事業所を作った。


普通の企業ならよほど確かな見通しがあっても大きな初期投資するには勇気がいるし、社員に給料を払いながらちゃんと経営していくのは本当に大変なことだ。


けれど障害者就労継続支援事業所なら多額の給付金を毎月もらえるので、障害者をたくさん集めるだけでよくて運営は簡単だ。


障害者に気を遣う必要があってその点では苦労があるだろうが、どうしたら儲けを出せるか真剣に考える必要がないので、普通の会社と比べれば断然楽だ。


集めた障害者には、儲けを度外視した適当なことをやらせていればいいから、それも楽だ。


職員にはかなりの給料を払うことができるので、職員集めもそんなに苦労しない。


私のように職員ではなく障害者なのに職員のような仕事をさせられる人もいる。


なのに事業所は、そういう障害者に余分の給料を払うことがない。


私がいるだけで月に十数万円ももらっているくせに、それを私に還元しないばかりか、私に私物や私費を使わせ、さらに私に私用時間を割かせている。


ずるいと思う。


悪質と言ってもいい。


監督官庁は民間に丸投げして、ろくに監査もしない。


だから、私のように事業所の犠牲になる障害者が出たりする。


ウツになってしまう要因がたくさんある場所なのだ。


札幌で勤めたSというA型事業所でも、私は時給以上の高度な仕事をさせられた。


私は陶芸班に所属していたのだが、ホームページを作ってくれと言われて陶芸とホームページ作りのふたつを同時にやらせられた。


どちらかの仕事がおろそかにならないよう、他の人よりもフル回転し、陶芸班の誰よりも作品を作ったし、かなり高度なホームページも完成させた。

 

北海道認証事業所 障害者就労支援企業認証書

陶芸品の花器 (陶器製)

〈私が作ったA型事業所のホームページ/「北海道障がい者就労支援企業に認定された」というのは嘘〉


その事業所では電動ロクロを使わない“手びねり”陶芸をしていていたのだが、経営陣が急に電動ロクロを導入し、「電動ロクロでも作品を作れ」と言ってきた。


その陶芸班には電動ロクロを使ったことのある人間は私しかいなかった。


私は精神科のデイケアに通っていたときに電動ロクロによる陶芸をしていたので、その基本を身に付けていた。


それで経営陣は私に「みんになに教えてやれ」と命じた。


手びねり陶芸しかしたことのなかったメンバーの中(特に指導的立場にいる年配者)には、「電動ロクロなんて観光地で素人でもやってるじゃないか」と電動ロクロによる陶芸を軽く見る人がいた。


私は電動ロクロの難しさを知っていたから、こういう人たちにうまく教えられるかなと不安になった。


やらせてみると、みんなまるでできなかった。


電動ロクロでは、まず粘土をこねてロクロの上に置き、ロクロを回しながら手に水を付けて粘土を両手で挟んで富士山のような形に粘土の山を作っていく。


ロクロを回してその“山”が静止して見えるようになるまでその作業を続ける。


“山”が静止すれば、「芯が出た」と言う。


そこで初めて山のてっぺんに指を差し込んでくぼみを作っていき、茶碗や花瓶などの形を作っていく。


観光地で観光客が簡単そうにやっているのは、職人がすでに芯出しを終えたところから始めているからだ。


陶芸班のメンバーたちには、その芯出しのできる人がいなかった。


当然である。


簡単なことではないのだ。


私も何回も何回も挑戦しては失敗し、ようやく身に付けた技術なのだ。


芯が出ていないまま器を作ると、歪んだものができる。


だから、芯出しができないと作品を作れない。


芯出しができるようなって作品を作れるようになっても、少し乾かしてから今度は道具を使って器などの内側と外側を削って薄くしたり、底の部分を削って高台と呼ばれるものを作らないといけないので、かなりの熟練が必要になる。


年配者たちは、芯出しができなくて、それだけで電動ロクロを無視するようになった。


電動ロクロを使いこなせない姿をこれ以上若いメンバーに見られたら、自分の箔に傷が付くとでも思ったからだろう。


若いメンバーは芯出しと真剣に取り組んでくれたが、数日でできるようになるような簡単なことではないので、その指導でも私は疲れ果てた。

 

陶器の湯呑み、職人手作り風の風合い

〈精神科のデイケア作った作品(電動ロクロ)/湯呑み〉

陶芸班の作品・器

〈A型事業所の陶芸班で作った作品(手びねり)/割山椒〉

青い陶器の花器 500円

〈A型事業所の陶芸班で作った作品(手びねり)/花器〉

陶器製ダックスフンドの置物

〈A型事業所の陶芸班で作った作品(手びねり)/ダックスフンド〉

リスの置物

〈A型事業所の陶芸班で作った作品(手びねり)/シマリス〉

陶芸作品3点

〈精神科のデイケアで作った作品(手びねり)/花器〉

青い器と水玉模様

〈精神科のデイケアで作った作品(手びねり)/ぐい呑み〉

鯉の陶器、色鮮やか

〈精神科のデイケアで作った作品(手びねり)/鯉のはし置き〉

猫の顔をした陶器の小皿

〈精神科のデイケアで作った作品(手びねり)/猫の小鉢〉

陶芸作品の湯呑み。手びねり。

〈精神科のデイケアで作った作品(手びねり)/水盤〉


それで心身ともに疲弊してしまい、鬱期に入って辞めざるを得なくなった。


そんなことがあったので、障害者就労継続支援事業所にはもう入らないと決めたのだが、千歳に来たら暖房費がとんでもない額になったので、やむなくまた入ってしまった。


辞めれば冬の暖房費を払っていけなくなる。


夏でも生活していけるか怪しい。


それでも、このままでは私はこの事業所の犠牲になりつづけると思うので、春になったら辞めるつもり。


そして、千歳ほど冷えなくて暖房費が安く済む札幌に戻るつもり。


千歳に住む娘と孫にあまり会えなくなるのはつらいが、そうするしかない。


鬱期に入ったらその前に辞めて札幌に引っ越すかもしれない。


愛犬アイルと何年も一緒に暮らした札幌に。


アイルが亡くなった札幌に。


そのほうがいいだろう。


いや、そうするしかない。


その先のことは考えないことにする。


もう限界だと感じているのだ。


「これで俺の仕事は終わった」と思っている。


最後の商品の出品画像と出品コピーを事業所の出品担当者に渡し、完成した作業手順書のデータもUSBメモリに保存してそれも職員に渡し、その担当者に以下の手紙を渡した。


事業所にLINEすると、責任者にまた握り潰されると思ったからだ。


「作業手順書はこれで最後です。作業手順書は、〈基本編〉と〈商品編〉のふたつに分け、それぞれファイリングしています。できそうな人が入ってきたら、それを参考にやらせてみてください。センスのある人なら、手順書を見ながら作れば、同じものを作ることができるはずです。私は私の仕事にケジメを付けました。作業手順書に関しては、ゴールデンウィークから走りつづけ、正味半年かかりました。私は「喘息日誌」と「うつ日誌」を毎日付け、ブログふたつに毎日投稿し、少し前まではホームページの運営もしていました。インスタやFacebookやXもやっています。そういう中で作業手順書作りを続けるのはかなりの負担でした。半分近く作り終えたとき社長に「外注すれば20万はかかるでしょうね」と言いましたが、最後まで作ってみると、20万などで引き受ける会社や人はいないと思いました。何しろ毎日毎日、事業所に通って、付きっ切りで私の作業の様子を見て、私の説明をメモをし写真を撮り、会社に帰って写真を整理し、各写真の画素数を下げるか写真を縮小し(私はそれができるアプリを持っていないので写真はスマホで撮ったままのものを使いました。だから手順書はすごく重いファイルになっています)、原稿を打ち、レイアウトしなくてはならないのです。それが半年も続くのです。外注したら50万は下らなかったでしょう。正直に言うと私はもうヘトヘトです。ちょっとウツ気味になってきましたし、しばらく楽をさせていただきます。売れた商品の在庫を作るだけにします。この事業所にこのままずっといては、また鬱期に入りそうですし、どんな目に遭うか怖いので、春には辞めます。プライベートの時間を毎日2時間も3時間も割くことはもうしたくありませんし(作業手順書作りは、初めは事業所のパソコンで作るつもりでしたが、職員の●●さんがパソコンを貸してくれなかったので、仕方なく自分のパソコンを使いました。このことは社長がご存じです)、私費で革や道具などを買って生活が圧迫されるのも避けたいですし(これも社長と責任者の■■さんはご存じです)、パソコンがまた壊れるようなことになったら絶望しますし(これはあなたに言いましたのでご存じですよね。おかげで、ひとつ10万円もするソフト2つが使えなくなりました。そのことは、あなただけでなく、他の職員もご存じのはずです)、メガネを傷つけられるのももうごめんですし(あなたはご存じないでしょう。■■さんは社長にさえ隠していますから)、わずかな工賃のために職員と同じように働くのももうやめにしたいのです。これらのことを知っていながら、あなたたちは私に何もしてくれませんでした。それどころか苦々しく私のことを思っていましたね。監督官庁に訴えたらどうなるでしょうね。そんなことをする気は今のところありませんけど。私はずるいことが大嫌いですし、立場の弱い人を酷使したりするのも大嫌いです。事業所を守るために障害者を犠牲にするなんて最低です。私が通所するだけで、事業所は月に13万前後もの給付金をもらっています。その何割が私に還元されたでしょうか。還元されるどころか、私の出費は増え、私物は壊れ、プライベートの時間を大きく割かれました。こんなことをあなたに言うのは、■■さんに言ってもまた握り潰されるだけですし、そんなところで働いていたら、あなたのプラスにならず、ひょとするとあなたのキャリアに傷が付くのではないかと思うからです。障害者就労継続支援事業所は、福祉とは名ばかりで、障害者を食い物にしている存在と言われても仕方がないと思います。まあ、こんな制度を作った厚労省が一番悪いのですけどね」と。


その担当者は会社に対して律儀な人だから、この手紙を事業所の責任者と社長に見せるだろう。

 

それでいいのだ。

 

まず、職員の誰かに私の気持ちを伝えたかったのだ。

 

そうしたら職員が障害者たちの本当の気持ちを知ることにつながるだろう。

 

それが目的だ。

 

社長がまた慌てて引き止めてくるように思うが、もう説得はされない。


事業所を辞めて札幌に戻っても生活は苦しいだろう。


どうしても生活できなくなったら死ねばいい。


私の人生計画では70歳で死ぬことになっている。


あと2年あるが、もっと早くに死んでも全然構わない。


亡くなった愛犬アイルに会えると思えば、もっと早く死にたいくらいだ。

 

犬と触れ合う飼い主の手
〈亡くなった愛犬アイル〉


息子と娘には迷惑をかけることになるのでそれが気がかりだが、生活していけなくなればそれも仕方ないと思っている。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+2.6キロ。

私はよく、アスクル(ASKUL)の「ロハコ」の通販を利用する。

 

ランサムウェア攻撃によるLOHACO情報流出について
〈「ロハコ」ホームページ〉


「ロハコ」には「ゆっくり払い」という支払い方があって、請求メールが来てから2ヵ月のうちに支払えばいい。


私は年金生活者で、年金は2ヵ月ごとに支給される。


だから、年金が口座に入ってすぐ使ってしまったら2ヵ月をうまく生活していけなくなる。


それでいつも少しずつ年金を使うようにしているのだ、不思議なことに、そういうときに限って想定外の出費をしなくてはならないことが起きる。


そうなると年金が一気に減り、次の1ヵ月を生活していくのが困難になる。


そんなとき、ロハコの「ゆっくり払い」を利用する。


次の年金支給日には支払えるように利用するのだ。


ところが最近、アスクルがサイバー攻撃を受けたため注文ができなくなった。


そして、変なメッセージがよく届くようになった。


「ゆっくり払い」にすると、支払いはネットプロテクションズという会社が受け継ぐ。


そのネットプロテクションズから、「支払い期限がすぎています。至急支払いをしてください」とか「支払いがないと延滞金が発生します」とか、そんなメッセージが届くようになったのだ。


そのメッセージに記載されているURLをタップすると、ネットプロテクションズのページに飛び、支払うためのバーコードが表示される。


コンビニでそのバーコードを示してピッとしてもらって支払うわけだ。


しかし、ネットプロテクションズから届いたメッセージの請求について私には心当たりがないのだ。


ロハコで購入すると、ロハコから請求メールが届く。


それにもURLが記載されていて、それをタップするとバーコードが表示される(その画面はとネットプロテクションズのメッセージから飛ぶ画面は見た目はまったく同じである)。


そうした請求メールが届いたら、私はそれを「支払い」という名のフォルダに入れる。


決して捨てたりはしない。


そして2ヵ月以内に支払う。


その「支払い」フォルダは今は空っぽである。


ということは、支払いはすべて済ませたということだ。


なのにネットプロテクションズから支払い督促のメッセージが頻繁に届く。


詐欺ではないのかと思ってネットプロテクションズのホームページを検索して表示させ、ネットプロテクションズにメールして確認すると、確かにそれは未払いゆえのメッセージだという。

 

NP後払い決済のイメージ図
〈「ネットプロテクションズ」の「ゆっくり払い」に関するページ〉


請求メールをうっかりゴミ箱に捨ててしまったのかと思ってゴミ箱のすみずみまで何度も探したが、ネットプロテクションズが要求している金額と同じ注文や請求についてのメールは見当たらなかった。


他のフォルダに入れてしまったのかもと思って探したが、それもない。


ロハコのページを開いて自分の注文履歴を見ても、該当する注文はない。


それでロハコにメールしたが、いまだに返事がない。


どういうことなのか?


少し前、私の「Yahoo!」IDが乗っ取られた。


「PayPay」のアカウントも乗っ取られた。


それと何か関係があるのだろうか。


それとも、アスクルがサイバー攻撃を受けたことと関係があるのだろうか。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+2.6キロ。

「日本会議」は日本最大最凶の右翼である。

 

日本会議のウェブサイト、富士山の画像
〈「日本会議」のホームページ〉


自民党議員のほとんどが加入し、高市早苗も加入していて(安倍晋三も加入していた。リーダー的存在だった)、「日本会議」の理念に賛同し、「日本会議」の示す憲法改正草案のまま憲法を改正しようとしている。


その憲法改装案を見ると、天皇を元首にしている。


主権在民ではなくなるということだ。


基本的人権については大幅に制限し、さらに国民に愛国心を植え付ける教育に力を入れ、国のために尽くすように国民に求める内容になっている。


障害者や高齢者などの社会的弱者を守るといった福祉に関しては軽視している。


同性愛を認めず、女性天皇の即位に反対してもいる。


そして自衛隊を国軍という軍隊にすると明記している。


つまり、ほとんど明治憲法(大日本帝国憲法)と同じなのだ。

 

日本会議の憲法改正草案「天皇」
〈「日本会議」が作った憲法改正草案の冒頭〉


「日本会議」のメンバーは、「昭和十年代が日本では最も良かった時代だ」と平気で言う。


そんな右翼団体をマスコミは糾弾しない。


「日本会議」には大企業の会長や社長が多く加入していて、そんな団体を非難するような報道をしたら広告がもらえなくなるとマスコミは恐れているのだ。


櫻井よし子、百田尚樹、舞の海などの有名人を広告塔にし、憲法改正を声高に叫びつづけている。

 

日本会議の人脈と影響力。安倍晋三ら。


私は何度も何度も「日本会議」を潰すべきだと書いてきた。


そしたら何人もの「日本会議」メンバーから脅しのようなメールやメッセージが届いた。


こんな物騒な右翼団体は即刻潰すべきだ。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+2.3キロ。

場所はラブホテルのような室内だった。


照明が暗く、近くに大きなベッドがあった。


そこに、舞の海と、フジテレビアナの井上清華がいた。

 

舞の海氏、スーツ姿のプロフィール写真
〈舞の海〉

 

井上清華アナウンサーの笑顔
〈井上清華〉


夢はそこから始まった。


舞の海は薄着で腹を出して立っている。


すぐそばに井上清華がモジモジして立っていて、ときどき舞の海のほうを見ては下を向く。


何度かそうやって、「あの、舞の海さん」と井上清華がやっと声をかけた。


「何ですか?」と素っ気ない返事が舞の海の口から出た。


「あの……」と言ってから井上清華が黙り込む。


すると部屋の横のほうからテレビ局のディレクターのような男が歩いてきて、「セイカちゃん、そんなに弱気じゃダメだよ。色気出して」と言った。


「は、はい」と井上清華。


そして意を決して、「舞の海さん!」とセイカちゃん。


「す、好きです!」


そう告白するなり、服を脱ぎはじめた。


全部脱ぐと、舞の海に走り寄って抱きついた。


「好きですか? それなら」と舞の海。


井上清華をくるりと回転させ、自分に背中を見せるようにして、右手で井上清華の小さなオッパイをムンずと掴んだ。


「ああ…」と井上清華。


しかし、それ以上、発展しない。


何とももどかしい夢だった。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+2.3キロ。

日本で生まれた少林寺拳法は中国の少林拳とはまったく違う武術である。


創始者の宗道臣は、その著『少林寺拳法』を読むと少林寺を訪れたことはあるが、そこで修行をしたわけではない。

 

宗道臣が弟子を指導する少林寺拳法
〈弟子の攻撃を手球に取る宗道臣〉


少林寺で生まれた少林拳をマスターした老武術家に不思議な技をかけられたり見せられたりし、日本に帰国して自ら研究して「少林寺拳法」を創始した。

 

少林拳は、もとはちゃんとした武術だったと思うが、中国で武術家が弾圧されたことがあり、それで踊りや体操のような型を作り、武術のように見えないようにした。


他の中国拳法もみなそうだ。


少林拳を修めたジェット・リーなどの型や太極拳などを見れば、それがよくわかる。


体操選手やサーカスの団員のように飛んだり回転したりと派手に動いたり、変な構え方をしたり、どう見ても実戦性は認められない。


そんなことしていたら攻撃を喰らってやられてしまうぞと思うような“武術”なのだ。


それはともかく、少林寺拳法だ。


創始に当たって宗道臣はうまいことをやった。


道場を宗教法人にしたのだ。


宗道臣は少林寺の門派のひとつである北少林義和門拳の第21代正統継承者らしく、それで宗教法人の認可が下りたのだろう。


宗教法人になれば税金を払わなくていいい。


まったくうまいことを考えたものだ。


かといって少林寺拳法が適当な武術というわけではない。


相当に研究された優れた武術である。


少林拳を修行したわけでもない人間がどうしてそんな武術を完成させることができたのかわからない。


少林寺拳法と少林拳を比べると、少林拳は打撃中心だが、少林寺拳法は打撃だけでなく関節を取って相手を倒したり無力化させるような技も多いようだ。


少林拳と合気道を合体させたような武術なのかもしれない。


武術の素人に近かったような宗道臣がどうしてそんなことができたのか?


他の武術を研究して作っていったのかもしれない。


おそらくその分野では天才だったのだろう。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.3キロ。

「Amazonプライム」で『私の夫と結婚して』を観た。

 

私の夫と結婚して ドラマ キービジュアル
〈日本版『私の夫と結婚して』〉


韓国で作られた同名タイトルのものを日本でリメイクした連続ドラマだ。


主演は小芝風花で、佐藤健や横山裕が出ていた。


この横山裕が実に気持ち悪い役で、実生活でもこういう奴なのではないかと思えてきて気持ち悪かった。


その気持ち悪い奴と、私の大好きな小芝風花がキスするシーンを観るのはつらかった。


すべて見終わって、すんごく面白かった。


ではオリジナルの韓国のドラマはどうなんだろうかと、それも観てみた。

 

私の夫と結婚して キャスト画像
〈韓国版『私の夫と結婚して』〉


しかし、一話を観ている途中で観るのをやめた。


日本版はそんなに露骨な演出はなく、流れが自然だったのに、韓国のオリジナルは露骨すぎて拒否感を覚えてしまったからだ。


日本人は露骨な表現を嫌い、真綿で包んだような表現を好む。


でも、韓国はそうではないようだ。


韓国で大事故などが起こると、親族が大泣きする。


テレビカメラを向けられているのに、喚きながら泣きまくる。


日本ではそんなシーンはあまり見られない。


みんな我慢している。


これはおそらく、自分というものを徹底的に押さえつけられた江戸期の教育や慣習が尾を引いているものと思われる。


韓国人と日本人(特に関西人)のDNAに違いはほとんどないそうなので、韓国人と日本人は同一民族と言ってよいほどに似ている。


なのに感情の出し方や抑え方にびっくりするほどの違いがある。


韓国(北朝鮮を含む)は新羅が朝鮮半島を統一してから唐の属国になって、自分たちの文字を捨て、姓名を唐風に変え、中国の儒教を国教にした。


古代朝鮮人たちは中国人以上に儒教を信望し、中国以上の儒教国家になった。


儒教の根本は先祖崇拝と年配者尊重と礼儀重視である。


近年はどうか知らないが、韓国ではどの家にも家系図があり、その最初の先祖まで辿れたらしい。


韓国には「金」や「李」といった姓が多い。


しかし、同じ「金」でも元の先祖を辿ると違う人物であることもある。


そうであれば「金」さんという男性と「金」さんという女性は結婚できる。


けれど元の先祖が同じだった場合は結婚が許されない。


また、一座に年寄りがいると、若い連中はその年寄りに遠慮してタバコを吸えなかったという。


メガネをかけることもできなかった。


当時はタバコを吸うのは年配者だけで、メガネは老眼鏡しかなかったからだ。


そして、中国の四書五経を中心とした勉学が盛んで、中国の科挙と同じ官吏登用試験があり、優秀な若者はそれに合格してエリート公務員になれた。


逆に劣等生は生涯、貧しく暮らすことになった。


エリート公務員になれば、給料はいいしあちこちから賄賂をもらえるしで、豪勢な暮らしができた。


そのおこぼれは親族に及ぶので、親族たちは、親族の中に子どもができるとその子を経済的に大いに支援して秀才に仕立て上げることに狂ったように熱心になった。


この慣習が今の韓国に残っていて、とんでもなく激烈な受験戦争を招いているのだろう。


日本にも儒教は入ってきたが、あくまで書物による知識だけだった。


先祖の祭祀を重視するとか礼儀を大切にするとかは日本なりに受け入れた。


しかしそれだけで、先祖が同じだから結婚を許さないといったことはまるでなく、それどころかイトコ婚を認めたし(「記紀」によると天皇家の先祖は叔母、甥の仲でも結婚している)、科挙制度とかは採用しなかった。


韓国人や中国人は、日本人がイトコ婚をすると聞くとと「ケモノにも劣る」と蔑視するそうだ。


儒教の国だなあと思わざるを得ない。


そういう国民なのに、テレビカメラの前で大泣きする韓国人を見ると、ちょっと違和感を覚えてしまう。


儒教は礼儀を重んじるから人前で醜態を見せるのは恥だと思っているはずだと思ってしまうからで、しかし儒教ではそんなことは説いていないのかもしれない。


それよりも親族が事故で死んだことを全身で悲しむほうが儒教的には正しい態度なのかもしれない。


隣国なのに韓国は遠いなあ。


これまで私は、古代朝鮮語が日本語に大きすぎる影響を与えていることを何度も強調してきた。


その点は間違いないだろう。


何しろ、弥生時代から古墳時代にかけて主に朝鮮半島から日本列島に渡来した人の数は70万人にものぼるとみられているのだ。


弥生人たちの多くは関西地方に定住したと私は考えている。


そこでクニを作って、後に大和朝廷を作ったと思っている。


だから、関西弁のもとはたぶん古代朝鮮語だったのではないかと考えている。


平安時代に書かれた「源氏物語」が京都弁で書かれていないのは、話し言葉ではなく書き言葉で書かれたからだろう。


書き言葉は、漢文の読み下しから広まったと思う。


それはともかく、また日本の天皇家は古代韓国の王族だったと私は思っているので、親族間の婚姻を認める考えた方は、もしかすると古代韓国(新羅が統一して唐風になる前)のものだったのかもしれない。


なのに韓国はその後、日本とまるで違う国なった。


近代に入って日本は軍事国家になって朝鮮半島を植民地にして、朝鮮人たちにひどいことをした。


若い女性たちを従軍慰安婦にしたり、働き盛りの男たちを強制的に日本に連れてきて鉱山などの過酷な現場で働かせた。


「日本会議」などの右翼は、「慰安婦は喜んで従軍したのだ」とか言うが、そういう女性がいたかもしれないとしても、非難は免れないことを日本はやったと思う。


そういう歴史があるから、韓国人の特に年配者は反日感情をあらわにする。


イトコ婚をする野蛮な民族だと、彼らは日本人を蔑視する。


イトコ婚はおかしくないと思うが、昔の日本人(特に陸軍参謀本部の連中)が野蛮だったのは確かだと思う。


それで非難されてもしょうがないと思う。


この問題はこの先も続くのだろうか。


韓国の若者は反日教育をされているから、反日感情はそう簡単には消えない気がする。


隣国なのに悲しいことである。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.3キロ。

先日、冷凍庫が壊れ、どうしようかと悩んでいたら、今度は冷蔵庫まで壊れた。


朝、トレーニングしてプロテインを入れた牛乳を飲んだら冷たくない。


「まさか」と思って冷蔵庫の扉を開けて手を突っ込んでみたら室温と変わらないように感じた。


念のため温度計を冷蔵庫の中に入れてみたら15℃あった。


まいった…。


真冬になれば玄関が0度くらいになるので、冷蔵品は玄関に置けばいい。


外はずっと氷点下になるので、冷凍品は外の自転車のカゴに入れておけばいい。


しかし今は、まだそんなに冷えていない。


春になればそんなことはできなくなるので、どうしたらいいのかと悩みがもっと増えた。


冷蔵庫の中に今はほとんどモノが入っていないし、冷蔵しないとすぐダメになるようなものは少ない。


でも、冷蔵しないより冷蔵したほうがいいだろうなというようなモノもある。

 

冷蔵庫の食品と調味料の画像


どうしよう…。


マジでまいったなあ。

 

ということを、LINEの家族・親戚のトークルームに投稿したら、娘からこういうラインが来た。


「コンセントの抜き差ししてみた?」


モーターはずっと回っているままなので、モーターが原因とは思えず、そんなことをしても無駄だと思ったが、せっかくアドバイスをもらったのだからと思って冷蔵庫を動かしてコンセントの抜き差しをしてみた。


そして冷蔵庫内に温度計を入れてしばらく待ってみた。


数時間経っても冷蔵庫内の温度は8℃までしか下がらなかった。


その前は15℃だったので、少しは効果があった。


でも、8℃では冷蔵品を入れておくにはちょっと不安だ。


冷凍庫はどうだろうかと思って、今度は温度計を冷凍庫内に入れてまたしばらく待った。


そしたら冷凍庫内の温度は氷点下0.3℃にまで下がった。

 

冷凍庫-0.3℃を記録する温度計


もっと温度計を入れていればさらに温度が下がりそうだ。


これなら冷凍庫は使える。


コンセントを抜いていったんモーターを止めて、またコンセントを差してまたモーターを回すだけで直るなんて…。


完全に直ったわけではないが、冷凍庫が使えるようになっただけで助かった。


冷蔵が必要なものは、しばらくは買ってこれないが、玄関が0℃近くまで下がるようになったら買ってきて玄関に置くことにしよう。

 

と思っていたら、冷凍庫に入れていた温度計の数字が上昇して6℃にまでなっていた。


温度計を冷蔵庫に移してみると9℃だった。


それでまたコンセントを抜き、しばらくしてまた差して温度計を確認することを続けた。


冷蔵庫や冷凍庫の温度は、上がったり下がったりで、そのときによって変わった。


やはり壊れているのだと思った。


仕方がない。


冷蔵品は玄関が冷えるようになるまで買わず、冷凍品も外が真冬日になるまで買わないでおこう。


つまり、冷やさなくてももつものだけ買うようにしよう。


そうするしかないようだ。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+2.9キロ。

私の死んだ母は3人姉妹の真ん中である。


3人とも仙台で生まれ、満洲に渡って十代後半までそこで過ごした。


母は数年前に亡くなったが、姉(私の伯母)と妹(私の叔母)はまだ生きている。


このふたりがとんでもない人たちだった。


伯母は結婚してふたりの子どもを産んだが夫と離婚し、仙台で葬祭屋を営む男の妾になった。


なのにいつも金がなくて、母のところに来ては、母の目を盗んで父の通帳と印鑑と健康保険証を探し出し、悪質金融から多額の金を借りた。


返済ができなくなると、督促は父のところに来た。


そういうことが何度もあった。


伯母の娘(私の従姉妹)はとても美人でまともだったが(私は彼女とは結婚するつもりでいた)、その兄の息子(私の従兄弟)は不良になり、チンピラと付き合ってさんざん悪さをした。


やがて父でも返済されない額の督促が来るようになり、するとヤクザから頻繁に迷惑電話が来るようになった。


「お前のかあちゃんはキャバレーに勤めて客の子を産んだ。バラしてもいいか!?」とか脅してくるのだ。


その「子」というのは、母が嫁入りするときに連れてきた私の姉だった。


伯母は電話が鳴っても受話器を取らないようになり、母もそうするようになった。


しかし、大切な用件のある電話もあるので、ふたりで取り決めて、1回鳴らしていったん切ってからまた鳴らすという方法を使って通話するようになった。


叔母はもっとひどかった。


伯母と同じく我が家の通帳と印鑑と健康保険証をちょろまかし、大金を借りて回った。


返済するのは父だった。


彼女は金に汚いだけでなく男にもだらしなく、夫がいて何人もの子どもがいるのに、しょっちゅう浮気をした。


私が高校生のころには、夫と6人の子どもを捨てて姿をくらました。


男と駆け落ちしたのだ。


数年後、熱海の旅館で働いていることがわかった。


母の父(私の祖父)は博打好きで、満洲鉄道で働いていたころはよかったが、戦局が怪しくなって仙台に戻ってからは遊び歩き、多額の借金を背負った。


母が姉と妹とともにキャバレーで働くようになったのは、その借金返済のためだった。


伯母と叔母が金に汚くなったのはその父の血を受け継いだのかもしれない。


祖父は女にもだらしなく、祖母が死ぬとさっさと次の女を見つけ、一緒に暮らすようになった。


そういうところも伯母と叔母は受け継いだのかもしれない。


母はまあまともだったが、ひとつだけ困ったところがあった。


世間体を気にしすぎることだった。


キャバレー時代の友達たちの多くは、パチンコ屋の経営者や不動産屋の社長など稼ぐ男の妻になっていた。


おそらくキャバレーでホステスをやっていたときに捕まえた男たちなのだろう。


彼女たちは裕福な暮らしをしていて、頻繁に海外旅行にいったりダイヤの指輪を買ったりした。


すると母はそれをうらやましく思い、父にせがむのだ。


「ハワイに行きたい」


「ダイヤの指輪買って」と。


こう書くと悪いのは母とその親族ばかりのようだが、父の親族にもろくな人はいなかった。


父の母(私の祖母)は母がホステスだった上に連れ子で嫁入りしたことから、母のことをいびりにいびった。


祖父は金のことしか頭になく、真っ黒ででかいガマ口をいつも首から下げていた。


父は5人兄弟姉妹の長男だったが、兄弟姉妹の中にはすごくまともな叔父と叔母もいるものの、あとはひっどい男ばかりだった。


仕事に就いてもすぐ辞め、父が仕事先を探し出してそこに押し込んでもすぐ辞める。


父に金をせびることも頻繁だった。


私の家系の祖先は越後にいて、そのひとりが博打で大儲けし、その大金を家財道具の中に隠して大八車に乗せ、奥羽山脈を越えて仙台まで来た。


それが明治の初めだったという。


その子の中には銀行に勤めた者もいたが、使い込みをしてクビを切られた。


というように、母の家系にも父の家系にもろくなやつがいなかった。


そういう家系で私は育った。


私はそんなに悪いことはしてこなかったが、どこか危なっしいところがある。


その都度、踏みとどまっているが、とどまれなかったら先祖や伯母、叔母、叔父のようになっていたかもしれない。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+2.0キロ。