私はJという千歳の障害者就労継続支援B型事業所でレザークラフトをしている。
これまで何人かの人がレザークラフト班に来たが、みな適性がなかった。
木工の好きな人は革を彫刻刀で切ったり、円く切るところを平気でギザギザに切り、そのあと、紙やすりで磨いて円くしたりした。
木工のクセが取れなかったのだ。
それでは革の切り口がどうしてもきれいにならない。
革の切り方を教えても、無視してそっぽを向いていた。
切り方も磨き方も糸の縫い方もすべて下手という人もいた。
何度練習させてもダメだった。
何より問題だったのは、糊や磨き材(クリーム)を革に付けたまま作業を続けることだった。
糊やクリームは、乾くと固まって取り除けなくなる。
だから仕上がりはどれも汚くなった。
しかも、クリームを大量に使う。
少しだけ付けて磨けばいいのだが、ベタベタと塗りたくってボトボトと机やカッターマットの上に垂らした。
机やカッターマットには、クリームが固まった山があちこちにできた。
クリームは高価なので、「大事に使ってね」「そんなに付ける必要ないよ」と何度言ってもドバドバ使う。
あとひとりは、レザークラフトをしたいと自分で望んだのに、レザークラフト班に来ても革を切る練習さえ満足にしなかった。
だいたいにしてカッターの使い方も知らなかった。
何度教えても変な握り方でズタズタに切る。
天然石のパワーを本気で信じている人で、勤務中にスマホで天然石の検索ばかりしていた。
普通の会社員なら注意されるかクビになるだろう。
しかし障害者就労継続支援事業所では、通所する障害者をクビにすることはできないし、勤務中にスマホで関係のないものを見ていても、職員がいなければ注意されることはない。
レザークラフト班には職員が配置されてないので、その人はそんなことができたのだ。
それだけならまだいいが、しばしば検索したページを私を見せ、説明文を読み上げる。
無視するわけにもいかず、作業の手を休めていつも聞いて上げた。
私はその人の上司ではなく同じく通所する人でしかなかったからだ。
そのころから私は作業手順書を作りはじめていたので凄く忙しかったから大迷惑だった。
しかもその人は、私がいないスキに本革を勝手に使って切り刻んだ。
私は土日のほかに、通院するために金曜に休みをもらっている。
それで木曜に、「明日はこれこれこういうものをボール紙で作ってみてください」というように言い残して金曜を休んでいたのだが、月曜になって事業所に行ってみると、ボール紙ではなく大事な本革でそれが作られているのだった。
ちゃんと切られていてそれが商品になるのであればいいが、切られた革はみなギザギザになっていたり変なところに穴が開けられていたりして、捨てるしかなかった。
そういうことが何度も続き、本革は高価なのでさすがに私は頭にきた。
それで「本革で練習しないでください」と冷たく言った。
すると、元気だったその人は急にシュンとなり、レザークラフト班の部屋を出ていって職員のいる部屋に行き、その日はずっとその職員と無駄話をしていた。
精神疾患の患者なんだなとそのとき気づき、悪いことをしたなと悔いた。
誰が何の障害を持っているかは職員が話してくれないのでわからない。
仕事しにくいところだなと思った。
2年近く前、レザークラフトでまともなものが作れるようになって、メルカリに出品することになった。
出品するには画像と説明文を作らなくてはならない。
それを私は自分のアパートの部屋で作った。
私は2台のパソコンを持っている。
ひとつは1990年代に買ったうんと古いパソコンで、もうひとつは2010年製のものだ。
なぜ2台あるかというと、プリンターが壊れて買い替えたら、「うんと古いパソコン」のOSのバージョンが古くて新しいプリンターに接続できなくて、仕方なく「ちょっと古いパソコン」を買ったからだ。
「うんと古いパソコン」には、プロ仕様のデザインソフト(IllustratorとPhotoshop)が入っている。
私は編集の仕事をしていたので、それらのソフトは必須だったのだ。
「ちょっと古いパソコン」を買ったのでIllustratorとPhotoshopをそのパソコンにもインストールしようとしたら、それらソフトのバージョンが古すぎてインストールできなかった。
仕方なく、それらのソフトで何か作るときは「うんと古いパソコン」で作り、画像に変換してUSBメモリに保存し、「ちょっと古いパソコン」でその画像を開いて印刷するようにしていた。
レザークラフトの出品画像も、最初のころはそれらのソフトを使って作っていた。
しかし「うんと古いパソコン」なのでメモリは少なくHDの容量も少なく、作業していると「HDの容量が不足しているので作業を続行できません」というメッセージがよく出た。
出品画像を作っているときもそうで、そのたびHD内を調べて、不要な画像等を削除しては作業を続けていた。
3つめの商品ができて出品画像を作っていたら、また同じメッセージが出て作業を続けられなくなって、不要なファイルはないかとHD内をくまなく探した。
しかし見当たらなくて、よくわからないファイルをどんどん捨てた。
そしたら、「うんと古いパソコン」が起動しなくなった。
いろいろ試したが、どうやっても起動しない。
きっと、捨ててはいけないファイルを捨てたからだろう。
しかし、内部にはひとつ10万円ほどもした高価なデザインソフトが入っている。
それで捨てられずにいて、いまだにうちには2台のパソコンがあるのだ。
「うんと古いパソコン」が壊れてからは、スマホで出品画像を作るようになった。
スマホでデザイン関係のアプリを探して、それで作っているが、満足した出来にはならない。
それはまあいいが、考えてみれば私が個人の時間を潰して個人宅で事業所のために個人のパソコンを使用したら壊れたわけなので、その修理費を払ってもらいたいものだとよく思う。
事業所ではそういう事情を知っているのに、修理費を払う気などはさらさらない。
一度、責任者から「出品画像は今後は職員が作ります!」と強く言われ、その職員に簡単なやつを作ってもらったことがある。
私は背景画像と商品画像を用意し、タイトルや説明文も用意し、「この背景画像にこの商品画像を合成し、タイトルはここに、説明文はここに入れてください」と、その職員にやり方とともに教えた。
できた出品画像を見て落胆した。
たぶんできないだろうなと思っていたが、予想していたのよりもっとひどい出来だったので大いに落胆し、任せることはできないと思った。
それでそれ以降はまた私が作ってきた。
責任者は何も言ってこなくなった。











〈私が作ってきたレザークラフト商品〉
また、去年にはメガネのレンズを傷つけられた。
昼休み中にメガネを外してスマホのゲームをし、メガネを机の上に置いたままトイレに行って戻ってきたらレンズに傷が付いていた。

〈傷つけられた私のメガネ〉
責任者に言っても、「うちにはそんなことをする障害者はいません! だいたい、昼休み中は職員が皆さんのことを監視しています!」と言い放って私の訴えを退けた。
昼休みに職員は障害者とともにトランプや将棋などをしてギャーギャー騒いだり将棋盤を見下ろしてウンウン唸っている。
監視なんてできるわけがない。
そう反論しようとしたが、責任者の顔を見たら、この人は絶対に俺の話を聞かないつもりだなと感じて、それ以上は何も言わなかった。
責任者としては、障害者の中から犯人探しなどできないと思ったのだろうし、そんなことが世間にもれたらどんなことになるか恐れたのだろう。
もっと恐れたのは、監督官庁に聞こえたら大変だということだったと思う。
それで私は犠牲になったのだ。
仕方なく私はメガネを作り替えた。
事業所は一銭も払ってくれなかった。
責任者は、この事件を握り潰し、職員にはもちろん社長にさえ報告していない。
あのときから、いつまでも通所するところではないなと思うようになった。
そしてレザークラフトで変な人ばかり任され、それでもかなりまいった。
前述した人が何枚もの革をダメにしたので、仕方なくまた注文した。
すると事業所の責任者から「レザークラフト班は金を使いすぎる」と苦情を言われた。
前述したようにレザークラフト班には職員が配置されていない。
成り行きで、私が職員みたいな立場になった。
それで注文は私がやっていた。
無駄な注文はしたことなどなかったが、天然石好きの人や高価なクリームをドバドバ使う人が来てから、注文するものが急増した。
それは私の責任だと責任者は思ったのだろう。
それで私は躁期から鬱期に入り(私は躁鬱病である)、1ヵ月くらい事業所を休んだ。
それまで私は、安いものなら自費で買って商品を作っていた。
その頻度が増えた。
生活が圧迫されてきた。
そのことも事業所は知っていたが、何もしてくれなかった。
もう耐えられないと思って私は事業所を辞めることにした。
そしたら社長が慌て、「レザークラフトの火を消したくない」と私に言って私を引き止めた。
「それなら」と私は言った。
「作業手順書を完成させるまではいます」と答えた。
私の私物が壊れるようなことを私にやらせたり、私の私物が傷つけられても無視し、私ひとりに責任を押し付けてくるような事業所で今後も働くのが何だかバカらしくはあったが、社長の説得に負けてしまったのだ。
その時点で作業手順書の基本編6枚(ひとつの項目についてA3版で1枚)、商品編20枚(ひとつの商品で1枚)くらいできていた。
基本編は完成していたが、商品編はあと10枚作らないといけなかった。
事業所では作業しながら自分のスマホで作業の様子を毎日何十枚も撮影し、アパートに帰ってから、パソコンを起ち上げてエクセルで手順書を作り、説明文を打ち込み、スマホで撮影した写真をパソコンに移して、撮影した写真を開いて必要な部分を切り取り、手順書に貼り付けて手順書を作っていった。
その作業に毎日毎日、2時間から3時間くらいかかった。
そのぶん金を払ってもらう気はまったくなかった。
私はただ、自分の仕事にきちんとケジメを付けたかったのだ。
そうやって手順書を作っていくうちに、閃いて10個くらい新しい商品を作った。
そのぶんの手順書も作った。
作業手順書の商品編は全部で40枚になった(似たようなものは1枚にまとめたので実際の商品数は60を超す)。






〈完成した作業手順書〉
私はレザークラフトの素人で、何かでレザークラフトのやり方を学んだわけでもなく、糸の縫い方を少し教えてもらっただけで、ほとんどすべては私が自ら経験して考えて考えて見いだした方法を記して手順書を作っていった。
だから、中には本当の方法とは違う内容もあると思う。
もっと効果的で適切な方法もあるに違いない。
だけど、それでもちゃんと商品を作ることのできる手順書にはなっている。
出品画像も出品コピーも、以前からのようにすべて私が作った。
だから私はマジで忙しかった。
そのことも事業所は把握していたが、何かしてくれるということはまるでなかった。
それがようやく終わった。
これで最後だと思う商品を作って出品して手順書も作ると、私は抜け殻のようになった。
ウツ感が出てきた。
また鬱期に入るのかもしれない。
ようやく事業所を辞めるときが来たなと思っている。
ただ、今はもう冬で暖房費がものすごくかかる。
千歳はひどく冷えるし、私の住むアパートの壁には断熱材が入っていないし北風に吹きさらされるところにあるので、室内も冷えに冷える。
私はもともと札幌に住んでいたが、千歳に住む娘に子どもが生まれ、娘から千歳に来ないかと誘われた。
千歳に行けば孫に頻繁に会えるし、何より千歳には千歳川があるので釣りを楽しめると考えて札幌から千歳に引っ越した。
ところが千歳川は、私の知っている千歳川ではなくなっていた。
数十年前に誰かが放流した外来種のブラウントラウトが、もともといたニジマスやヤマメを食いあさり、ほとんどブラウンしか釣れない川になっていたのだ。
1年目はヤマメが少し釣れた。
ニジマスは食い尽くされたのかまったく釣れなかった。
2年目にはブラウンさえあまり釣れなくなった。
他の魚を食い尽くして巨大化したブラウンが、小型や中型のブラウンを共食いしはじめたからだ。
それよりも、1年目の暖房費に驚愕した。
冬の暖房費は、札幌時代の3倍にもなった。
生活していけなくなり、それで仕方なく障害者就労継続支援B型事業所に入った経緯がある。
A型事業所なら時給をもらえるので月の収入は結構な額になる。
しかしA型事業所には定年があり、それを過ぎていた私はA型事業所には入れなかった。
B型事業所では時給制ではなく1日いくらの日給制(工賃と呼ばれる)で、その額は驚くほど安い。
私がいま通っている事業所では月に2万くらいにしかならない。
それでも冬の暖房費を払っていくには入るしかないと思って仕方なく入った。
私は障害者就労継続支援事業所ほどうさんくさい会社はないと思っている。
障害者を雇って通所させると、ひとりにつき1ヵ月で15万円以上の給付金が国からもらえる(障害者が毎日通所した場合)。

〈私は通院のため毎週金曜に休みをもらっているため、月の給付金は13万円前後である〉
30人通所させれば月に400万円くらい入ってくる。
それで事業所の責任者などは、仕事が楽なわりには多額の給料をもらっている。
厚労省が役人を配置して役人だけでやればいい事業なのに、厚労省は民間に丸投げしている。
役人たちの丸投げは福祉以外の他の事業でもよくある。
多額の給付金を渡せば、民間人が喜ん引き受けてくれるからだ。
だから全国には障害者就労継続支援事業所のような施設が数えきれないほどできている。
普通の企業のように儲けるために努力しなくても多額の給付金を自動的にもらえるので、目ざとい人たちはどんどん事業所を作った。
普通の企業ならよほど確かな見通しがあっても大きな初期投資するには勇気がいるし、社員に給料を払いながらちゃんと経営していくのは本当に大変なことだ。
けれど障害者就労継続支援事業所なら多額の給付金を毎月もらえるので、障害者をたくさん集めるだけでよくて運営は簡単だ。
障害者に気を遣う必要があってその点では苦労があるだろうが、どうしたら儲けを出せるか真剣に考える必要がないので、普通の会社と比べれば断然楽だ。
集めた障害者には、儲けを度外視した適当なことをやらせていればいいから、それも楽だ。
職員にはかなりの給料を払うことができるので、職員集めもそんなに苦労しない。
私のように職員ではなく障害者なのに職員のような仕事をさせられる人もいる。
なのに事業所は、そういう障害者に余分の給料を払うことがない。
私がいるだけで月に十数万円ももらっているくせに、それを私に還元しないばかりか、私に私物や私費を使わせ、さらに私に私用時間を割かせている。
ずるいと思う。
悪質と言ってもいい。
監督官庁は民間に丸投げして、ろくに監査もしない。
だから、私のように事業所の犠牲になる障害者が出たりする。
ウツになってしまう要因がたくさんある場所なのだ。
札幌で勤めたSというA型事業所でも、私は時給以上の高度な仕事をさせられた。
私は陶芸班に所属していたのだが、ホームページを作ってくれと言われて陶芸とホームページ作りのふたつを同時にやらせられた。
どちらかの仕事がおろそかにならないよう、他の人よりもフル回転し、陶芸班の誰よりも作品を作ったし、かなり高度なホームページも完成させた。


〈私が作ったA型事業所のホームページ/「北海道障がい者就労支援企業に認定された」というのは嘘〉
その事業所では電動ロクロを使わない“手びねり”陶芸をしていていたのだが、経営陣が急に電動ロクロを導入し、「電動ロクロでも作品を作れ」と言ってきた。
その陶芸班には電動ロクロを使ったことのある人間は私しかいなかった。
私は精神科のデイケアに通っていたときに電動ロクロによる陶芸をしていたので、その基本を身に付けていた。
それで経営陣は私に「みんになに教えてやれ」と命じた。
手びねり陶芸しかしたことのなかったメンバーの中(特に指導的立場にいる年配者)には、「電動ロクロなんて観光地で素人でもやってるじゃないか」と電動ロクロによる陶芸を軽く見る人がいた。
私は電動ロクロの難しさを知っていたから、こういう人たちにうまく教えられるかなと不安になった。
やらせてみると、みんなまるでできなかった。
電動ロクロでは、まず粘土をこねてロクロの上に置き、ロクロを回しながら手に水を付けて粘土を両手で挟んで富士山のような形に粘土の山を作っていく。
ロクロを回してその“山”が静止して見えるようになるまでその作業を続ける。
“山”が静止すれば、「芯が出た」と言う。
そこで初めて山のてっぺんに指を差し込んでくぼみを作っていき、茶碗や花瓶などの形を作っていく。
観光地で観光客が簡単そうにやっているのは、職人がすでに芯出しを終えたところから始めているからだ。
陶芸班のメンバーたちには、その芯出しのできる人がいなかった。
当然である。
簡単なことではないのだ。
私も何回も何回も挑戦しては失敗し、ようやく身に付けた技術なのだ。
芯が出ていないまま器を作ると、歪んだものができる。
だから、芯出しができないと作品を作れない。
芯出しができるようなって作品を作れるようになっても、少し乾かしてから今度は道具を使って器などの内側と外側を削って薄くしたり、底の部分を削って高台と呼ばれるものを作らないといけないので、かなりの熟練が必要になる。
年配者たちは、芯出しができなくて、それだけで電動ロクロを無視するようになった。
電動ロクロを使いこなせない姿をこれ以上若いメンバーに見られたら、自分の箔に傷が付くとでも思ったからだろう。
若いメンバーは芯出しと真剣に取り組んでくれたが、数日でできるようになるような簡単なことではないので、その指導でも私は疲れ果てた。

〈精神科のデイケア作った作品(電動ロクロ)/湯呑み〉

〈A型事業所の陶芸班で作った作品(手びねり)/割山椒〉

〈A型事業所の陶芸班で作った作品(手びねり)/花器〉

〈A型事業所の陶芸班で作った作品(手びねり)/ダックスフンド〉

〈A型事業所の陶芸班で作った作品(手びねり)/シマリス〉

〈精神科のデイケアで作った作品(手びねり)/花器〉

〈精神科のデイケアで作った作品(手びねり)/ぐい呑み〉

〈精神科のデイケアで作った作品(手びねり)/鯉のはし置き〉

〈精神科のデイケアで作った作品(手びねり)/猫の小鉢〉

〈精神科のデイケアで作った作品(手びねり)/水盤〉
それで心身ともに疲弊してしまい、鬱期に入って辞めざるを得なくなった。
そんなことがあったので、障害者就労継続支援事業所にはもう入らないと決めたのだが、千歳に来たら暖房費がとんでもない額になったので、やむなくまた入ってしまった。
辞めれば冬の暖房費を払っていけなくなる。
夏でも生活していけるか怪しい。
それでも、このままでは私はこの事業所の犠牲になりつづけると思うので、春になったら辞めるつもり。
そして、千歳ほど冷えなくて暖房費が安く済む札幌に戻るつもり。
千歳に住む娘と孫にあまり会えなくなるのはつらいが、そうするしかない。
鬱期に入ったらその前に辞めて札幌に引っ越すかもしれない。
愛犬アイルと何年も一緒に暮らした札幌に。
アイルが亡くなった札幌に。
そのほうがいいだろう。
いや、そうするしかない。
その先のことは考えないことにする。
もう限界だと感じているのだ。
「これで俺の仕事は終わった」と思っている。
最後の商品の出品画像と出品コピーを事業所の出品担当者に渡し、完成した作業手順書のデータもUSBメモリに保存してそれも職員に渡し、その担当者に以下の手紙を渡した。
事業所にLINEすると、責任者にまた握り潰されると思ったからだ。
「作業手順書はこれで最後です。作業手順書は、〈基本編〉と〈商品編〉のふたつに分け、それぞれファイリングしています。できそうな人が入ってきたら、それを参考にやらせてみてください。センスのある人なら、手順書を見ながら作れば、同じものを作ることができるはずです。私は私の仕事にケジメを付けました。作業手順書に関しては、ゴールデンウィークから走りつづけ、正味半年かかりました。私は「喘息日誌」と「うつ日誌」を毎日付け、ブログふたつに毎日投稿し、少し前まではホームページの運営もしていました。インスタやFacebookやXもやっています。そういう中で作業手順書作りを続けるのはかなりの負担でした。半分近く作り終えたとき社長に「外注すれば20万はかかるでしょうね」と言いましたが、最後まで作ってみると、20万などで引き受ける会社や人はいないと思いました。何しろ毎日毎日、事業所に通って、付きっ切りで私の作業の様子を見て、私の説明をメモをし写真を撮り、会社に帰って写真を整理し、各写真の画素数を下げるか写真を縮小し(私はそれができるアプリを持っていないので写真はスマホで撮ったままのものを使いました。だから手順書はすごく重いファイルになっています)、原稿を打ち、レイアウトしなくてはならないのです。それが半年も続くのです。外注したら50万は下らなかったでしょう。正直に言うと私はもうヘトヘトです。ちょっとウツ気味になってきましたし、しばらく楽をさせていただきます。売れた商品の在庫を作るだけにします。この事業所にこのままずっといては、また鬱期に入りそうですし、どんな目に遭うか怖いので、春には辞めます。プライベートの時間を毎日2時間も3時間も割くことはもうしたくありませんし(作業手順書作りは、初めは事業所のパソコンで作るつもりでしたが、職員の●●さんがパソコンを貸してくれなかったので、仕方なく自分のパソコンを使いました。このことは社長がご存じです)、私費で革や道具などを買って生活が圧迫されるのも避けたいですし(これも社長と責任者の■■さんはご存じです)、パソコンがまた壊れるようなことになったら絶望しますし(これはあなたに言いましたのでご存じですよね。おかげで、ひとつ10万円もするソフト2つが使えなくなりました。そのことは、あなただけでなく、他の職員もご存じのはずです)、メガネを傷つけられるのももうごめんですし(あなたはご存じないでしょう。■■さんは社長にさえ隠していますから)、わずかな工賃のために職員と同じように働くのももうやめにしたいのです。これらのことを知っていながら、あなたたちは私に何もしてくれませんでした。それどころか苦々しく私のことを思っていましたね。監督官庁に訴えたらどうなるでしょうね。そんなことをする気は今のところありませんけど。私はずるいことが大嫌いですし、立場の弱い人を酷使したりするのも大嫌いです。事業所を守るために障害者を犠牲にするなんて最低です。私が通所するだけで、事業所は月に13万前後もの給付金をもらっています。その何割が私に還元されたでしょうか。還元されるどころか、私の出費は増え、私物は壊れ、プライベートの時間を大きく割かれました。こんなことをあなたに言うのは、■■さんに言ってもまた握り潰されるだけですし、そんなところで働いていたら、あなたのプラスにならず、ひょとするとあなたのキャリアに傷が付くのではないかと思うからです。障害者就労継続支援事業所は、福祉とは名ばかりで、障害者を食い物にしている存在と言われても仕方がないと思います。まあ、こんな制度を作った厚労省が一番悪いのですけどね」と。
その担当者は会社に対して律儀な人だから、この手紙を事業所の責任者と社長に見せるだろう。
それでいいのだ。
まず、職員の誰かに私の気持ちを伝えたかったのだ。
そうしたら職員が障害者たちの本当の気持ちを知ることにつながるだろう。
それが目的だ。
社長がまた慌てて引き止めてくるように思うが、もう説得はされない。
事業所を辞めて札幌に戻っても生活は苦しいだろう。
どうしても生活できなくなったら死ねばいい。
私の人生計画では70歳で死ぬことになっている。
あと2年あるが、もっと早くに死んでも全然構わない。
亡くなった愛犬アイルに会えると思えば、もっと早く死にたいくらいだ。

〈亡くなった愛犬アイル〉
息子と娘には迷惑をかけることになるのでそれが気がかりだが、生活していけなくなればそれも仕方ないと思っている。
【ダイエット記録】目標達成体重より+2.6キロ。