《2024年7月8日》ー偏食はしんどい | aichanの双極性日記

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私の父はひどい偏食家で、しかも味にうるさく、さらに思い込みが激しい。

 

出された料理に嫌いなものが入っているとその料理に箸もつけず、まったく食べない。

 

味に満足できないとひと箸付けただけで箸を置いて、その料理も食べない。

 

そしてむっつりと不機嫌になる。

 

その昔、父は北海道旅行をして札幌の「三平」というところで味噌ラーメンを食べた。

 

「三平」は今もあるのか知らないが、札幌で初めて味噌ラーメンを出した名店である。

 

〈「三平」の味噌ラーメン〉

 

「あれはうまかった」と父はよく言っていた。

 

私が27歳で仙台の実家から札幌に渡って結婚して息子が生まれたとき、元妻と生まれて間もない息子を連れて里帰りしたことがある。

 

その際、新千歳空港の売店で「三平」の生ラーメンが売られていたので、それを買っておみやげにした。

 

「三平」の生ラーメンは実家の母と実家に帰っていた妹が料理して食卓に出した。

 

しかし父は、一度麺をすすっただけで「これは“三平”の味と違う」と言って、あとは食べなかった。

 

そういう親父なのだ。

 

母は何でも食べた人で、できれば何でも使って料理して食べたかったが、偏食家で味にうるさい父を恐れて、いつも父の嫌いな食材を避けて、また父の舌に合うような味付けで料理をした。

 

例えば父はマグロ以外の刺身を食べられなかった。

 

だから私は、札幌に移るまで、刺身といえばマグロしか食べたことがなかった。

 

寿司屋から出前を頼むときも、ネタはマグロと卵焼きと蒸しエビとかっぱ巻きだけのものだった。

 

仲間と居酒屋などに行って刺身の盛り合わせを頼んでも、私はマグロしか食べなかった。

 

その他の刺身にはどうにも抵抗があって手がつけられなかった。

 

それで私は偏食家と見られるようになった。

 

しかし北海道に渡ってからいろいろな刺身を食べられるようになった。

 

居酒屋などで刺身盛り合わせを頼んでも、仙台時代と違ってマグロ以外にも箸を付けてみて、それが案外うまいと知って食べられるようになったのだ。

 

それでもエビの刺身だけは敬遠していた。

 

道東の尾岱沼(おだいとう)でホッカイシマエビ漁の船に乗せてもらったことがある。

 

〈尾岱沼のホッカイシマエビ漁の打瀬船〉

 

水揚げされたホッカイシマエビを漁師は船の上で殻を剥いて食べた。

 

〈ホッカイシマエビ〉

 

「あんたも食べろ」と言って漁師は私に、殻を剥いたホッカイシマエビを渡してきた。

 

それまで私は、エビといえば蒸しエビか炒めたエビしか食べたことがなかった。

 

おそるおそるホッカイシマエビを受け取ると口に入れて噛んでみた。

 

うまかった。

 

「この世にこんなにうまいものがあるのか!」と思うほどの素晴らしい味だった。

 

大空の下で食べたせいもあったかもしれない。

 

その後は私はエビの刺身が好物になった。

 

ニンジンも家庭の食卓では出たことがなかったので私も父と同じくニンジン嫌いだったが、北海道に渡ってからはニンジンが好きになった。

 

ニンジンの品種改良が進んで昔のニンジンは苦かったのに今は甘くなっているから、そのせいかもしれない。

 

大葉も父と同じく食べられなかったが、最近、ようやく食べられるようになった。

 

そんなこんなで、私の偏食は直っていった。

 

しかし、玉ねぎやピーマンやナスなどは今になっても食べられない。

 

それも父の影響だ。

 

一度、ピーマンなら克服できそうに思ってピーマンの細切りを入れたナポリタンを作って食べてみた。

 

しかし、その苦さと、何よりも臭いに辟易してしまって食べられなかった。

 

それを作ったフライパンは昔風の鉄製のもので、ピーマンの臭いが染み付いてしまい、その後はそのフライパンで何を作ってもピーマンの臭いが付いて食べられなくなった。

 

サラリーマンだったころ、取引先のお客さんと会食したり飲みに行ったりするとき、出てきた料理の中に嫌いなものがあると本当に困った。

 

お客さんの前で嫌いなものを取り除いて食べたりしたら変に思われるだろうと思って無理に食べたり、こっそり残したりした。

 

お客さんと食べるときは、ずいぶんな気苦労をした。

 

ひとりでチャーハンやカレーライスやラーメンなどを食べるときは、嫌いな玉ねぎやピーマンなどを、それがいくら小さく切ってあるものでも箸の先でつまんでよけて食べるが、そんな真似はお客さんの前ではできない(嫌いなものをひとつひとつよけて食べるのは私の芸当にまでなっている)。

 

いま通所している障害者就労継続支援B型事業所では昼に給食が出る。

 

それにも大抵、玉ねぎやピーマンが入っているので、私は食べる前にすべての玉ねぎとピーマンを取り除いてから食べる。

 

恵庭に住んでいたころ、家族で市内にあるラーメン屋でラーメンを食べた。

 

味噌ラーメンだったので、もやしと玉ねぎが大量に入っていた。

 

私は玉ねぎだけを箸でつまんでは元妻の丼に移して食べた。

 

しかし、一回、玉ねぎともやしを間違って食べてしまった。

 

ところが、私の嫌いな玉ねぎ独特のシャキシャキ感がまったくなく、その後はおそるおそる玉ねぎを食べてみた。

 

食べられた。

 

店を出るとき、入口の横に玉ねぎを入れた段ボールが積み重なっていた。

 

その段ボールには「佐賀市」と印刷されてあった。

 

佐賀の玉ねぎなら俺でも食えるんだとそのとき思った。

 

しかし、佐賀の玉ねぎを使っているラーメン屋にはその後巡り合ったことがなく、味噌ラーメンを食べるときはいつも玉ねぎをひとつひとつ丁寧によけて食べている。

 

ラーメンといえばシナチクも近年まで食べられなかった。

 

ピザを食べるときも、玉ねぎやピーマンが乗せてあるとよけて食べる。

 

けれど、お客さんの前ではそんな芸当じみた真似をするわけにはいかなかったのだ。

 

牛丼にも玉ねぎが入っている。

 

へなへなになるまで煮られている玉ねぎなら食べられるが、シャキシャキとした食感が残るあまり煮られていない玉ねぎはひとつひとつよけて食べる。

 

ハンバーガーを食べると、大抵は生の玉ねぎが入っている。

 

私はかぶりつく前にその玉ねぎを全部取り出してから食べる。

 

そのうち、「照り焼きバーガー」には玉ねぎが入っていないのを知り、それ以後はハンバーガーを食べるとときは「照り焼きバーガー」しか食べなくなった。

 

元妻と結婚して元妻の料理を食べるようになってからも私の偏食はなかなか直らなかった。

 

例えばオムライスのライスの中には普通、ひき肉と玉ねぎを入れる。

 

その玉ねぎがよく炒められていてへなへなになっていれば食べられるが、シャキシャキとした食感が残っていると私は食べられない。

 

ハンバーグなどなら玉ねぎがよく炒められているので食べられるが、オムライスではそんなに炒めないのでそのライスの中の玉ねぎはよけて食べるしかなかった。

 

それを見た元妻は、それ以後は玉ねぎの代わりにジャガイモの千切りを使うようになってくれた。

 

実は、私の母も玉ねぎの代わりにジャガイモの千切りを入れてオムライスを作ってくれていた。

 

そのことを元妻に話すと、元妻もそのようなオムライスを作ってくれるようになったのだ。

 

感謝している。

 

しかし、子どもたちのオムライスには玉ねぎを入れた。

 

元妻はそういう工夫をしてくれたので、子どもたちは偏食家にはならずに済んだ。

 

私は椎茸も嫌いだが、それは父とは関係ない。

 

父は椎茸は大好物だった。

 

その点だけは父と違うが、そのほか今になっても嫌いなものは父の影響だ。

 

子どもの偏食は親の影響による。

 

小さいお子さんをお持ちの親御さんたちはそのことを十分に知ってほしい。

 

 

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