《2024年6月19日》ー諱(いみな)は忌み名 | aichanの双極性日記

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明治以前まで武士階級以外の人々には苗字があまりなかった。

 

その武士階級の人々と公家には通称と諱(いみな)というふたつの名前があった。

 

これは中国の影響である。

 

例えば「三国志」で有名な劉備玄徳の場合、通称は備、諱は玄徳である。

 

諸葛亮孔明の場合は、亮が通称、孔明が諱である。

 

これを日本人が真似したのだ。

 

例えば義経の本名は源九郎義経である。

 

九郎は通称、義経は諱だ。

 

新選組副長の土方歳三は農家の出身だが隠し姓の土方を名乗った。

 

しかも諱まであった。

 

義豊という。

 

だから彼の正確な名前は土方歳三義豊ということになる。

 

〈土方歳三〉

 

坂本龍馬の諱は直柔といった。

 

しかし、昔の人は諱を滅多に名乗らなかった。

 

諱は「忌み名」の意味で、隠し名前とでもいうべき位置付けになっていたからだ。

 

源義経は義経とは普通は言わず九郎とか判官(ほうがん)と呼ばれていたし、織田信長は上総介(がすさのすけ)とか上様とか呼ばれていたし、徳川家康は豊臣時代は右府殿、徳川政権になってからは上様と呼ばれていた。

 

ただ、義経も信長も家康も、その諱で呼ばれていた可能性もないではない。

 

諱を堂々と乗るようになったのは中世から戦国時代にかけてからではないかと思う。

 

けれども、江戸時代になっても諱は隠し名であることが多かった。

 

だから、誰かの諱を周囲も知らないことが多かった。

 

例えば西郷吉之助の諱は隆盛ということになっているが、本当は隆永という。

 

明治になって全国民に姓名を与えることになり、明治の顕官たちも姓名を名乗った。

 

そのときほとんどの人は諱を名とした。

 

西郷の場合、西郷のいないところで諱が付けられた。

 

「確か隆盛でごわした」と言う薩摩出身の顕官がいて、それで隆盛となった。

 

あとで西郷が「わしの諱は隆永でごあんそ」と言ったが遅かった。

 

もう戸籍に隆盛と記入されていたからだ。

 

現代の人に諱はない。

 

いい時代になったのかな?

 

 

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