《2024年5月30日》ー漢民族の中華思想はもう時代遅れだ | aichanの双極性日記

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中国は古代から王朝が何度も交代している。

 

それらがみな漢民族の国家だったかというそうではない。

 

中国周辺の遊牧民(騎馬民族)による征服王朝も多かった。

 

征服王朝は漢族以外の民族によって支配された王朝を総称する呼称である。

 

このように中国の周辺に蟠踞(ばんきょ)する騎馬民族は漢民族にとって脅威であり、そのため中国を初めて統一した秦の始皇帝は中国と辺境との境に土塁を築いて騎馬民族たちの侵入を防ごうとした。

 

それが万里の長城の始まりで、その後の歴代王朝が修復したり増強したりして今の万里の長城ができた。

 

ところで、秦の始皇帝陵から発掘された兵馬俑(へいばよう)の兵士たちの顔を見ると、漢民族とは思えないものが多い。

 

騎馬民族の顔に似ている顔が多いのだ。

 

そのことから、秦は騎馬民族をも招き入れて兵士にしていたと思われる。

 

では、その秦を滅ぼした漢の民族はどうだったのか?

 

秦を滅ぼしたのは楚の国の項羽と、やはり楚の国生まれの劉邦だった。

 

楚の人民は漢民族から見ると楚(そ)という国の異民族だった。

 

秦滅亡後、項羽と劉邦は戦いを続けた。

 

劉邦は負けつづけた。

 

しかし、劉邦軍は項羽軍の兵士たちを懐柔して劉邦軍に招き入れ、項羽の陣所を包囲した。

 

そのとき劉邦軍に多く混じっていたかつての項羽軍の兵士たちが楚の国の歌を高らかに歌った。

 

その歌声を聞いた項羽はすべてを悟り、自分の負けを認めた。

 

「四面楚歌」という言葉があるが、それはこの故事から生まれた四字熟語だ。

 

劉邦は漢帝国を興した。

 

劉邦自身は楚の国生まれの異民族だったが、漢帝国は漢民族主体の国になった。

 

漢帝国の勢いが弱くなると中国各地で内覧が起こるようになり、その中から魏を興した曹操や呉の初代皇帝の孫権、そして後に蜀を興した劉備が出た。

 

三国時代の始まりである。

 

最終的には魏帝国が勝って中国を統一し、その後、晋帝国が興ったが長続きはしなかった。

 

三国時代を制した晋も主体は漢を継いだ魏だったので漢民族だった。

 

ところがこの後の戦国時代では、北方の騎馬民族が中国の平原を支配するようになっていった。

 

北魏・南北朝時代になるとまた戦国時代に突入した。

 

そこに北方の遊牧民(騎馬民族)だった鮮卑(センピ)が侵入してきた。

 

鮮卑は漢化して北魏を建て、南北朝の争いを演じた。

 

ところが鮮卑は漢化したのでいつの間にか民族ごと消滅し、漢民族と同化して消えた。

 

その後は隋が中国を平定した。

 

随は漢民族主体の国家だった。

 

次の唐も漢民族主体だったが、唐は異民族との交流を盛んにしたため、騎馬民族も西域の人々をも受け入れた。

 

唐を滅ぼす契機を作った安禄山は異民族だったという。

 

その結果、かなりの混血が進んだと思われる。

 

次に訪れた五代十国時代もほぼ漢民族同士の内乱だった。

 

その次の宋も漢民族主体の国家だった。

 

南宋時代は、最北は金(女真族)、真ん中に遼(漢化した契丹族)、南に南宋(漢民族政府)となっていた。

 

南宋が滅べば即同化・民族消滅という状況の中で、遼は滅亡して民族が消滅した。

 

一部が逃れてカラ・キタイ国を西の方に建てるもその国も後に滅亡消滅した。

 

その他の住民は半騎馬民族だった女真(ジョシン)族(満州系)や漢民族に変化した。

 

その後、モンゴルの騎馬民族による元帝国が建設された。

 

モンゴルの時代にあった多くの遊牧民族はモンゴルによって併合され、後にはすべてモンゴル族にされた。

 

この時代までにも周辺にいた遊牧民族の多くが漢化して消滅するか、逃げ散って西に国を建てるかした。

 

逃げたとされる民族はトルコ系などを中心に西に国を建て安定する例もあれば、そのまま現地で同化し消滅してしまう例もあった。

 

元帝国を滅ぼした明は中国の大部分を漢民族化して再び中国は漢民族の手に戻った。

 

次に興ったのは清である。

 

昔の日本人は中国のことをシナと呼んだが、それは「清」の音から出た呼び名である。

 

ちなみに、この「シナ」が外国人には「China」と聞こえたため、その後は英語読みで「チャイナ」となった。

 

満州の女真族が逆襲を果たして中華を支配したのが清だった。

 

3代目からこの国も漢化し、官僚の半数が漢民族になる政策を実施するなどして次第に政府も漢化した。

 

最終的に革命で皇帝は追いやられ、満州の地で日本の傀儡政権に成り下がった。

 

女真族は日本の傀儡政権で満州国を建てたが、中国に残ったほとんどの女真族は漢化されて消滅した。

 

中国本土は漢民族同士の内乱と共闘が行われた。

 

これまでに多くの人民が漢化されていて、他の民族は少数民族になった。

 

中華人民共和国時代時代になると、満州(女真)を「敵への協力民族」と認定して文字の禁止や文化継承の制限、学校の制限を使って漢族同化政策と弾圧を行った。

 

それは現在進行形中で、あれほどの大帝国を築いた女真族も今では千人程度に減ったという。

 

現在、中華人民共和国に残っているのは、漢民族のほか、遊牧民の流れを受けて途中でイスラム教に改宗したトルキスタンや一定の勢力を維持したチベット、ウイグル、モンゴル、朝鮮人などだ。

 

他は少数民族に転落するか漢化して消滅して消えた。

 

また国を成せなかったウイグルやチベットなども同化の危機にある。

 

地球儀を見てわかる通り、現代の中華人民共和国は史上最大領土になっている。

 

 

こうして見てくると、純粋な漢民族というのは今ではもういないのではないか。

 

漢民族は自らの国や考え方を世界最高の文明国家と文明だとし、周辺の他国を蔑視した。

 

それが中華思想である。

 

今の習近平政権はその中華思想を取り戻そうとしているかのように見える。

 

長続きはしないと私は思う。

 

 

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