恵庭に住んでいたころの秋、私の家族が住むアパートのすぐそばの漁(いざり)川に大量のサケが遡上した。
北海道のサケ(シロザケ)は、今でも残念ながらほとんどが人工孵化放流事業によるものである。
母川回帰したサケを沿岸の定置網で漁獲し、それを逃れたサケは河口でほとんど捕らえられる。
河口で捕らえられたサケはメスは腹を割かれて卵を採られ、オスは魚体をギュッと掴まれて精子を絞り出される。
受精卵は孵化場に運ばれ、数センチの稚魚に育てられる。
その稚魚は全道各地の河川で放流されるのだ。
つまり、北海道のサケといえどもまったくのネイティヴなのではない。
しかし、数年前から河口でサケを捕らえるのを一時的にやめる河川が出てきた。
国が人工孵化放流事業から手を引いたことと関係があるかもしれない。
何にせよ、このおかげで一部の河川ではサケが上流の産卵場所まで遡上できるようになり、自然産卵も行われるようになった。
また、私の住んでいた恵庭市では、ずいぶん前から小学生などが授業の一環としてサケ稚魚の放流を続けてきた。
大量のサケが帰ってきたのはそれらの成果だろう。
市民の放流事業等も実を結んでたくさんのサケが帰ってくるようになった。
それにしても…。
彼らの体はだいぶ傷んでいる。
ヒレはもちろん体の各所が白くただれたようになっている。
〈遡上してきたサケ〉
そんなになってまで、産卵するだけのために彼らはここまで遡上してきたわけだ。
河口からはおそらく数十キロもある道のりをひたすら泳ぎ上ってきたその奮闘努力には頭が下がる。
橋の上からその群れを見ていて、偉いやつらだとあらためて思った。
だが、サケたちの体の傷みようを見て、あまりにひどいなと気付いた。
「ということは…」と私は思った。「そろそろ産卵する気か?」
すると、深みから1匹がスルスルと素早く動き、それに追われるようにして別の1匹が下流の浅瀬に逃げ、反転して上流のさらに浅い瀬に逃げた。
初めに動いた1匹はそれを追い、2匹は少しの間隔をあけて上下に並んだ。
〈メスを追うオスのサケ〉
ははあ、オスがメスを追っているのだな」と思ったら、もう1匹がどこからともなく現れ、つがいになろうとしている2匹の少し下流に入り込んだ。
つがいになったらしい2匹が産卵を始めたときにちゃっかり横入りして自分の精子をぶっかける魂胆なのだろう。
浅瀬の玉砂利の上で、3匹が斜め一列に並んだ。
オリオン座の三ツ星みたいだ。
〈橋の上から見えたサケ3尾〉
よく見ると、その3尾の少し下流のあたりに小魚が何匹かいる。
おこぼれのイクラを待ち構えているのに違いない。
ここは市街地だけど、河口からは相当の距離がある。
案外、このへんはサケの産卵場所になっているのかもしれない。
日本のサケ(シロザケ)は生まれてすぐ川を降り、3年から5年、北太平洋を回遊する。
アラスカやカナダの近海まで行くらしい。
そして、神のみぞ知る不思議の嗅覚で、自分が生まれた母川に帰ってくる。
それだけでも偉いものだと感心させられるが、彼らの偉さはそんなものではない。
彼らは生まれた川に帰ってくるだけでなく、その川の生まれたその場所を正確に目指すのである。
しかも、である。
信じがたいのだが、彼らは生み落とされたその時期にその場所に到達するように遡上してくるという。
サケが回帰する場合、上流のその場所に焦点を合わせて川を遡上しはじめる。
その“一点”が河口から遠い場合、彼らは十分な体力のあるうちに遡上を開始する。
長い遡上の道のりの間に彼らの生殖器官は次第に成熟し、それに栄養を奪われて体の脂肪や筋肉は次第に痩せていくが、“一点”が河口から遠いサケは沿岸に達した時点ではまだまだ元気である。
逆にその“一点”が河口から近いサケは、沿岸に達した時点ですでに成熟が始まっていて、それゆえ体の衰えも相当に進んでいる。
このため、長い川に帰るサケは沿岸に帰ってきた時点でもまだ元気で銀ピカの魚体だが、短い川に帰るサケはその沿岸に回帰した時点で体力が落ちていて姿もヨレヨレになっている。
※だから近くに石狩川や十勝川等の大河川がある定置網で捕獲されるサケは回遊時と変わらないほど姿も味もよく高く売れる。ただしそれはオスのことで、イクラがまだ成熟していないのでメスは安くなる。良いイクラが取れるのは、近くに小河川しかない定置網で捕獲されるサケである。または、秋も深まるころに定置網に入るサケはどの場所でも成熟が進んでいるので良いイクラが取れるという。
※いわゆるメヂカ・ケイジ・トキシラズは回帰まで間のある回遊時の魚がたまたま沿岸に寄って定置網に入った魚である。だから身の栄養が抜けていなくて美味なのである。メヂカやケイジは北海道以外の場所、例えば東北や北陸生まれのケースが多いという。中にはロシア生まれのものもいると聞く。トキシラズの故郷はほとんど外国らしい。
サケは、自分の生まれた場所に近づき、自分の誕生日が近づくと交尾行動を開始する。
そのときにはすでに彼らの体はボロボロになっている。
河口から延々と遡上してくる間にヒレも体も傷みつくしているのだ。
遡上中に何も食べないので体力もおそらく限界に達しているのではないか。
産卵行動を終えた彼らは生きる目的をすべて失ってただ流れにまかせて漂い、間もなく死ぬ。
その姿はまさしくボロボロのオンボロで、北海道の人はそれをホッチャレと呼ぶ。
〈ホッチャレ〉
サケ科サケ属のさだめである(サケ属以外のマスは一生に何度も産卵する。
例えばアメマス・ニジマス・ブラウントラウト・イトウ等がそうだ)。
命を全うした彼らはこうして自然に帰る。
何て凄い生き物なんだろうかと、遡上の季節になる度に私は感心してしまう。
アイヌの人々は、神がその姿を魚に変えて自分たちに恩恵をもたらしてくれるのだと考えた。
だからアイヌの人々はサケ・マスを普通、「カムイチェプ」と呼んだ。
「カムイ」は神、「チェプ」は魚。
つまり神の魚だ!
※英語圏ではサケ科サケ属のサケをサーモン、サケ科でも別の属の魚をトラウトと呼ぶが、日本ではサケとマスの区別が判然としていない。例えばサクラマスの河川残留型や降海型をヤマメと呼ぶが、サクラマスはれっきとしたサケ科サケ属である。カラフトマスも同じ。
※また、ベニザケもサケ科サケ属でこれは日本ではサケで英語圏でもサーモンである。この陸封型を日本ではチップと呼ぶが、これはアイヌ語だ。チェプともいう。どちらが本来のアイヌ語に近いのかはわからないが、とにかく同じ言葉である。それがベニザケの陸封型に限る呼称になった経緯はわからない。ちなみにベニザケは普通のサケと違う生態を持っている。川で産卵し川で生まれ海に降って何年か大洋を回遊して母川に帰るのは同じだが、その母川が普通の川ではいけない。途中に湖のある長い長い川が彼らの産卵場であり孵化する場なのである。日本ではそういう河川はほとんどない。石狩川の支流である千歳川などはそうであり、その上流にある支笏湖ではチップが名物になっている。しかし、支笏湖のチップは国産ではない。日本のチップはもともとは外国から移入されたものらしい。それが北海道の阿寒湖に放流され、そこで育ったものを支笏湖などに放流したという。
〈よく見ると画面中央に赤っぽい魚体が見える。産卵場所近くまで遡上したメスのサクラマス。体は婚姻色の紅色に変化しているのだ〉
これほど凄くて素晴らしい生態を持つ生き物を、もっと大事にしたいとものだと思う。
サケ・マスは漁業者だけのものではない。
釣り人のものでもあるし、遡上を見物する人たちのものでもあり、古来から自然の恵みとしていたアイヌの人々にとっては自然の恩恵そのものなのだ。
この尊い魚が安心して産卵し、安全に孵化し、のびのびと育ち、大洋に泳ぎ出して大回遊の果てに帰ってきたら、何の支障もなく産卵場所まで遡上できるような河川を、私たちは守っていかなくてはならない。
現実には河川のあちこちに高い堰があり、砂防ダムがあり、治水や発電用の巨大ダムがサケたちの行く手をはばむ。
ダムの脇に魚道を作る試みが行われているが、それよりもダム自体をもう作るべきではない。
治水や発電には別の方法を採用すべきだ。
もっと言えば、すでにできてしまっているダムも、利用度や効果の低いものは取り壊してほしいと思う。
サケを守ることは、イコール、北海道の大自然を守ることにもつながるのである。
なお、これと同じ小文はブログ〈Zensoku Web〉にも載せている。
【ダイエット記録】0.5キロ減った。あと-2.5キロだ。