《2024年4月3日》ー空手と合気道 | aichanの双極性日記

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高校生のころ、私は近所の友達とともに空手を習っていた。

 

糸東流という伝統派の空手で、組手は寸止めだった。

 

最初は立ち方、足運びなどを習い、それができるようになると受け方から始まって、突き、蹴りなどの基本技の稽古に入る。

 

次は型の稽古である。

 

3つも4つも型を覚えさせれられた。

 

型をちゃんとできるようになると簡単に初段をくれた。

 

そうすると、約束組手といって、先輩とふたりひと組になり、あらかじめ決めた通りに攻防し合い、実際の受け方や攻撃の仕方を身につける。

 

それができたら自由組手の稽古になる。

 

それまで覚えた技を実際に使って、相手の技を受け、相手を攻撃し合う。

 

だけど、伝統派の空手の立ち方、構え方からは技を出しにくくて組手ではうまく戦えなかった。

 

寸止めといっても攻撃が相手に当たらないように10センチくらい離れたところで止める。

 

こんな稽古をしていて実戦に役立つのだろうかとという疑問を早くから抱いた。

 

それで一緒に習いはじめた友達を誘い、実際に攻撃を相手に当てる練習をやってみようということになった。

 

私たちは学校は違ったが帰宅する時間はだいたい一緒だった。

 

当時、私は仙台に住んでいて、すぐ近くには広瀬川が流れ、その河畔には市営の評定河原陸上競技場というグラウンドがあった(伊達家の評定所があったところだと思う。陸上競技場は今もあるのだろうか?)。

 

その隣には野球場があり、そこはときどき使用されていたが、陸上競技場はほとんど使われていなかった。

 

初めは学校帰りに私服のまま(私も彼も私服で通学していい高校に通っていた)、実際に攻撃を相手に当てる自由組手練習をしてみた。

 

すると激しい体の動きのせいでシャツのボタンがみな取れてしまった。

 

それからは、いったん家に帰ってジャス(宮城県ではジャージのことをジャスと言っていた)に着替え、週に2、3度、その陸上競技場に行って直接打撃制の組手練習をやるようになった。

 

それでわかったのは、まず伝統派の空手の構えや立ち方では、受けはできても攻撃がしにくいということだった。

 

寸止めの組手でも攻撃しにくいなとは感じていたが、攻撃を実際に当てる組手をやってみてそのことがよりはっきりした。

 

例えば伝統的な空手の構え方でスタンス広く立って腰を落とし、右拳を右脇に構えてから上段突きで相手の顔面を狙うなんてほとんど無理だった。

 

相手によほどのスキができるかよほど運が良くなければ正拳は相手の顔に当たらない。

 

伝統的な空手の構え方で突きを出して有効なのは、間合いを詰めて接近戦になったときだけだと知った。

 

戦前だったか戦後だったか、中国で中国拳法家の達人たちが集まり、ボクシングのリングで試合が開催されたことがある。

 

後年、そのビデオを見る機会があったが、中国拳法家の達人たちは最初から中国拳法独特の構えなどせず、ほとんど喧嘩のように殴り合い、蹴り合いをするのだった。

 

そのどの技も中国拳法独特の変わった突き方や蹴り方ではなく、まさしく素人じみた乱闘だった。

 

中国拳法は国家に弾圧されたことがあり、そのため拳法家たちは型を踊りのように変えて残した。

 

官憲に「これは武道ではなく踊りです」と言いわけするためだ。

 

それで今の中国拳法の型は無駄な動きの多い踊りかアクロバットのようなものになってしまっている。

 

そういう中国拳法はもちろんのこと日本の伝統派空手も、その構え方や型は実戦ではほとんど役に立たない。

 

私たちは、当時はやっていたキックボクシングのようにスタンスを狭くして立ち、ボクシング式の上段の構えから突きを繰り出し、回し蹴りなどの蹴りで相手を攻撃し合った。

 

手による顔面攻撃と金的蹴りだけは寸止めにし、あとはどこを攻撃してもいいことにした。

 

だから、私たちの組手は空手というよりキックボクシングのようになっていった。

 

それから次にわかったのは、空手式の突きや蹴りが実際はあまり効かないということだった。

 

たとえ顔面に攻撃が当たってもそれほど効かないということを知った(顔面への突きは寸止めと決めていたが、しかし闘っていると両者ともに激しく動いているし闘争心が旺盛になるしで、どうしてもたまに当ててしまうし当てられてしまう)。

 

突きが流れて顔面に当たっても、痛くはあるがダウンするほどではなかった。

 

蹴りでも同じで、一撃で相手を倒すのはほぼ無理だと知った。

 

当時、空手は一撃必殺だといわれていた。

 

それはウソだとわかった。

 

だいたい、例えば顔を狙ってもそう簡単には当たらなかった。

 

顔面は寸止めだから手前で攻撃を止めるが、止める前に相手は反射的に顔を左右に振って攻撃が当たらないようにする。

 

これはボクシング式の構えから打っても同じだった。

 

顔面を狙うのは相手にスキができたときに限ると私たちは知った。

 

それで私たちは相手の首を狙うことにした。

 

相手が避けようとしても首の位置はそう動かないので、首にはうまく当てることができた。

 

相手の突きが喉仏などに当たると痛くて苦しくてしばらく立ち上がれないほどの苦痛を味わった。

 

蹴りは下段蹴りが最も有効だと知った。

 

いわゆるローキックである。

 

伝統派の空手には下段蹴りはなかったが、キックボクシングにはある。

 

それを真似たのだ。

 

また昔の伝統派空手にはスネや足の甲を相手に当てる回し蹴りがなかった。

 

足の指を上に曲げて指の下にある膨らんだ部分(中足=ちゅうそく)で蹴る中足回し蹴りしかなかった。

 

しかし、その中足回し蹴りを私たちはうまくできなかった、

 

というより、素早くはできなかった。

 

相手に当たる瞬間に足の指を素早く曲げ中足に力を入れなくてはならないのだが、当たるかなり前から中足に力を入れてしまうので、素早く攻撃できなかったのだ。

 

前蹴りでも中足で蹴るから、相手に当たる瞬間に中足に素早く力を入れて蹴る。

 

また、後ろからはがい締めなどされた場合に前蹴り上げで後ろの敵の顔面を蹴る場合も中足を使う。

 

それらは容易にできる。

 

だけど中足回し蹴りでは、練習が足りなかったせいか当たる瞬間に素早く中足に力を入れることがどうしてもできなかった。

 

やってみるとわかると思うが、回し蹴りで中足を相手に当てるというのはちょっとやりにくい。

 

だから私たちは中足回し蹴りの練習をあまりしなかったのだ。

 

そのため蹴りのスピードが遅くなるので、実戦ではほとんど使わなかった。

 

攻撃する場合、手にしろ足にしろ、構えの段階から手や足に力を入れていると素早い突きや蹴りはできない。

 

例えば正拳突きなら初めは拳を軽く握ってそのまま相手に向かって突き出し、相手に当たる瞬間に拳をギュッと握る。

 

そうすると突きや蹴りのスピードが上がる。

 

それで私たちは、突きにしろ蹴りにしろそういうやり方で攻撃した。

 

スネや足の甲を相手に当てるキックボクシング式の回し蹴りもその方法で多用した。

 

間もなくブルース・リーの『燃えよドラゴン』が封切られ、私たちふたりは揃って観にいった。

 

衝撃だった。

 

ブルース・リーは中国拳法をまず学び、次に極真空手も習い、自分なりのジークンドーという武道を創始した。

 

一番驚いたのは、前回し蹴りから後ろ回し蹴りにすぐつなげる連続技だった。

 

それを観てから私たちはその技をみっちり練習した。

 

そうすると上段回し蹴りでもうまく攻撃できることがわかった。

 

私たちは全身アザだらけになりながらその組手練習を続けた。

 

後年、極真会空手がフルコンタクト制の試合を開催するようになった。

 

その試合をテレビで見て、「あ、俺たちが昔やっていた構え方や攻撃の仕方だ」と思ったものだ。

 

ただ、極真会の試合では手による顔面攻撃と金的蹴りは禁止なので、みな近い間合いで相手の胸や腹ばかり殴り合っていた。

 

顔面と金的を狙われないという安心感から間合いを詰めて攻撃し合うのだろうと思った。

 

顔面や金的攻撃が禁止というのは実戦的でない。

 

極真会は、顔面と金的攻撃も寸止めということにして許すべだと思う。

 

そうしないと実戦では役立たない。

 

実際、極真会の選手がKー1に出ても多くは顔面攻撃でダウンして負けた。

 

顔面と金的も狙われると思って組手練習しなければ実戦では役に立たない。

 

実戦では顔面と金的が最も狙われやすいと思うからだ。

 

それはともかく、「しかし」と私たちはしばらくしてから思った。

 

例えば誰かと喧嘩になった場合、相手を傷つけてしまえばこっちが悪いことになって警察に説教される。

 

もしかすると学校に連絡がいって退学とかになるんじゃないかとも思った。

 

それは避けたいと考えた私たちは、相手の突きや蹴りを肘で受ける練習を始めた。

 

突きや蹴りを肘という尖ったところで受けることができれば、攻撃したほうの手や脚を一撃で傷めつけることができ、それだけで相手の戦闘力を奪うことができる。

 

相手が攻撃してきても、こっちは受けているだけで攻撃しないで受けるだけである。

 

それだけで相手にダメージを与えることができれば喧嘩はそれで終わり、警察に怒られることもない。

 

私たちは、竹ぼうきを持ってきてそれを逆さまに構え、竹の柄のほうで突いたり竹の柄を振り回して相手に当てる練習を重ねた。

 

受けのほうはその竹の柄を最初は腕や膝などで受けていたが、それに慣れると肘で受ける練習に入った。

 

しかし竹の柄は細くて肘で受けるのは凄く難しい。

 

私たちは竹の柄の先にタオルを何枚も巻いて太くして紐で縛ってそれを使ってみた。

 

すると当たってもあまり痛くないし、ときどきはうまく肘で受けることもできるようになった。

 

何ヵ月かその練習に明け暮れた。

 

そのころには私は竹の柄をうまく肘で受けられるようになっていた。

 

同時に私たちは座禅にも凝るようになった。

 

陸上競技場の土の上で座禅を組み、30分くらい瞑想した。

 

すると雑念が消え、それから組手をすると集中力が増しているのでキレキレの攻撃ができたものだ。

 

後年、結婚して子どもたちができたとき、任天堂の「Wii」を買って家族でゲームをした。

 

そのゲームの中に座禅があった。

 

座禅を組んで正しい姿勢でどのくらい動かずに座禅を続けられるかというゲームだった。

 

子どもたちも元妻もすぐ姿勢が崩れてゲーム終了となったが、私だけはいつまでも動かず座禅を組むことができた。

 

それは高校のころ坐禅の練習をしたタマモノだったと思う。

 

そんなある日、ひとりの青年がやってきて私たちの組手を見守りはじめた。

 

私たちはこのグラウンドの管理者か何かなと思って怒られるのではないかと心配したが違った。

 

「きみたちがやってるのって、キックボクシング? それとも空手?」と青年は聞いてきた。

 

私たちの組手はキッキボクシングのようになっていたが、ときには空手の構えをすることもあったし空手式の受けをすることもあった。

 

それでその青年はキックボクシングにしては空手に似ていると感じたのだろう。

 

私は組手を中止して「空手です」と答えた。

 

「実際に当てる組手の稽古をしてるんだ。すごいね」と彼は言った。

 

「俺も空手やっててね。でも寸止めなんだ。寸止めだとあきたらない思いは俺にもあるよ」

 

彼は仙台にある私立大学の空手部員だった。

 

三段ということを知らされ、私たちはビビった。

 

三段の突きや蹴りは凄まじいだろうなと思ったのだ。

 

彼は「俺も仲間に入れてくれないかな」と言ってきた。

 

私たちは教えてもらうつもりで承諾した。

 

まず私がその先輩と組手をしてみた。

 

顔面と金的以外は実際に攻撃を当てていいという私たちが作ったルールでだ。

 

先輩はスタンスの広い前屈立ちで右手を脇に構え、左手は内側に曲げたまま前に突き出した。

 

〈伝統派空手の一般的な構え方〉

 

伝統派空手の構え方だ。

 

これならイケるかもしれないと私は思って、まず下段回し蹴りで前に出ている先輩の脚のモモを狙ってみた。

 

これが見事に決まって先輩にスキができた。

 

そこで私は一気に間合いを詰めて先輩に対して次々と攻撃を仕掛けた。

 

さすが三段だけあって私の攻撃はみな受けられたが、しかし先輩は私に押されて下がっていった。

 

私は先輩の周囲を素早く回りながら攻撃を続けた。

 

先輩は素早く動く私になかなか攻撃を出せずにいた。

 

ときどき素早い突きや蹴りが飛んできた。

 

さすが三段だなと思わせるキレのある突きや蹴りだった。

 

しかし私は、それらの攻撃を簡単に受けたりかわすことができた。

 

素早く振り回される竹の柄を肘で受ける練習をみっちり重ねてきたので、太い腕や脚など、いくら素早くても容易に受けたりかわすことができたのだ。

 

受けたりかわすなり、私はすぐ間合いを詰めて先輩を攻撃した。

 

これには先輩もたじろぎ、体が崩れた。

 

そのスキに私は飛び上がって横蹴りを先輩の頭に向けて飛ばした。

 

当たると思った私は危険と感じて蹴りを途中で止めて着地した。

 

先輩は驚きを隠せず、「きみは強いな。凄いよ。何段なんだい?」と聞いてきた。

 

「初段です」と私が答えると先輩はもっと驚いた。

 

それから私たちは仲良くなり、先輩の通う私立大学の体育館に招待された。

 

日曜日だったせいか体育館には誰もいず、広い体育館の隅にはボクシング用のリングが設置され、その横には大きな赤いサンドバッグが吊り下げられていた。

 

私たちふたりはそのとき初めてサンドバッグを実際に見た。

 

あのサンドバッグを蹴ってみていいですかと私は先輩に聞いてみた。

 

「いいよ」と言うので私は走ってサンドバッグの前まで行き、蹴りまくり突きまくった。

 

素晴らしい感触だった。

 

思い切り蹴ったり突きを入れるとサンドバッグは大きくへこみ、大きく揺れた。

 

これはいい練習になると確信した。

 

それから先輩はボクシング部で使っているグローブを持ってきて、「ふたりで軽くスパーリングしてみたら」と言ってきた。

 

私たちふたりは手に大きなグローブをつけてリングに立った。

 

先輩はリングの下で私たちを見守った。

 

私たちはヘッドギアを付けていなかったので、軽い力で攻撃し合った。

 

意外だったのは顔面を狙うとよく当たることだった。

 

素手ではなかなか顔面に当たらなかったのに、大きなグローブをはめているとよく当たる。

 

もちろん、ボクシング式に顔の前で拳を構えてそこからパンチを繰り出したからよく当たったのだろう。

 

また、ボクシング式のかわし方を知らなかったから顔面によく当てることができたのだろうが、それにしても空手とはまったく勝手が違うことに私たちは驚いた。

 

もうひとつ驚いたのは、顔面にパンチが当たるとボーッとなって瞬間、ふらつくことだった。

 

軽いパンチでもそうなるので、思い切りのパンチをまともにくらったら立ってはいられないだろうと思った。

 

素手で顔面に当てられると痛いだけだが(組手をやっていると痛いともあまり感じない。けれど組手が終わった後に痛む)、グローブをはめている手で殴られると痛いというより大きな衝撃を頭部全体に受けるのだ。

 

後年、ボクサーの多くがパンチドランカーになって真っ直ぐ歩けなくなったりすると聞いたとき、それはグローブで殴られるため脳が揺らされて脳に何らかのダメージが蓄積されるからではないかと思った。

 

近年、総合格闘技試合では手の甲だけを覆う特殊な薄手のグローブをつけて闘う人が多くなった。

 

パンチドランカーになるのを防ぐにはボクシングもそのようなグローブをはめるべきではないか。

 

ところで、その日、家に帰った私はサンドバッグが欲しくてなかなか寝付けなかった。

 

親に頼んでも、高いものだろうから買ってもらえるとは思えなかった。

 

いつも空手着などを入れて背負っていた大きなズックのバッグに砂を詰め込めればサンドバッグができると思い、そこで次の日曜日、すぐ近くにある広瀬川の河畔に行ってズックの袋に砂を大量に詰め込んだ。

 

私の家の近くの広瀬川の岸には大きな砂場が広がっていたのだ。

 

するとすごく重くなり、とても持ち上げられなかった。

 

私は砂を4分の1くらい捨て、ようやくかついで家までゆっくり歩いた。

 

重いので、何度も止まっては袋を下ろし、またかついでは歩くということを繰り返して何とか家まで運んだ。

 

普通に歩いたら3分ほどの距離なのに数十分もかかった。

 

その袋に太くて丈夫なロープを結びつけ、袋をベランダの下に置いてベランダの上からロープを引っ張った。

 

重いのでなかなか引き上げられず、少しずつ少しずつ、引っ張り上げた。

 

引っ張り上げたらロープをベランダの鉄柵にきつく結んだ。

 

すぐ階下に降りて外に出て自分の作ったサンドバッグを見た。

 

思い切り突いてみた。

 

するとその固いことといったらなかった。

 

先輩の大学の体育館で突いたサンドバッグとはまるで感触が違った。

 

蹴ってみても同じで、私の作ったサンドバッグはろくにへこみもせず、ろくに揺れもしなかった。

 

本物のサンドバッグに詰められているのは砂ではないと知ったのは後年である。

 

なのになんで「サンド(砂)」などと名付けたのだろうか…。

 

しかし、そのサンドバッグを毎日突いたり手刀打ちをしたり貫手で突いたり蹴ったりしているうちに私の手や脚や手刀や指はみるみる頑丈になっていった。

 

それ以前にもベランダの支柱の鉄骨にタオルを巻いて突いていたし、その後は庭の立木にタオルを巻いて突いたり手刀を叩き込んだり貫手で突いたり蹴ったりしていた。

 

ベランダの支柱を叩きまくると家全体が激しく揺れた。

 

驚いた母は「そんなことしたら家が壊れる。もうそれはやめて」と私に哀願した。

 

それで立木にタオルを巻いて突いたり手刀を叩きつけたり貫手で突いたり蹴ったりするようにしたのだ。

 

それよりも、固いサンドバッグを突いて蹴るほうが効果があったと思う。

 

それで私は何を叩いても蹴っても突いても痛みを感じなくなった。

 

ある日、親父が赤煉瓦を10個ほど買ってきた。

 

何に使うのかはわからなかったが、その赤煉瓦を見るなり私は「割ってみたい」と強く思った。

 

それで親父のいないスキに1個の赤煉瓦を拝借して手刀を振り下ろしてみた。

 

赤煉瓦は簡単にふたつになった。

 

それで私は2個の赤煉瓦を持ち出し、重ねて割ってみた。

 

それも難なく割れた。

 

こうなると3個重ねて試してみる気持ちを抑えきれなくなった。

 

私は親父の怒る声を想像しながらも、赤煉瓦をまた持ち出し、3個重ねて手刀を思い切り振り下ろした。

 

それも見事に割れてくれた。

 

次は4個かと思ったが、それでは全部の赤煉瓦を割ってしまうことになる。

 

私はあきらめ、3個割っただけで満足することにした。

 

正拳を突きおろしても割ることができたと思う。

 

それほど私の手は鍛えられていたのだ。

 

そんなことをやれるようになったのも、あの先輩がいたからだと思う。

 

あの先輩は今ごろどうしているだろうかと、ときどき思い出す。

 

その後、中年になって私は空手の直線的な攻撃に疑問を持ち、合気道を習った。

 

〈合気道〉

 

今は、若いころ練習を積んだ空手の技と、円の動きで相手を翻弄する合気道の技とを融合させた勝手な型を作って毎朝その型を練習している。

 

型練習はよほどイメージ力が強くないと効果が出ないので、複数の敵を強く想定してその型をみっちり練習する。

 

イメージトレーニングだ。

 

これは効果があると私はかなり強く思っている。

 

 

【ダイエット記録】0.2キロ減った。あと0.1キロだ。