《2024年3月29日》ー国立大卒だからと威張ると恥をかく恐れがある | aichanの双極性日記

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国立大学を出たといって威張る人や国立大学出の人は頭がいいと考えている人がいるが、そんな彼らは国立大学というものを過大視しすぎている。

 

私の通所している障害者就労継続支援B型事業所には青森県の弘前大学を出たと自慢げに語る67歳のHさんという身体障害の利用者(障害者就労継続支援事業所で働く人は利用者と呼ばれる)がいる。

 

昼休みに入る10分くらい前になると作業をやめて自分の持ってきた弁当を食べはじめる。

 

みんなが百円給食の準備をしている最中にもう食べ終わる。

 

「俺の勝手だろ」というような顔をしている。

 

その後の昼休みには職員や他の利用者と将棋をするのが常で、そんなとき「Hさんはどこの大学を出たのですか?」などと問われると「弘前大!」と威張るのだった。

 

〈弘前大学正門〉

 

そんな彼を「すごい!」と評価する人もいた。

 

国立大学は私立大学より学費が安いから親の負担を軽減したという立派さはある。

 

その利用者は弘前に実家があるから実家から大学に通ったのだろうから、その点でも親の負担を軽くしたはずだ。

 

しかし、その利用者が誇るのは「俺は国立大学を出たんだ!」ということなのだ。

 

でも残念ながら、弘前大学の偏差値は日本大学より低いのだ。

 

日本大学が40〜65、弘前大学が40〜52.5である。

 

〈全国各地の主な大学の偏差値〉

 

他の国立大学の偏差値も調べてみたら、日本大学より低い偏差値のところがまだあった。

 

弘前大学や他の国立大学や日本大学を見下げる気はない。

 

ただ、比較的容易に入れる大学であることは確かだ。

 

偏差値を見ると東大や京大や東北大や北大や九大などの一流国立大学と比べるとはるかに低いし、慶応や早稲田などの一流私立大学と比べてもはるかに低いからだ。

 

東大や京大や東北大や北大や九大といった偏差値の高い一流大学出なら自慢してもいいと思うが、地方の小さな国立大学出の人はあまり自慢をしないほうがいいと思う。

 

国立大学出だからとその人を無条件に称賛するのもやめたほうがいい。

 

だいたいにして、日本の大学は入るのは難しいが、卒業するのは比較的簡単である。

 

だから日本の大学生たちはろくに勉強もせずバイトや遊びにふける。

 

欧米の大学は入るのは比較的容易だが、卒業するのが難しい。

 

だから外国の大学生たちは一所懸命勉強する。

 

日本の大学を出たからといって威張れるものではないのだ。

 

大卒だからといって高卒の人を見下す人がいるが、そういう人に出会うと軽蔑したくなる。

 

さらにちなみに、弘前大学卒だと誇るこのHさんは、箱作りや封筒作り作業をする際(私の通所する障害者就労継続支援B型事業所の主な作業はお菓子用の箱作りと封筒作りなのだ。私と身体障害のSさんと知的障害の女性利用者の3人はレザークラフトをしている)、テーブルを大きく使う。

 

テーブルには4人が座り、テーブルを4分割して箱作りなどをすべきなのだが、Hさんはそれを無視してテーブルの半分以上をひとりで使う。

 

残る3人はだから狭いスペースで箱作りなどをせざるを得なくなっていた。

 

しかし、Hさんはそんなことは全然気にならないらしく、むしろ当然だという顔をして材料をテーブルに大きく広げて箱作りなどをした。

 

他のテーブルで作業している利用者はきちんと4分割してテーブルを使っているが、それでもひとり分のスペースは狭い。

 

Hさんのいるテーブルの残り3人のスペースはそれよりはるかに狭いのだ。

 

そんなことは周囲を見ればすぐわかりそうなものなのに、Hさんは自分の世界に浸り切っているのか、他の利用者が狭いスペースで工夫して作業している様子を見ようともしない。

 

周りの迷惑をまるで考えてようともしないのだ。

 

それでもHさんにとってはスペースが狭いと感じるようで、余っている椅子を自分の横に持ってきてその座面も使って作業する。

 

「俺のような偉い人間が箱作りと封筒作りなんて軽作業をしてやってやってるんだ。俺の好きなようにさせろ。それが当然ではないか」とでも言いたたそうな顔をしている。

 

そんなところにも、うがてば「俺は国立大出なんだ」という傲(おご)りが感じられる。

 

そのくせ、作業場がうるさいと「うるさい! 迷惑だ!」と小さく怒鳴ってテーブルをドンッと叩く(実際、利用者の多くは勤務中にもかかわらず大声でしゃべりまくり本当にうるさい)。

 

自分が周囲に迷惑をかけるのは許されるべきであって、しかし周囲の人間が自分に迷惑をかけるのは許せないという傲慢な人なのだ。

 

さらに言えば、私が相談室という別室にこもってレザークラフトをするようになったら、私に嫌味を言うようになった。

 

「別宅を与えられたんだから、早くいいモノを作らんといけんな」とか。

 

彼もレザークラフトをしたいみたいだが、その箱作りの様子やカッター捌きなどを見ただけで「この人にはレザークラフトなんて絶対無理だ」と私にはすぐわかった。

 

しかし彼はそう思っていないようで、だから私とSさんと女性利用者だけが相談室でレザークラフトをしているのが許せないのだろう。

 

自分なら何でもできるとでも思っているのか、とにかく自分の技量を自認できない人なのだと思う(箱作りと封筒作りもおそろしく下手で雑だし遅い)。

 

昼休みに入る前に弁当を食べてしまうのも、「俺は弘前大出だ」という傲りからの行動ではないだろうか。

 

もっと言えば、Hさんはパワハラを容認するようなことを平気で言う時代遅れの人だ。

 

宝塚劇団員が自殺したときは「自殺した奴が弱かったからダメだったんだ! 今の若者は根性がない! パワハラなんていうが昔はそんなのどこにでもあった! 耐える訓練をしないから今の子は弱いんだ!」と言い放った。

 

私は反論しようとしたが、向かいに座っているおばさん利用者がHさんのその発言に同意して盛り上がったのでねやめておいた。

 

このおばさん利用者は、このブログの『《2023年10月3日》ー馬並みの男根の夢』『《2023年10月17日》ー我が障害者就労継続支援B型事業所の実態』』『《2023年11月8日》ー個室でひとりレザークラフト』『《2023年11月9日》ー座談会の進め方とわかりやすく正しい日本語の重要性』『《2023年12月18日》ー交通事故は誰でも起こす』『《2023年12月22日》ーレザークラフト最新作(おしゃべりおばさんの猛烈パワハラ)』『《2023年12月26日》ー事業所でクリスクス会』『《2023年12月28日》ーおしゃべりおばさんのその後』『《2024年1月4日》ー古代日本語は関西弁に似ていたと思う』『《2024年1月8日》ー不平不満ではなく恵まれている点を考えるべきだ』『《2024年1月24日》ーおしゃべりおばさんと絶交した』『《2024年2月3日》ーアイヌ民族差別は今なお続いている』『《2024年2月3日》ー職員のNさんが辞めた』『《2024年2月11日》ーパワハラおばさんとはサヨウナラ』『《2024年3月11日》ー社長を強請(ゆす)ったパワハラおばさん』に登場するおしゃべり好きでパワハラもするし社長を強請(ゆす)るし困ったおばさんだ。

 

彼女(Iという名前の60歳の林真理子にやや似たおばさん)はこの事業所をもう辞めたし、その前に絶交したからもう関係ないが、本当に困ったおばさんなのだ。

 

毎日毎日、私は事業所や他人の悪口を聞かされてうんざりしていたものだ。

 

このおばさんも国立大卒の人を無条件で褒めるので、それでHさんの意見に余計に同調したのだろう。

 

おばさんもパワハラを認めるようなことを言っていたので、それで利用者という優位な立場から弱い立場にいる職員にパワハラを仕掛けて平然としているのに違いない。

 

このパワハラおばさんは、その後、社長を脅して金をせしめたフシがある。

 

「パワハラしたんだから謝れ」と忠告したが、「なんでわたしがあやまらなきゃいけないのよ」とまったく罪悪感を抱いていなかった。

 

それどころか、事業所の非を打ち鳴らしてより居丈高になった。

 

「社長がわたしに金を出したくらい事業所はわたしに罪悪感を感じている。この事業所はそれほど〈悪〉なのよ」とでも言いたかったのに違いない。

 

利用者と障害者という立場を利用して社長を脅したパワハラおばさんを私は決して許さない。

 

そのくせこのパワハラおばさんは、障害者を見下すところがある。

 

差別発言はするし馬鹿にするしで、どういう神経をしているのだろうかと疑うくらいのものだ。

 

Hさんにも似たようなところがあり、世の中には弱者がいるということを認めようとしない。

 

自分は努力して強者になったんだから、弱者も努力して強者になればいいと考えている。

 

Hさんと一緒に飲んだことがあるが、彼の話を聞いていたら、「弱者は自己責任で弱くなったのだから助ける必要なんかない!」という、安倍晋三や厚労省の役人のような考えの持ち主だと知った。

 

うつ病などの精神障害者の存在をどうしても理解できないらしく、「精神病になるようや奴はそいつが弱かったからだ」と考えているとも知った。

 

だから精神障害者をどこか軽蔑している感じがあり、生活保護を受けている障害者に対しては「税金ドロボーだ! そんな奴らは切り捨ててしまえばいいんだ!」と憤りさえ感じているようだ。

 

また、先日、同性婚を禁じるのは違憲であるとした札幌地裁の判決を「あれ、おかしいと思わないか。動物は子孫を残すために生まれてくるんだ。子孫を残せないような同性婚を認めるなんておかしい」と事業所で言い放った。

 

男色についてはホモ・サピエンス(人類)だけでなくチンパンジーなどの霊長類でも確認されている。

 

ホモ・サピエンスについては日本書紀に記述があるから古代からあった。

 

日本列島に仏教が持ち込まれてからは僧侶の間で公然と男色が行われはじめた。

 

武士の時代になると武将たちは小姓を相手に男色にふけるようになった。

 

江戸時代には陰間茶屋と呼ばれる男娼を置いた男色の店があちこちにできた。

 

歌舞伎の女形は男娼として男の客を取っていた…等々。

 

レズも同じく古代からいたと思う。

 

霊長類とホモ・サピエンスは、進化の過程で遺伝子にひずみができたのか、それとも高い知能を得たためなのか、昔から同性愛嗜好者がいたのだ。

 

近年は同性愛者の存在が認められるようになり、それまでこそこそと暮らしていた同性愛者たちが続々と表に出てきた。

 

それだけのことだ。

 

国立大卒と威張り67歳にもなるのにそんなことも知らないのかと呆れてしまった。

 

自分が精神障害者になったらとか同性愛者になったら(精神障害者や同性愛者に生まれてきたとしたら)という想像力がまったく欠如している。

 

その点も安倍晋三やエリート官僚に似ている。

 

パワハラおばさんもその点は似ていて、「同性愛者なんて気持ち悪い~」といつも言っていたものだ。

 

どちらも古い人なのだ。

 

Hさんは大学を出てから土木会社に就職して順調に生きてきてそれなりのポストにまでのぼった。

 

それもみな自分の努力のせいで、誰のおかげでもないと言い切る。

 

Hさんは50歳くらいのとき脳溢血になり、それで片足が不自由になった。

 

「あのとき俺はリハビリを頑張って今のように何とか歩けるようになった。そんな努力もできない根性のないような奴は切り捨ててしまえ!」と言う。

 

世界のスタンダードは社会的弱者を基準にした制度を作っていくことにあるという動きをまったく理解しようともしない。

 

弘前大学を出たからそんな人間になったのではないだろうが、「俺は国立大出だ」「努力して国立大学に入ったんだ」というプライドが高すぎるから、弱者を見下げるクセが付いたのではなかろうか。

 

そんな彼を私は心から軽蔑している。

 

 

【ダイエット記録】「0.3キロ減った。あと-0.4キロだ」のまま。