今治港の関西汽船の想い出(その1) | ふねきちのブログ

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 ニコニコ今回は、今治港の関西汽船の想い出を記します。

現在、関西汽船という会社は、存在しません。瀬戸内海、いや、国内の客船会社では、当時最大の保有船舶数、航路数を持ち、瀬戸内海を縦横に航行していました。新婚旅行や、外国人旅行など、華やかな阪神~別府航路を中心に、修学旅行にも大忙し、1970年の大阪万博では、九州、四国からの乗客をピストン運航で、支えました。

 船今回は、今治港に関係のあった関西汽船の船たちの想い出を、当時のパンフレットから綴ります。

 ニコニコ1972年3月の関西汽船の時刻表です。今治港には、早朝、関西から2便の大型客船(5:10)、フェリー(5:50)が入港、松山、別府に向います。少し遅れて、阪神~松山航路の客船(9:40)入港して来ます。

 音譜今度は、夜、普通船1便(21:10)、大型客船(23:00)、フェリー(23:40)が深夜に各1便、計3便が、阪神に向い出航して行きます。又、小倉~今治航路(19:10着20:00発)もありました。GW、お盆、秋の行楽シーズン、年末年始等は、臨時便も出ていました。賑やかかりし、関西汽船便でした。今治港の看板航路でした。

 船今治港に出入りする大型客船の‘あいぼり丸’姉妹船は、‘こばると丸’関西汽船最大の客船(3000トン)です。関西汽船の中で、今治港に出入りしなかったのは、‘むらさき丸’と‘くれない丸’のみでした。毎日、昼に来島海峡を通過して行く光景が見られました。

 カメラ昭和46年、阪神~別府航路に、阪九フェリーやダイヤモンドフェリーに遅れ、乗用車のみ積載できる、フェリー‘ゆふ丸’‘まや丸’が登場しました。当初、今治港は寄港しませんでしたが、就航後、3カ月で、車利用無しで、今治港に寄港開始しました。

 車1973年、それまで、今治~松山~小倉航路が客船から大型フェリーに変更になりました。当初は、今治港の岸壁整備が整うまでは、当面、松山折り返しどしたが、結局、松山~小倉間にて運航になり、現在、関西汽船から、石崎汽船に譲渡され、運航を続けています。一時、松山港整備のため、今治~小倉で、運航している期間もありました。写真はフェリー便開始時の‘はやとも丸’です。

 ニコニコ次回は、この関西汽船黄金期から、競合ひしめく変動期です。