まだ、2月初めなのに、春を思わせる、広島です。2月に入って、初雪が観測された広島、平年より2カ月も遅く、それも、粉雪でした。未だ、屋根や、車上への積雪は、ありません。
こんな冬は、過去40年で、私の記憶の限りでは、初めてですね。
写真は、広島~呉~松山航路に昨年、就航した、石崎汽船の‘旭洋丸’です。
700トンから、900トンと、ひと回り大きくなりましたが、瀬戸内海汽船の‘シーパセオ’と比べると、外観は、従来船とあまり変わらないように思います。
個人的には、側面に描かれた、ISHIZAKIの文字より、以前の、トビウオ?のマークが良かったですね。
同航路の高速船、スーパージェットも出航して行きました。
昨年暮れに、とうとう、宇高航路(宇野~高松)のフェリーが廃止になりました。最後は、四国フェリー一艘のみで、1日5便のみでした。
1985年(S59)には、宇高国道フェリーが、8艘で、1日70往復、四国フェリーが、5艘で、1日50往復、津国汽船が、6艘で、1日32往復、計3社で、昼夜152往復、日本一の航路でしたね。
同航路には、国鉄の鉄道連絡船や、高速艇も就航しており、まさに海の銀座でしたね。
右の写真は、宇高国道フェリーの‘たかまつ丸’です。向こうには、四国フェリーが見えます。
当時、宇高航路船は、数珠つながりに航行し、船から、後続の船がはっきりと見えていました。
左は、津国汽船のフェリーで、宇高航路撤退後、宇野~風戸航路に就いていた当時です。まさに、オールドタイマーな船ですね。
100年もの長い歴史の宇高航路、瀬戸内海をまたぐ3橋には、やはり勝てなかったですね。
民主党政権下の愚策1000円高速や、一時的な、橋の料金大幅値下げも、多くの、中四国航路を廃止に追いやりました。
最後は、少し変わった形の‘こくどう丸’です。他の4艘と1艘のみ、違った船形で、煙突部が、横にはみ出て、空母のようでしたね。
たかまつ丸など、同じ船形の4艘より、先に、離脱しました。
中四国を結ぶ航路は、広島~松山、柳井~松山航路のみとなりました。頑張ってもらいたいですね。
宇高航路の船たち、長い間、お疲れ様でした。永遠に忘れませんよ。