日本一のフェリーさんふらわあ | ふねきちのブログ

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たまには、料理なんかも載せてます。




 晴れ写真は、日本高速フェリーの‘さんふらわあ’です。1972年に船体に太陽マークを記し、豪華フェリーとして登場しました。

 船当時、旅客は客船、車は、カーフェリーと分かれていました。特に、カーフェリーは車を運ぶことに特化していました。

 晴れ‘さんふらわあ’は、カーフェリーでありながら、旅客を重視した、現在のクルーズフェリーの見本となりました。船旅を愉しめる、レストランや、シアター、ラウンジにバー、そして、屋外プールなど、クルーズ客船の要素を満載して登場しました。

 ニコニコ外観も、客船を意識したスマートな白い船体に、赤と橙色の太陽マークを描き、1万トンを超えた堂々たる、豪華大型カーフェリーでした。

 船就航当時、名古屋~高知~鹿児島航路に就航していましたが、航路のニーズに合わず、利用客が伸び悩み、僅か4年で撤退、瀬戸内海航路の大洋フェリー(大阪~苅田航路)に移籍、1984年から、関西汽船の大阪~別府航路に就航しました。国内で26年間、活躍し、1998年に海外売却されました。
 晴れ右は、関西汽船当時のプラモデルです。

 ニコニコ私は、さんふらわあを見ることがありませんでした。当時を過ごした、今治、広島には、さんふふらわあとの関わりがなく、その勇姿を見ることがなく、残念でなりません。

 晴れ左は、太平洋航路の東京~勝浦~高知航路に就航していた同型船‘さんふらわあ5’で、1990年、ブルーハイウェイに移籍した当時のプレモデルです。

 ニコニコカーフェリーのプラモデルは少なく、さんふらわあシリーズのみ発売されており、いかに、さんふらわあが愛されていたかでしょうね。

 晴れ右のパンフレットは、大洋フェリー時代のものです。大洋フェリーで、大阪~苅田、関西汽船に移り、大阪~別府と、太平洋航路時代より長く活躍しましたが、瀬戸内海を航行するのは、夜間で、その勇姿を、昼間見ることが出来ず、残念でした。

 ニコニコさんふらわあが、国内から姿を消した後も、太陽マークは多くの船会社に受け継がれ、さんふらわあブランドとして、日本全国で活躍しています。

 晴れ未だに、愛され続ける、‘さんふらわあ’ですね。