高1の6月に倒れ込んだ息子は、最重度の「寝たきり」状態だったため「すぐに治りそう」とは全く感じられなかったため、10月にはN高への転学を申し込みました。
当初のスクーリング会場は綾瀬だったので、その交通の便でN高に決めたようなものだったのに、信じられないことに途中からいきなり会場が所沢に変更になり大変でした。
起立性調節障害界隈の子らにとってはスクーリングに参加できるか否かは最重要懸念ですからね、これはもうプンスカプンでしたね〜。
入学時には「スクーリング会場が変更になる可能性」については一言も説明がなかったし、まさかそんなことが起こるとこちらも想定してなかったですし・・・消費者センターに問い合わせしちゃったレベルでした。
N高からは「最大限配慮しますので(振替たくさんしてあげるとか)」と言われましたが、それでもこちらの負担は相当増えましたねぇ・・・
でも、N高を選んだ最大の理由は「完全オンライン授業で治療に専念しながら高卒資格を取得できる」だったので、しょうがないから我慢しました。
※所沢スクーリングでは近くにホテルをとってタクシーをバンバン使って3日間頑張りました。えらい出費よ!
最初の2年は体調不良が著しくスクーリングに行くのもやっとで、豊富な課外活動には一度も参加できず、沖縄スクーリングも3回すべて診断書を提出してキャンセルしました。
著しい改善が始まった2回目の高3では、N高ならではの貴重な出会いが息子に巡ってきて、何だかんだNにして良かった結果になりました。
治療に専念できて寛解に近づけましたし、N高を通して素晴らしい人と出会えたのは幸運なことでした。
これを引き寄せたのは、その場の最善を尽くす真面目な息子の努力の賜物だと思います。
起立性調節障害や慢性疲労症候群エリアの子どもたちは、基本、真面目で頑張り屋の気質を持っていることが多いです。
その頑張りが「硬直した頑張り」「不安と焦りによる頑張り」になると、症状が悪化すると感じます。
「伸び伸びした頑張り」「しなやかな頑張り」にシフトするのは高等技術だと感じますが、息子はそれを体現して回復してきたなぁと思います。
(西洋薬投薬治療が基盤にありますが)
これには、運良く素晴らしい地元フリースクールとの出会いもありまして、そのあたりは非常にローカルな話題になってしまうので詳細は書けないのですが・・・
「効率的・生産的価値観が停滞したまま残存し希望が見えにくい迷子的な現代日本社会」の中で、「親の昭和の価値観で押し込められ」「日本特有の『周囲の目を基準にする対人不安的素質』に縛られ」息子は個人的レベルでも社会的レベルでも「生きにくさ」を感じた10代だったと想像します。
地元フリースクールは、そういう不自由さから突き抜けた別世界を体現する稀有な場所で、そこで息子は魂レベルから癒やされたように感じました。
ここまで来るのは辛い涙を流しましたが、良き道は確かに在りました。
私自身も一緒に「生き方の転換」を迎えられたと思います。
さぁこれで最後のさくらタウン!の、はず!
息子は「あーあ試験めんどくさー」と普通の若者なセリフを呟いて校舎に入っていきました。