3年間の月日は満ち欠けの幻影 | しなやか自律神経へ コロナ後遺症・感染症後ME/CFS

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2021年6月、当時高1息子が感染症後CFS発症→現在リカバリー中。
第28回精神保健福祉士国家試験受験のため通信制で学習中。

6月は息子の発症月です。

丸3年が経過しました。

 

2021年6月中旬、息子は学校から帰宅するなり、ハァハァ言ってソファに倒れ込み「くらくらする、心臓がバクバクする」と言い、それっきり登校不能なった、青天の霹靂のような3年前の梅雨の日。

 

学校ではコロナが猛威をふるい、次々に発熱する子が出ていましたが、当時は37.5度以上の発熱が3日以上続いてPCR検査が受けられるという状況でした。

 

息子はその夜、8度近く発熱しました。

翌日には平熱になったため「咳も出てないしコロナじゃないよな」とかかりつけ医に受診しました。

「喉が少し赤いから風邪でしょう」と言われ風邪が処方されました。

 

そういえば、2週間前も同じようになって、ずっと「喉が痛い」「くらくらする」「心臓がギュッとなって息苦しくなる」と言ってたっけ。でも3〜4日で治ったから、今回もしばらくすれば治って、期末テストには間に合うだろう、期末が終わればすぐ夏休みだから、少しゆっくりすればいいだろう・・・

 

と思っていたっけなぁ〜〜

 

発症当時は、起立性調節障害(重症)としての症状に8割ほど合致しており、体位性頻脈症候群を呈していたとも言える状態でした。

今となっては慢性疲労症候群で間違いないという認識に至り、丸3年を迎えている状態です。

 

発症当初から、①「朝起きられないが夜元気になる」という事はなく、1日中倒れ伏している、②身体成長は既にピークを終えていた、という状態だったため、「起立性調節障害に似てるけどちょっと違う発症に見える。まさか慢性疲労症候群なのでは」と恐怖を感じましたが、その通りでした。

 

目眩、動悸、食欲不振、不眠、ブレインフォグ、倦怠感は、それぞれ時間をかけて無くなり、3年後の現在、残っているのは「易疲労性」。

 

THE・慢性疲労症候群です。

 

昨日、息子は1人で都内まで映画「オッペンハイマー」を観に外出しました。

朝は8時半にアラームで起床、朝食後に少しの家事と読書をし、12時半に軽い昼食を食べて13時半に出発。

バスに10分乗って駅まで出て、そこから45分電車に乗って初めての場所へ。

「オッペンハイマー」を観るため、2日前から岩波文庫の難しそうな本を読んで予習してました。なんか難しい映画らしいですね。

帰宅後も大丈夫、今日の様子からもpemらずにいけてます。

 

寝たきりで流動食だった日々に「もう進学とか望まない。せめて起き上がって元気に笑って自分の好きな事ができるようになる日が来てくれれば」と願っていた、その日が来ています。

 

先日、息子が所属している地元フリースクールで、利用者やスタッフが、自分の好きな物事について発表する、みたいなイベントがありました。

息子は当日の体調次第という面もあるため、参加希望はしていましたが、リハーサルなど準備活動には加わらず、当日フラリと出向いたところ、ウェルカムしてくれて「そのまま発表しちゃって」と言われて、息子は、最近ハマっている詩作を発表したんだそうです。

 

息子は最近、詩歌を作っているんです。

 

発表の場で息子はマイクを手に、詩についての考えを述べ、自分の作った詩を朗読しました。

保護者もたくさん参加していたそうで、その中の一人の保護者(同じ18歳の息子の父)が、息子の詩を聞いて号泣されたそうです。

その後も何人もの方からお褒めの言葉をいただき、息子は印刷した自分の詩歌を渡したんですって。

 

息子の詩には、この3年間に味わった病気と、それを家族で乗り越えてきた日々について描かれているので、きっと、それがそのお父さんの琴線に触れたんじゃないかしら。

夫も私も、実は息子の詩を読んだ時、嗚咽でした。素晴らしいギフトでした。

 

イベントを大いに楽しんだ息子は22時過ぎて帰宅。

元気いっぱいに夕飯を食べて、翌日はゆっくり過ごしPEM回避できました。

 

息子は「この3年間がなかったら、この詩は生まれなかった。今日のイベントで僕が詩を詠むこともなかった」と言いました。

 

そして、さらに息子は言いました。

 

「僕は易疲労性があるから、フリースクールに頻繁に行けないじゃん?

でもこうして、飛び入りで参加させて活躍させてくれて、いつも美味しい所をもらっちゃうからさ、僕、いつもスクールではイベントの後の皿洗いやってんのよ。

せめて、って思うし。

あと、純粋に僕すごい皿洗い好きじゃん?

そしたらさ、スタッフが『いつもいつもゴメンね〜、いいのよ〜』って言うから『いえ、僕は本当に皿洗いそのものが好きなんですよ』と言ったら『そんな人いるの〜?』って笑われたよ」

 

そんな風に、「せめて」って思えるように成長してて、「いえ、皿洗いが好きで」と言えるように育っていることが、私はすごく嬉しく思いました。

(アスペなのにスゴイぞ!なんちゃって。いや実はそのフリースクールの人々は愛で溢れているので、息子はそうなれるんだな)

 

3年間、同世代との繋がりを絶たれ、特殊な環境で自己と向き合う時間を過ごす事になった息子を、私は誇らしく思います。

 

3年前の私には想像できなかったミラクルな場所にいます。

 

3年間で失っているものは実はなかったし、逆に、現在も、何かを得ているというわけではないのかもしれない・・・月の満ち欠けのように(→月は常に丸いのに、満ち欠けに見えるだけ)。

 

今この瞬間、眼の前の息子をよく見て、愛で包むこと、これ以上に必要なことはないんじゃないかな、と思える今日。


父の日に鰻を送ったので、そのお礼でさっき父からLINEがありました。


「こちらは高齢であちこち不具合あるけど何とかやってます。○○君(息子のこと)が完治することを祈っています。○○君の子どもを抱っこしたいなぁ」


と!


なんと想定外の、父からのひ孫のご所望っ!

気が早すぎるわ!


息子に伝えたら「うわぁ〜頑張らなきゃ!って、じいじにも頑張ってもらわなきゃ!」と大笑いしていました。


そんな日が来てもいいね〜