精神保健福祉士資格取得のための通信課程は4月からスタートします。
精神保健福祉士という国家資格は1997年に新設されたので、私が大学卒業した後なんですね。
この資格のことを知ったのは10年近く前だったかなぁ・・・。
「今はこんな資格あるんだ!」と驚き、職務内容に強い関心を持ちました。
【厚生労働省HPより】
精神保健福祉士は、精神保健福祉士法(平成9年法律第131号)に基づく名称独占の資格であり、精神保健福祉士の名称を用いて、専門的知識及び技術をもって、精神科病院その他の医療施設において精神障害の医療を受け、又は精神障害者の社会復帰の促進を図ることを目的とする施設を利用している者の地域相談支援の利用に関する相談その他の社会復帰に関する相談に応じ、助言、指導、日常生活への適応のために必要な訓練その他の援助を行うことを業とする者をいいます。
通信課程の開始まで時間があるので、いくつか必読書と言われている本を読み始めました。
「ケースワークの原則」「ストレングスモデル」「リカバリー」あたりを購入。
また、中井久夫医師の書籍や、オープンダイアローグの本を何冊か、アマゾン以外にも図書館やメルカリで検索しまくり、久しぶりに勉強モード。
1ヶ月で15冊くらい読みました!学生の時以来だわ、こんなの。
オープンダイアローグなんて目からウロコ落ちまくり、欧米の精神医療世界はこんなことになっていたのか!もう知ること読むこと全てが楽しくてしょうがないです。
統合失調症の当事者による書籍や、中井久夫著『統合失調症は癒える』を読んでいる途中、アレ・・・?
なんか・・・
似てる・・・
中井久夫氏による統合失調症の本質の描写と、とCFS(慢性疲労症候群)の病状が似てる。
発症する前段階とか、予後とか、回復のために必要な要素が。
①難治性であったり再発傾向がある点や、②一部の人は完全回復する人もいるけれど、それなりに自分の症状とうまく付き合っていく事になる点、③脳の脆弱性がある点、④真面目な頑張り屋で繊細な気質な点・・・
この2年調べまくってCFSの発生機序や予後について、まだ未解明な点が多いながらも、おおよそ「こうなんだろうな」と掴めてきましたが、大枠の視点というか、全体像が統合失調症のソレと丸かぶり(特に中井久夫氏の記述が病気の深い部分=本質・核となる要素に焦点を当ててるからだろうとも思う)。
CFSの病態には「妄想・幻覚」といった統合失調症特有の症状がないけれど、その他の心身の状態には統合失調症と不思議な共通項がある・・・と思えてなりません。
もともと脳の脆弱性があり、自分以外のものに過剰適応しようと必死に頑張ってブッちぎれるように発症する点とか。
急性期の自律神経失調状態が緩和した後も、易疲労性、認知機能の低下(ブレインフォグ)が残る点とか。
著書から一部、引用します(緑字)
「一応健康な「余裕の時期」から、一念発起して一つのことに集中する硬い構えの「無理の時期」が続くと、緊張は不安がほどけず、やがて社会や家族からも孤立して八方塞がりとなり、焦燥感がつのって心身の失調が起こる「焦りの時期」、ここで引き返せずに不眠不休の状態が続くと、時にはほんの些細なことが引き金となって急性精神状態の発症につながる。
この発病の前に、便秘や下痢、めまい、頭痛、微熱などの自律神経系の乱れから身体病まで、さまざまな体の不調が起こり得ます。」
「再発から少しでも遠ざかる生き方を患者とともに発見しなければならない。「一念発起」が「危ない」ことを合点する。」
もうなんか息子の発症状況そのままなんだけど。
たまたま感染症トリガーだったからCFSになったのかなってくらい。
この他、統合失調症の人たちが「自分の疲労に気づきにくい。その日の疲労を感じないから翌日も無理をする」「働きたいと願っている人が大多数。焦って早く社会復帰しようと頑張ろうとする」「頑張った翌々日に疲労がくる(まんまPEMじゃん!)といった記述がありました。
統合失調症の回復のために必要なこととして、以下のような記述がありました。
「一気に「とにかく治す」のではなく「やわらかく治す」、「ソフトな回復」を目指すことです。ソフトな回復は、一見見栄えはしなくても、長期的にみて生活の質を上げ、再発を防ぎ、再発した場合にも前回よりも軽く経過させ、この再発から学ぶことによって成長するという含みがある。」
「回復を邪魔するものの一つに、治療者や周囲の人の悲観的な見方がある。周囲が悲観的か楽観的かで患者の予後が大きく異なる。そして「医者ができる最大の処方」は「希望」である。
身体病であろうと精神病であろうと治療に不可欠なものは、患者・家族、治療者・支援者の士気です。暗い先取りは予想以上に治療を妨げる要因になっており、妨害性があると思います。」
「登山で例えると、回復は山を下りるときに似ています。私は、病気になる人を「遭難しかけたときに山頂の方に向かって避難しようとする人」にたとえたことがあります。
病が始まったとき、患者はすでに山頂にいます。登りに力を使い果たし、疲れ果てて、道は尽きています。目標を見失って、当人にとっては四方が断崖の絶頂にいるのです。治療者は患者と山頂で出会い、どこに次の一歩を踏み出せばよいかをともに探りながら、安全に麓まで寄り添う役割だと思います。回復の道で患者を一人孤独に歩かせてはいけません。」
(「統合失調症は癒える」中井久夫著より)
なるほどなるほどなるほどです。
これはそのまんま、息子への今後に役立ちます。その通りその通り!
息子の発症時、そしてクラッシュ時は「遭難しかけて山頂の方に向かって避難」したイメージです。
また、私は自分が悲観的であったことを猛省しました。
そして「一念発起が危ない」という表現にゾクッとしました。
息子は一念発起して発症したし、その後も一念発起してクラッシュしました・・・。
次に私は「リカバリー」という概念に出会います。
「リカバリー」とは、現在の社会福祉では「基本のキ」の概念となっていることにビックリ。「リカバリー」って私は大学時代に耳にしたことはなかったんだよね、それもそのはず、日本で広まったのは2000年以降のようです。めちゃ遅れてるよ日本っ!
アメリカでは1970年代から広がってるから・・・日本の医療福祉エリアは欧米の20〜30年遅れというのはよく聞きますが、まさに。
息子が発症した時も、検索ワードは「慢性疲労症候群 回復」とか「完治」とか「治る」とかで入力してたわけですが、やはり私はこの病態をいかに「治すか」について焦点を当てていたんですね。
でも、「リカバリー」なんだ!と目からウロコ。
リカバリーとは・・・
「人々が生活や仕事、学ぶこと、そして地域社会に参加できるようになる過程であり、ある個人にとってはリカバリーとは障害があっても充実し生産的な生活を送ることができる能力であり、他の個人にとっては症状の減少や緩和である」
「病気を抱えながらも夢や希望を持つこと、自分らしい生活を行うことなど、患者さん個人が主体的に人生を送ることに主眼が置かれる。
夢や目標を達成するという「結果」ではなく、夢や目標にたどり着くまでの「プロセス」である」
ここで私が衝撃を受けたのは、重度ODっ子の親や、寛解していった元CFSの人たちからよく耳にしたことは、リカバリーの本質だったなということ。
「何とか学校に行けるようになったけど、体質は持ち越してる。自分の体調とうまく付き合っていけるようになって、落ち着いてきたようだ」
「体質として、どうしても易疲労性は残る。けれど、その中でやりくり出来るようになった」
彼らは、リカバリーの道を歩んでいたんだな、と納得。
三池輝久医師が「フクロウ症候群を克服する」で書いていたことも、当時はリカバリー概念が日本に届いてなかったけど、同じ事が書いてるんだなって分かりました。
どうにかして「治そう」「もとに戻そう」とすると、再び発症前のヨロシクない状態になりかねない。中井久夫氏は、著書の中で「せっかくこの病気になったのだから前よりもより良く生きられるようになっていける」のような記述をされていまして・・・それに感動。
ピリピリと交感神経過剰亢進することで動けてきたあの時に戻そうとしたら、もはや「再発に仕向ける」ことと同じなのだろうなと。
だから、そうじゃないプロセスに向かおう。
息子の回復過程を見守りながら、克服とか治癒じゃなくて、病と共に歩むっていうか・・・障害を負ったと表現すると重たいんだけど・・・う〜ん、と言葉にならない思いで感じていたものが「リカバリー」の概念として福祉の世界で共有されていたのね〜。
息子は症状の緩和を得ましたが、なお残る症状を自覚し、彼なりの生き方を歩んでいることが理解できました。
ゴール(目標)を設定しないことの大事さも分かりました。
リカバリーのプロセスそのものが、既に確かに日々の中にあって、それそのものが大事っていうかな・・・
つづきます。