こんにちは!アイリンです٩(๑❛ᴗ❛๑)۶


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あ と か ら 知 っ た 衝 撃 の 事 実



2. ill-treatment 虐待で、何故私が転校してまで、おばあちゃん家に1年間預けられたか、私はずっと知らなかった。

中学生になる頃に、その理由を母からではなく、おばあちゃんから聞いたんです。

私はたまに、土日おばあちゃん家に遊びに行っていました。

そのときに
「愛(私)がばあちゃんとこ来てたときね、お母さん家庭裁判所通って、あの子2人(母の再婚相手の連れ子)をどうするか相談しに行ってたんだよ」
と、おばあちゃんから直接聞きました。

「え…そうだったんだ…」

私が寂しい思いしている間に、そんなことしていたなんて。


それから母が唯一、後から私に話してくれたことがあります。

「お母さんね、小学校6年間、家庭訪問で先生たち皆 口を揃えて『あなたのお子さんは子供らしくないですね』って、言われ続けたんだよ」

母はガッカリしたように言いました。

私は、また言葉が出ない…



私が悪いの…?

自分では、そんなことないと思ってた。



小学校のときの先生たちのことは、あまり信用していなかったけど、それを聞いて不信感すら湧きました。



大人なんて、先生なんて

大っ嫌い!



私は授業中、挙手をするような子ではなかったけど
普通に友達とも外で遊んでたし…

私は他の子供と何が違ったの?

「子供らしい」って何?
「子供らしくない子供」って一体何?



でも、母はそれが何故なのか、一緒に考えてくれるような人ではありません。

ただ、私にガッカリして、終わりです。

お母さんを失望させたくない。

中学生になったら絶対変わってやる。変えてやるって決めました。




中 学 1 年 生


私は中学1年生になりました。

中学生になっても学年のメンバーは小学生のときと同じメンバーです。

2人くらいは私立に行きましたが、それ以外の子はほぼ全員一緒。

小学校6年間ずっと2クラスだったし、中学になっても2クラス。
他校から2人くらいは来たかな?


それから小学校6年間
「あなたのお子さんは子供らしくない」
と言われ続けた家庭訪問では…

母はそのことを女性の担任の先生に言っていました。

でも先生はそれを否定しました。
「そんなことないですよ、お母さん。よく笑っていますし」

まあなるべく笑顔つくるようにしてるんだけどね。

この先生は、小学校のときの先生たちとは違うかもしれない。





初 め て 年 上 の 人 に

優 し く さ れ た こ と



部活は吹奏楽部に入りました。
パートはパーカッションです。

3年生の同じパートの男の先輩が、すごく優しかった。


パーカッションの楽器は、ティンパニやドラムセットなど重い上に、文化祭やコンクールでは下の階に運ばなくてはいけない。

そんなときに
「重いの無理しなくて大丈夫だよ。ケガされたら困るから」
と、私が抱えてた重い楽器を持っていってくれました。
絶対私には重い楽器持たせてくれなかったほど過保護な先輩でした。
いざとなったら頑張って持ってたけど。

先輩はいつも優しく教えてくれて、優しく声かけてくれて、こんな優しい人いるんだ…って初めて感じて。

私はお父さんも居ないし、優しい年上の男性と接する機会って、中学に上がるまでなかったんですよ。

彼は私の知らない世界だった。

その先輩は皆に優しかったけど、私は初めてだった。

彼は私を傷付けない。

たぶん初恋です。
私は純粋すぎて、付き合うとか恐れ多くて考えられなかったから…ひそかに1年間ずっと想っていました。

好きな人に対しては、意識すると話せなくなっちゃうタイプだったから、あんまり私から言葉を発したことはないし、大人しい子だと思われてたと思う。
それでも一生懸命、いつも優しく声かけてくれたんです。

私は100%心の目で人を見ていました。

直接伝える勇気はなかったから、彼が卒業する前に お手紙を書いたんです。
音楽の話がしたくて、出来なかったから、私の好きな洋楽や好きな曲を入れたMDと一緒に。

手紙には好きっていう気持ちを書いたけど、返事なんか要らなくて
「このことは心の片隅にしまっておいてください」とも書きました。

仮に返事もらっても傷付くのなんか絶対嫌だし、私なんかが憧れの先輩と付き合うなんて滅相ないし、私なんか絶対無理だってわかっていたから。

ただ、感謝の気持ちと好きな気持ちを伝えたかっただけ。

そしたらもう部活引退して来ないはずの先輩が音楽室に遊びに来てくれて、手紙の内容には触れずに
「洋楽聴くんだね。僕も聴きますよ」
って音楽聴いてくれたみたいで、そんな何気ない話をしてくれて。

想いが伝わったんだって…それだけで嬉しかったです。

私も先輩みたいに優しい人になりたいな。




父  と の 再 会



母の暴力はだいぶ、落ち着いていました。

やっぱり私のお母さんは、お母さんだから。

心には傷を抱えたまま、そう信じるしかなかった。


私は中学生のとき、学年で4人しか出場できない、地区の英語スピーチコンテストに3年連続出場。


約20校から選ばれた各学校、学年の生徒が部門ごとにステージに上がり、呼ばれたら壇上でスピーチするんです。

2年生のときの、スピーチの部に出場した日。

自分のスピーチが終わって、ステージの上で椅子に座っていたとき、客席に懐かしい顔を見つけたんです。




お父さん…なの?





それは間違いなく、私のお父さんでした。




お父さん…なんでここに居るの…?

見に来てくれたの…?




一瞬、息が止まった。

そしてお父さんが居るとわかった瞬間、涙が溢れそうになって、全員のスピーチが終わってステージ降りるまで、ずっと涙を堪えるのに必死でした。



ずっと会いたいって思ってた。

でも、こんなとこで泣いちゃダメだ…。

泣いちゃ、だめ…




ステージ降りたとき、私は真っ直ぐお父さんのところへ。


「…お父さん…!」

「愛、スピーチ良かったよ」

「ありがと…なんで来てくれたの?ステージに居る時に見つけて…本当にビックリしたよ」

「お母さんが教えてくれたんだよ」



私は胸がいっぱいで、目にいっぱい涙を溜めていたけど、コンテスト中だから…と思って、やっぱり必死で堪えてました。

そんな少しの会話をした後、お父さんは私の顔を見て

「愛、またね」

と行ってしまいました。


何か言ったら言葉と一緒に涙まで溢れてしまうから、何度も頷くことしかできなかった。



私が死のうとしていた毎日、私がどれだけあなたに会いたいと願ったか。

あのとき、あなたが居てくれたら、私はどれだけ救われたかって…ずっと考えてたよ。

でも私一人で、ここまで乗り越えてきたよ。


…そんな想いは伝えられなかったけど。



私は中学2年生になって、初めて携帯電話を持たされて。

お母さんから、お父さんの連絡先を教えてもらいました。

嬉しかった。

誕生日とか、クリスマスとか、そういう特別な日だけ会えた。

ただ、お母さんに暴力振るわれてたこととか、死のうとしていたことは、やっぱり言えなかった。

とにかく会えるのが嬉しかった。





出 る 杭 は 打 た れ る


「変わってやる」って決めてから、私は中学1年生で学級委員になりました。
中学2年生で、副学年委員長も務めました。

いつも中心に立って活動していたから、文化祭とか修学旅行とか、イベントシーズンの放課後は学校中駆け回っていつも忙しくしていました。

小学生の時はホントそういうタイプじゃなかったから、劇的変化でした。

変わるって決めてから、クラスを良くしたいって意識とか、正義感とかが強く表に出て、私はいつも真っ直ぐだった。

クラスで男子同士のイジメがあって、私の隣でやってるもんだから
「ねえ、やめなよ!」
って面と向かって言いました。

「は?」って睨まれたけど、私も強く睨み返した。

そしたらその翌日、いつ書かれたのかわからないけど、私のノートに勝手に

死 ね ば ?


って書かれている文字を見つけた。

この細くて弱そうな字。
昨日、私の隣の男子イジメてた奴の筆跡だってすぐにわかった。

私はそいつには何も言わなかったけど、それ見て
「いや、死なないし」
って心の中で返事した。

"死ねば?"
って書かれた文字も消さずに、ノートを閉じた。

くだらない。

生きるって決めたから死なない。

あんたに死ねって言われたくらいじゃ、私は死なないよ。
意地でも生きなきゃいけないからね。


私は担任の先生にクラスのことや、イジメられてる男子のこと相談したりしたんです。
クラスを良くしたいし、イジメもなくしたいって訴えて。

先生は私が報告したことに感謝して、親身になって話を聞いてくれました。
信頼できる大人の女性であり、私が初めて信頼できた先生です。

「出る杭は打たれる」
その言葉も、その先生から教えてもらいました。

「中学校なんて狭い世界なの。今レベルの低いことやってる馴れ合ってる子たちは高校生になったらカルチャーショック受けるから」
と、大人の目線で話してくれました。


今まで感じていた
「なんか変だな」
っていう違和感は、これだったのか。

私は周りの子たちとは趣味も合わないし
考え方も、行動も違う。

でも私は打たれても絶対諦めない。

今が辛抱。頑張り時だな。

いま耐えれば、きっと必ず…。


私はクラスを良くしようと、よく発言して、何かクラスで問題があったらその日の帰りの会で皆に伝えていました。
そうすると先生が私に賛同してくれて、先生からも私の訴えに付け加えて発言してくれたりもしました。


私はクラス→学年→学校全体と規模を広げて考えるようになり、学校全体を良くしたくて、私はのちに生徒会にも立候補しました。

でも落選してしまったんです。


私はやっぱり誰にも認められない存在なんだ…

変わるって決めたのに…

何も変わってないじゃん私。


と悔しくて泣いてしまったんですが、先生だけは認めてくれました。

「周りがまだ子供なだけなの。あなたは大人だから。周りの子たちはあなたの話が理解できないかもしれないけど、先生たちはあなたの演説よかったって皆褒めてたよ! だから自分に自信持ちなさい」と。

それは慰めじゃなく、事実であり、本音で話してくれたのがわかりました。
今度は嬉しくて泣きました。

先生が言ってくれた
「あなたは大人だから」
「子供らしくない」って言われるより、ずっと良かった。

まだ私は中学生だけど、信頼できる先生のような大人に「大人だ」って認められるのが嬉しかった。

先生は、いつも真正面から向き合ってくれる。
先生は、いつも本音で話してくれた。
真っ直ぐな私の想いを、いつも受け止めていてくれました。

のちに吹奏楽部の顧問の先生と、先輩達が、私を部長に推薦してくれたんです。

顧問の先生が
「生徒会は落選しちゃったかもしれないけど、3年生の子達と話し合って、あなたを部長に推薦したいって話になったの。私も3年生の子たちも、あなたのこと認めてるわよ」
って言ってくれたんです。


人から認められるって、こんなに嬉しいことなんだ。

人から信頼されるって、こんなに喜ばしいことなんだ。

同年代の子にわかってもらえなくても
認めてくれる大人が居るって、すごく心強い。


だから、私は頑張れたの。



私 の 取 り 合 い を す る
可 愛 い 後 輩 た ち


ありがたいことに私は部活の後輩には好かれました。

すごく大切にしていたから、その愛情が伝わっていたのかもしれません。

後輩は女の子とも、男の子とも、お手紙交換してました。

みんな私の妹や弟みたいな大切な存在。

女の子からの手紙は何気ない雑談や色恋ごとの手紙が多くて、男の子からの手紙はクラスのことで相談の手紙が多かったかなあ。
いつも悩みや愚痴聞いてました。

慕ってくれる後輩ちゃんや後輩くんはみんな学校内で、遠くからでも私を見つけては
「愛理せんぱーい♥」
って手を振ってくれて、毎日癒されてました。

私が外にいると、校内の2階から…
私が渡り廊下歩けば、外から…

次の授業のため移動してると、廊下の向こうで遠くから私を見つけては、走ってきてギュッと抱きついてきます。

絶対、後輩たちは私を見つけるんだよね。
みんな同じジャージ着てるのにさ、すごいよ。


私が2年生のときは同じパートに、2人とも負けず嫌いの女の子の後輩が居て、やきもち妬いて私の取り合いになって喧嘩してたことがありました。

ある日、後輩Kちゃんが泣きながら音楽室に来たから話聞いたら、クラスの男子に悪口言われて、それが傷付いたみたいで。

「気が済まないなら直接伝えに行ったらどう?不安なら私も一緒について行くから」
と私は言って、Kちゃんと一緒に悪口言ったという本人のところへ。
私が隣に居るからその男子がちょっとビビってた。

ただ私はその現場を見ていないから、彼を責める権利はない。
どっちの味方をするわけでもない。
けど、何かあったときのためにKちゃんの側に居ました。
無事に謝ってもらい、解決しました。

彼も勢いで言っちゃったのかもしれないし、私は本当は優しくて真面目な子だと思ったな。
「部活中に呼び出しちゃって、ごめんね。話聞いてくれてありがとう」
と私からもお礼を言って、丸くおさまりました。

音楽室に帰ってくると、残された後輩Yちゃんが何故かムスッとしていて
「愛理先輩、私も同じような状況になったら、私にも同じことしてくれますか?」
と真っ直ぐ私の目を見て言った途端、彼女の目から涙がポロポロ…


うわわ!

え…? え?!

どどどどうしたの?!

えーーー!!

私…泣かせちゃった?

いやいや、待って待って!

なんでそうなるのーーー?!


ビックリしたけど
「もちろんだよ!二人とも私の大事な後輩だから…ね?泣かないの!」
とYちゃんの頭をナデナデすると

「ホントですかあああ?…Kちゃんだけズルい…(T_T)」
って…涙目でチョーむすっとして、ほっぺた膨らまして、Kちゃんをギロリと睨むYちゃん。


Yちゃん…ちっちゃくて可愛いお顔が台無しよ…?


そのあと、KちゃんとYちゃんは2人でモメてた。


あー!もー!困ったなあ…

私が二人いれば取り合いせずに済む…?
なんて。
いやいや、そんな非現実的な考えは…
どう考えても私は一人しか居ないんだし。

とにかく!私は二人とも大好きなんだから!

お願いだから喧嘩しないでよ〜!


間に入って私がなだめてたから、その日は練習開始が遅れたな。

困ったエピソードだけど、やきもち妬いて取り合いしちゃうくらい私のこと大好きでいてくれる後輩ちゃんが可愛いすぎて…愛おしかったです。笑

 


〜 あ と が き 〜

ホント中学上がってからは劇的変化でした。

きっと本当に死んで生まれ変わったんでしょうね、あのとき。

自分で決めたら絶対やるんですよ、私。

私の芯の強さとか、そういう人間として大切なことの土台は中学生のときに全て養ったと言ってもいいくらい。

学校も休まなかったし、精神的にも更に強くなっていたけど、やっぱりいろんなこと我慢した。

でも実は、その陰で誰のことも傷付けない代わりに、自分が傷付いて満足していたことも。
本編には書かなかったけどね。

それから3年間ずっと同じだった担任の先生のこと、今もずっと忘れません。
親にも認められなかった私を、認めてくれた先生に本当に感謝しています。

お父さんに会えたことにも感謝。
お母さんが離婚してからも、私のためにずっと連絡は取っていたと、そのとき言っていました。

でも、このときはまだ虐待されてたなんて言えなかったなあ…
まだ誰にも言えなかったよ。


あと初恋の話もしたけど、こういうこと公開するのって苦手。頑張った…笑

だから本編に書いてないけど、私が好きだった先輩が卒業したあと、私が2年生のときに1コ上の先輩に告白されたんです。
私はそんなこと初めてだったので、どうしたらいいかわからず流れでOKしてしまい、その日にイキナリ帰りに手を繋がれて、純粋な私はビックリして怖くなってしまい…すごい嫌悪感に陥って。
更にその先輩が生徒会長で見た目も目立つ人だったから、その翌日全校にウワサが広まってて、それもすごく嫌だった。
だから「今日は一緒に帰れません」と避けたりしながら、1週間くらいしてお断りしてしまいました。

私の中学生の恋愛なんて、純粋すぎてこんなもんよ。笑


あと後輩ちゃんたちのエピソードはオマケ的な!
私を取り合う2人が可愛かったからすごい覚えてる。

いつも2人は負けず嫌いで、仲良く、喧嘩して、いつも私がなだめてて。
彼女たちは、すごくヤキモチ妬きだったから、2人に平等に…って気を遣いましたけど。
中学生のとき、あんなに私のこと好いてくれるのは後輩たちしか居なかったな。
とっても大好きでした!



また次回!

ここまで読んで下さり、ありがとうございました♪(*・ω・)*_ _)ペコリ