こんにちは!
アイリンです٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

初めましての方はこちらからどうぞ!
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これは、私がこれから話す私の「幼少期」の写真。
面影あるかしら?(。•ᴗ•。)
2枚目のが1枚目より、ちっちゃい。

実は、本当は私が今、これらの幼少期の写真を持っているのはちょっと不思議なことなんです。
自分で面白いな、とも思うくらい。

何故、持っているはずのない自分の幼少期の写真を、奇跡的に私が今持っているのか。

そのちょっと不思議な話に辿り着くまでには時間がかかるのですが、今私が持っている自分の幼少期の貴重な写真です(他にも数枚だけ手元にあります)

もっと後でこの写真の話に繋がります。

そして悲しいことに、この写真にある笑顔の自分の記憶は、私には一切ありません。
私はこの写真を見ても、まるで、違う子どもの写真を見ているようで、自分じゃない子を見ているようで、不思議で堪らないんです。

私は写真を見ても、楽しかった思い出を思い出せない。

強くショックな出来事や、悲しい記憶で消されてしまった楽しい記憶。

思い出すことは不可能だったとしても、これまで生き延びてきて、落ち着いた今だからこそ、ちゃんと整理したい。



これからお話しすることは、書こう書こうと思って書いてはいたけど、今まで一度も記事として公開できてなかった、私の過去のこと。

私のブログは音楽やフィットネス、福祉関連の記事や趣味など、色んなジャンルのブログを書いてますが、それらはどれも、紛れもなく全て私の中身です。


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そうするとテーマ別に記事が分けてあるので是非ご活用ください。
この関連記事は今後も一番上の「過去」にまとめていきます。


私の過去のことは1つの記事では収まらないことなので、少しずつ書いていけたらと思っています。

これから話すことは、半年前から書いていて溜めていたものです。

思い出しながら、少しずつですが書きますね。



前 置 き

幼少期のことなどは、大人になってから人に言えるようになり、乗り越えてるのでもういいかな、と書くことにしました。
というか、達観しすぎて、自分のことなのに今では他人事みたいに話せます。

ただ直接人には話せても、私にとっては一般公開するのはなかなか勇気のいることでした。

でも、もしも同じように悩んでいる人が居たり、迷ってる人が居たら…
何かのお役に立てればいいなと思っています。
もちろん私自身の過去の整理の為でもあります。


読む人によって色んな思いや考えが出てくるかと思いますが、読み物として読んでいただいて大丈夫です。
私を知らない人からしたら"どうせ知らない人の過去の話"でしかないと思うので。
どう思われても構いません。

しかし、あくまでも私はそのとき体験したことや、思っていること、起こった事実を書くつもりです。

なので、わからないことは「わからない」とも書きますし、覚えていないことは「覚えていない」と正直に書くつもりです。

どう受け止めるかは自由です。

なるべく事実と記憶をそのまま書きたいので、暗い内容だったり、ショッキングなことも書きます。
私の周りで起きた酷い出来事や、ツラい現実も、隠さず書きたいので。

苦手な方は読まない方がいいかもしれません。

ただ結論から言ってしまうと
あくまでも「過去を乗り越えてきた人の話」です。

もちろん過去の影響で今、色んな壁にはバンバンぶち当たっていますが。笑
今は全然ツラくも悲しくもないので大丈夫です(*^^*)

気軽に読んでもらえればと思います!
どうか宜しくお願い致します。

拙い文章ですが、もし何かあれば是非ともコメントお待ちしております。



5 歳 以 下 の 記 憶
~幼児期健忘症〜


まず幼児期の記憶についてですが
「人というのはほとんど5歳以下の記憶はない」
というのを人によっては聞いたことがあると思うんですが、ちょっと調べてみました。

結果いろいろ出てきましたが、その情報のほとんどが、やはり
"5歳以下の記憶は消えてしまう"といった内容でした。

ただ私はネットに上がっている情報を簡単に鵜呑みにしないようにしています。
デマも多くあるし、必ずしも専門家が書いている記事ではありませんので。

なので疑いながら読んでたんですが、間違っていない情報を言えば
この忘れる仕組み「幼少期健忘症」という名前がついているそうです。

正確には
・3歳未満の乳幼児の脳は成長途上で記憶力が低い
・幼児期健忘症についてはまだまだ解明されていないことが多い

まだ研究段階なんだそうです。

3歳まではまだ海馬や前頭葉の発達が未熟なため、言葉として記憶に留めることが困難だとされている。
つまり「言葉」そのものがわからない時期に起きた出来事(視覚や嗅覚以外の情報)を説明するのは不可能だということ。

大人になるにつれて新しい記憶が次々とインストールされていき、子供の頃の古い記憶がなくなってしまう…。
そんなイメージ。

その理屈はわかります。

ですが、結構調べていくと3歳未満の記憶がある方のブログを見つけたり、質問サイトでもやはり記憶がある方もちらほらいらっしゃいました。
そういった"個人が体験した記憶"については、他の誰も経験していないことなので、まだハッキリ解明されていないこともあり
「そういうこともあるんだなあ」と、すごく興味深く読ませていただきました。

皆さんは、5歳以下の記憶、ありますか?

ぜひ覚えてるって方いらっしゃったら、教えてくださいね。

ただ、覚えているように感じても、それは写真であったりビデオの情報で、脳内記憶に残ってるものではない可能性が高いそうなんです。


ちょっと待って。

じゃあ、私のこの記憶は…

なに?



発 言 の 記 憶


私が3歳の頃に、両親が離婚しています。
まあ今は珍しい話ではないですが。

一緒に住んでいた幼少期は、父親は仕事が忙しく帰ってこないこともしばしば。
なので後から聞いた話ですが、私が乳幼児の頃は父親に抱かれると、知らない人だと思って泣きわめいていたそうです。笑

しっかり発語する年齢(3歳)くらいでしょうか。
私は、毎日毎日必ず母に聞いていたことがあるんです。

「おとうさん帰ってくる?」
って。

その記憶が、私の一番古い記憶です。

父は朝、私が目覚める前に仕事へ行き、私が眠りについた頃に帰ってきていたそうなので、なかなか会えませんでした。
30歳過ぎてすぐ部長になったそうで、そのときは1週間帰れないこともザラだったそう。
だから、毎日心配で聞いていたのかもしれません。


両親の離婚後。

母親と二人暮し。
住んでいたマンション、家の間取りなんかも断片的に覚えています。

そこで、また発言の記憶があります。
私は聞いたんです。

「おかあさんは、おとうさん居なくて、ひとりで寂しくないの?」

母は「お母さんは愛(私)が居るから寂しくないよ」と私に言いました。
でも、そう言った母は泣いていました。

2番目の記憶です。

私は純粋に母が寂しそうに見えたから、心配だったんでしょうか。
発言の記憶はありますが、何故そう聞いたのか、そのときの"感情の記憶"はありません。

母は逆に、父親という存在が居なくて、私が寂しい思いをしているから聞いてきたのだと感じたようでした。



 や く そ く


保育園に通っていたときのことをよく覚えています。

毎朝母の車に乗せられ、保育園へ。

そのとき必ず約束、指切りげんまんしないとバイバイ出来なかったんです。
それが毎日お決まりでした。

それが何の約束だったのかも、ちゃんと覚えています。

「おかあさん、ちゃんと私を迎えにきてね」
「ちゃんと迎えに行くよ」
っていう約束です。

そんなの当たり前のことなんですが、母と二人で暮らしていたから、母が迎えに来なかったら私は一人ぼっちになってしまう。

そんな不安があったのかなって。

まだ幼くて、お母さんと家に二人だった。

そんな私は、お母さんが全てでした。



見 捨 て ら れ 不 安 の
最 初 の キ ッ カ ケ


私は保育園でお昼寝しているときに、トイレに行く夢を見て、失敗してしまったことがあります。
これもよく覚えています。

そのときの年齢は4歳か、5歳か…。

いつも通り母が迎えに来てくれて、車に乗ります。

母は失敗したことを、とても怒っていました。


ごめんなさい。。。

ごめんなさい、ごめんなさい…


母は感情的になると歯止めが効かなくなり、ヒステリックになります。

「山に捨てるよ」
と言われ、本当に車から降ろされてしまいました。

割と田舎なので、周りに山はたくさんあり、山からタヌキが降りてきていることはしょっちゅうあるくらい。

車では田んぼが多い場所をいつも通っていて、ちょうど農道のあたりだったと思います。
街灯も少なく、辺りは薄暗いです。

私を車から降ろして、本当に母は車で行ってしまいました。

私は母の乗る車を、追いかけました。



おかあさん、まって!


おいてかないで!




そのあとは…



覚えてないです。すみません。

どうなったんだっけ…。



思い出すのは、私が追いかけた白い車の映像。

私の記憶はそこで終わっています。

でも思い出すと、喉の奥がヒュッとなって…
息が止まりそうな感覚になる。


まあ今ここで生きてるってことは、無事だったことには間違いないんですけどね。


でも、その記憶が幼い頃の記憶で一番ショックな出来事なので、やっぱり大人になっても思い出すんですよ。

楽しい記憶だってあったはずなのに、楽しかった記憶はなくて、そんな覚えておかなくていいことを覚えてる。

脅しだったんだとしても、私は見捨てられるのがとても恐かったです。

だって私には

おかあさんしか居なかったから。



ひ と り 遊 び


家ではお母さんと二人だし、近所には同じ歳くらいの子供がいなかったために、よくマンションの公園で一人で遊んでいた記憶があります。

家では本を読むのが好きで、本を読んだり、一人でおままごとをしたり、お絵描きをしたり、よく一人遊びをしていました。



噛 み つ く 癖


きっと私が
「おかあさんは、おとうさん居なくて、ひとりで寂しくないの?」
なんて、言ったから。

母は、いろんな人と会いました。

私の新しいお父さん探しです。

その頃からしばらく、私は人に噛みつく癖が出ていました。
母親や同年代のお友達には絶対そんなことしなかったけれど、母が連れてくる男の人に、遊んでもらっているときに腕や肩に噛みついて、母に怒られた記憶があります。

決して傷付けようってわけじゃなく。
子犬がじゃれているときに甘えて、甘噛みするような。

何か伝えたくて、訴えてたのかもしれない。

子どもの噛みつきは「愛情不足」とも言われていますよね。
ストレスが原因とも…。

確かに私、甘えたことなかった。

甘え方を知らなかった。
だから甘え方がわからなかった。

知らない、わからない何かを言葉で表現することが出来なかったから
「かまってほしい」
「もっと私に注目してほしい」
って、噛みついて訴えてたのかもしれない。

お父さんの居ない私は、お父さんのような人に遊んでもらえるのが、とても嬉しかったんです。

でも…

もっと遊んでもらいたいとき、私のことを見てほしいとき、どうしたらいいかわからなかった。



再 婚


私が6歳の時に母が再婚し、母と2人で暮らしていたマンションを離れ、私は引っ越しました。

再婚相手には連れ子が2人いました。
私と同い年の女の子と、私の1歳上の男の子です。

母と2人で暮らしていたのが、いきなり5人家族に。

慣れない環境に、母もストレスが溜まっていきます。

その母のストレスは、私と同い年の連れ子の女の子にぶつけられていきました。

母は怒り狂うと、何でも物を投げる癖がありました。
毎日のように家の中で物が飛びます。

リモコン、本、その辺にあるものを感情に任せて手当り次第に投げます。

私も、連れ子の兄妹も、怯える毎日。

再婚相手の人は、口では止めるも、とても気が弱い人で、気の強い母のことは誰も止められません。

ある日、母が、私と同い年の女の子を、夜に全裸でベランダに出したことがあります。
私にとっても強烈な記憶です。
私は彼女を助けようと、でも私も怖くて、ガタガタ、おどおどしていた記憶があります。

それから母は、せっかちなので食事が遅いだけでも怒って叩きます。
毎日、食事の時間もビクビクしていました。

特に連れ子の女の子は、未熟児で産まれ、私と同い年なのに身体も小さく、たくさん食べられず、食べるのも遅かったのです。

だけど母は関係なしに、食事が遅いだけで
「早く食えよ!」
と言って彼女の頭を思い切り叩きます。
食べ物を残しても怒られます。

なのでいつも私は「早く食べないと」と思って、早食いになっていきました。
嫌いなものは無理して食べるか、戻してしまいそうなほど苦しいときは、鼻をかむフリをしてティッシュに包んで捨てていました。

ある時、私は連れ子の女の子が座っていた椅子のクッションの下に、朝食べていた食パンの食べかけがあるのを見つけました。
朝、食べきれなかったのか、早く食べないと怒られるからなのか、彼女がクッションの下に隠していたんだと思い、見つけた私が母にバレないように、ティッシュに包んで捨てました。

物が飛び、毎食時のように叩かれるのを見て、毎日のようにそんなことが続きました。
家では怯える毎日。

私はもうすぐ小学校へ入学。

小学1年生になろうとしていました。




〜 あ と が き 〜


大人になって、いろんなこと克服できてるし、基本は精神的な強さがあるので全然大丈夫なんですが、今でも見捨てられ不安だけは心の奥底にあります。
普段は表に出ないにしても、キッカケさえあれば突然不安が出ることがあります。

なので今も、しっかり自分の過去と向き合わなきゃって思っています。
ちゃんと克服したいので。


同い年の女の子を全裸でベランダに出されてたのを見たときは、私も同じ目に遭うかもしれない恐怖の中、どうやって彼女を助け出そうかと考えていたんですが、あの母を目の前にしたら膝や手が震えて動けなかったんです。
そんな恐怖の記憶があります。

そして食事のときの記憶も今思い出しても地獄だったなと思います。
あのときの家での食事の時間は、私にとって苦痛の時間でした。

皆さんも読んで気付いたと思いますが…
これは所謂「虐待」ですよね。

そのせいか私、しばらく早食いで、小中学生のときは毎日、給食5分で食べ終わってたくらいです。

でも今は、信頼できる人や友達とお話ししながら一緒に食べてるときは、ゆっくり食べられるようになりました。
早食いの人からしたら、今は私も食べるの遅い方になったかもしれません。

「早く食べなくても怒られない」「ゆっくり食べてても叩かれない」環境に慣れた証拠だと思います。

人が食べるの早いと
「食べるのが遅くてごめんなさい」
と今でも謝ってしまうところはありますが…
基本的に安心して食事できてるので、克服できているんだと思います。

今は人とご飯たべるのが好きで、人と一緒だと食べるんですが、一人だと食事が疎かになっちゃってるくらいです。笑


一人遊びもしていたから、今も一人で遊んだり、一人で居る時間は苦じゃない。
今も一人の時間を使うのは上手な方だと思います。


いい思い出を思い出すとしたら、母が再婚してから家での楽しい記憶はないけど、保育園での記憶はあったり。

今もそうなんだけど、やっぱり昔から物を作ったり、オリジナルのものを生み出すのが好きでした。

たまごっちが欲しかったけど買ってもらえなかったからって、自分で(紙で)たまごっち作っちゃったとか。笑

たまごっち本体の絵を紙に描いて切り抜いて、たまごっちの画面と同じサイズの四角い紙を何枚も用意しました。
その紙に"みみっち"や"まめっち"など、たまごっちのキャラを描いて、本体の画面の枠にテープで上だけ留めて、キャラを描いた四角い紙を重ねて貼りました。
そうすると画面の紙をめくれるので、めくるとキャラが変わる仕様に。

それを見た周りのお友達から
「愛理ちゃん、たまごっち私にもつくってー!」
とよくお願いされ、作ってあげていました。

そうやって、お友達に頼まれて作ってあげるのも大好きでした。

あとは絵本も書いていました。
私のオリジナルキャラクターの"バーバラ"という名前の茶色いねずみさんが主人公の絵本です。
※英語圏で「Barbara(バーバラ)」は女性の名前ですが、6歳の私はそんなこと知らないので、名前の響きだけ気に入り、主人公の茶色いねずみのバーバラは男の子の設定でした。

紙とセロハンテープ使って、簡単に10ページくらいの本を作って
「バーバラの豆まき」とか「バーバラのクリスマス」とか、色んなタイトルのねずみのバーバラの絵本を保育園で書いてました。
しばらく残していたと思うんだけど、今はもう手元にありません。

そんな感じかなあ。
保育園は3つくらい転々とした記憶があるけど、保育園は楽しかった。
歌うたうのも好きで、お友達と当時好きだったアニメの「3丁目のタマ」のオープニング曲を歌ったり。
クリスマスに鈴を持って歌う「あわてんぼうのサンタクロース」を一生懸命練習した記憶もあります。

何かを作っているとき
絵を描いているとき
歌っているとき
踊っているとき
友だちと遊んでいるとき

何かを表現しているときだけは、ツラいことを思い出さずに済んだ。
そのときだけは、嫌なことを忘れることが出来ました。



続きはいつになるかわからないけど、2に続きます!
小学校上がってからもまた環境が変わり、急展開していきます。

続きは来年になっちゃうかな?←

ここまで読んでくださって、ありがとうございました(o^^o)


最後に音楽を1曲
この記事のタイトルと同じ曲を紹介してお別れです!

Rhian Sheehan
「Childhood」

ニュージーランドのアンビエント音楽家、Rhian Sheehan
空間と奥行きで包み込む環境音楽。
ですが、彼の音楽は壮大な美しい景色に合うような音楽が多いです。

この曲は、幼少期の記憶が、走馬灯のように駆け巡るようなイメージ。
でも、安心して眠れそうな気がするんです。
消えてしまった楽しい記憶も、思い出したかのような気持ちになる。
彼の作る音楽は純粋で、繊細で、澱みなく綺麗で、澄んでいて、美しいから。