さて、今日は忍者の里遠征訓練 総括の第2回
初日は、伊賀流忍術発祥の地とも言える、赤目四十八滝を訪問しましたが、2日目は甲賀流忍術の里、滋賀県甲賀市へ
県境をまたぎますが、現在の三重県伊賀市と滋賀県甲賀市が隣接する自治体であるように、昔から両流派は隣接する忍者集団と言うことで、往来も頻繁だったようで、ドラマや漫画のように不倶戴天の仇敵と言うコトはなかったようです
実際に「伊賀と甲賀は九里の中」(伊賀と甲賀は、イガの中に寄り添う栗のような、間(距離)柄)とも言われていたようで…
甲賀の忍者屋敷で特筆するトコロは、今から約300年前に、現存するその地に建てられ今に至っているトコロ
からくり屋敷とも言われる忍者屋敷ですが、そのからくりの目的は戦うコトよりも、逃げるコトが最優先と言うのは、伊賀も甲賀も共通
忍術もまた然り
いわゆる、サバイバルのプロ
ぽち太的には、アウトドアと相通じるモノを感じます
まあ、往来が頻繁だった両地方の発想が似通うのは必然かもしれませんが、発祥の謂われや特徴は当然異なります
伊賀流の場合、前回のブログでも紹介した通り、発祥以前から「役の小角」を始祖とする修験道から発達したと言われ、個人の体技に優れる一方、伊賀流の中にも主だった流派だけでも九流派はあるそうです
一方の甲賀流は、この地方を治める地侍53家の合議制によって方針が定められ、伊賀忍者が個人でどこかの大名に雇われる事が多いのに対し、甲賀は集団ごとどこかの大名に味方する事が多かったそうです
また、甲賀は伊吹山から続く、滋賀県南東部に広がる薬草の一大産地と言うことで、薬売りとして全国を回り情報を収集していたそうです
そう言えば、ぽち太の甲賀の叔父(故人)も会社員と言いながら、ほとんど行商のようなスタイルで薬を売り歩いていたようです(変な薬ぢゃないよ
![ビックリマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
まさかホントに忍者だったんでは?
?(・_・;?
まあ、そんなウンチクはおいといて、屋敷そのものには目新しさは感じなかったんですが、ぽち太が目を引かれたのは、館内で販売されてる刀剣類
ぽち太が自分土産に買った手裏剣もそうなんですが、普通の居合刀や忍者刀が意外なほどお手頃価格で売ってるんです
安い物なら、1万円でおつりがきます
当日は、ガソリン代とごはん代ぐらいしか持ち合わせていなかったんで購入はしませんでしたが、特に忍者刀は欲しいぞっ
o(^o^)o
けど、バイクで行ってると、文字通り忍者みたいに刀を背中に背負って持ち帰るのか?
絶対、お巡りさんに呼び止められるな…
(・・;)
…でも欲しい…
あ、せっかくなんで、忍者刀についてちょっとだけ解説
普通の日本刀との分かりやすい違いは、刀身に反りがなくてまっすぐなトコロ
そして、鞘の先端は丸くなくて、尖った形をしていて取り外すコトができます
これは、刀を鞘ごと地面に突き立てて、塀などを乗り越える時の足場にしたり、鞘の先端を外して水中に隠れた時にシュノーケルのように使うため
全てが理に叶っていますが、反りが無い分切れ味は?
もっとも、普通の日本刀でも、2~3人も人を斬れば脂が回ったり、刃こぼれしたりして斬れなくなると聞きました
しかし、斬れようが斬れまいが、数kgもある鋼の棒で殴られりゃケガで済めばラッキーってもんでしょう
今も真剣に(刀だけに?)買おうかどうか迷っていますが、土産に買った手裏剣と忍者刀まで揃うと、次は忍び装束か?
(・・;)
こうやって人はコスプレにハマっていくのかも?
f(^^;
さて、最後になぜ忍者が生まれたのか?
を考察してみましょう
伊賀も甲賀も、耕作地に恵まれない山がちな地形であることが、第一にあるのでしょう
忍者が世に出始めた時代は、概ね室町時代頃
貨幣経済が表に出始め、政権が磐石でないため戦乱も多い時代背景に重なります
そんな中、耕作地に恵まれず、大きな兵力も整えられない条件下で、領地や家族を守るには、大勢力と繋がりを持ちつつ「貨幣」と言う、米以外の収入源を確保しながら身を護っていく術として発達してきたのではないでしょうか?
忍術の流派は、日本全国に分かっているだけで49流派あるそうですが、多くは似たような地勢のところに発生しています
ただ意外なのが、飛騨地方にもあると思ってたんですが、調べたところでは確認できません
と、言うことは、赤影やライオン丸と言った著名な忍者達の所属先はドコだったのか?
まあ、隠密行動を旨とする忍者にしては、顔立ちからして目立ち過ぎだよなあ…
次回は、総括3回目(最後)の予定です