週末に緊急の仕事が立て続けに入り、金曜日~土曜日午前中まで、ほぼ徹夜状態
勢い、日曜日は1日爆睡で、更新が滞ってしまいました
さて、ぽち太の過去旅エピソード東北編第3弾は、あの忌まわしい大震災後に訪れた際の話
震災発生時には、名古屋でも揺れを感じました
水の上に揺られているような、結構長い時間、どこかふわふわした感じの揺れが続きました
地震の第一報は、東京で被害が出たこと
東北の被害の様子は、かなり時間が経ってから少しずつ入り始めました
津波や原発の様子は、相当な時間が経過してから情報が入り始めました
阪神淡路大震災の時とは全く違う、初めて見る光景にただ唖然とするばかり…
助けに行かなきゃとは思うものの、交通はマヒし、行って何をすればいいのか、何より会社勤めの身で、そういう時間が取れるのか全く想像すらつきません…
折しもその頃、仕事は新しいプロジェクトの立ち上げで、てんやわんやの状況…
取引先が福島県白河市にあるので、そちらの方々や、出張の際にお世話になった飲み屋の方々の安否も気になります
幸いと言うか、とりあえず取引先の方々の無事は確認出来ましたが、さすがに飲み屋の方々の安否までは会社で確認できません
モヤモヤした気持ちを抱えたまま、約1年が過ぎてしまいました…
この間に、多くの状況が分かるようになり、仕事もやや落ち着いたGWにようやく時間が取れました
しかし、この間にぽち太の体に異変があり、車で訪問することは叶わなくなっていたのです
それでもせめて、飲み屋の方々の安否だけでもと思い、電車に飛び乗り福島県へ向かいました
この飲み屋さんとの出会いは、震災より4年ほど遡ります
この時、白河市の取引先と新潟県上越市の取引先を2日間かけて訪問していたのですが、1日目に訪れた白河市の仕事が終わった後に飲みに行ったお店です
(この年、上越市の取引先は中越沖地震に見舞われています)
そこでぽち太が何故か店長さんに気に入られ(飲み方が紳士的で感動したとか…。そうかなぁ…?)、地酒のあまりの美味しさに酒屋さん教えて貰おうとしたところ、夜中にも関わらず仕入先の酒蔵(当然終業後)に出向いていただき、酒蔵にもムリを言ってお土産用のお酒を取り寄せて下さいました
あの人達は今、どうしているんだろう…
たとえ顔を見ることしか出来ないとしても、とにかく行かなきゃって思いだけでした
けれどこの1年間、募金やらでぽち太なりに頑張ってた?ので、あまりお金もありません…
で、ぽち太が取った行動は、名古屋から白河まで、オールローカル線で行くと言うもの
朝8時に最寄り駅を出て、到着は夜のの9時半
意外と早い?
とは言え、北関東辺りから大雨の影響で4時間程予定より遅れての到着
ホテルにさっさとチェックインを済ませ、シャワーを浴びたら、お店へ向かいます
お店は無事かな?
無事でも、GW中に営業してるかな?
不安を抱えながら、お店へ急ぐと、ありました
以前と変わらぬ佇まいで
しかも、灯りが灯ってる
かくして、ぽち太は店長さんと再開を果たすコトが出来ました
店長さんは、さすがに覚えてはいらっしゃらなかったけれど、訪問をとてもよろこんで下さり、人的、物的被害もさることながら、風評被害の理不尽さや、被災者でありながら一部で為される批判的評判に大変憤って見えました
ぽち太は、何も出来ないけれど、この声を持って帰るのが最低限出来るコトだと…
その後、お互いの連絡先を交換し、お互い近くを訪れた際には一緒に飲む約束をして別れました
翌日は、同じ福島県でも浜通りのいわき市へ向かいます
この辺りは、福島県内でも津波と原発事故の影響が深刻な所
現在でも立ち入り禁止が続く地域に、出来るだけ近付いてみました
向かったのは、四ツ倉道の駅
この時、最寄り駅から先へ向かう列車はなく、道の駅も津波で大半が壊れ、仮設の建物で営業していました
昨年、建て替えが終わったそうで、少しずつ復旧している様子で、まずは何よりです
施設の周りには、打ち上げられた?漁船や壊れた車の残骸等もあって、津波の凄まじさがよくわかりました
ここでは、名古屋へ持って帰る地元野菜を買えるだけ買ってホテルに直帰
翌日は、生鮮品を持っているので、特急列車も駆使して帰り、その足で行き付けの居酒屋さんで常連さん達と福島野菜パーティーでした
福島って、距離の話もあって、ちょくちょく行ける所ではないけど、みんなが元の生活に近付けるよう、忘れることなく、少しずつでも息の長い手助けが出来たらなあ…
福島県の名誉の為に一言添えますが、福島の地酒は日本一厳しい安全管理と基準をクリアしています
それほど大きくない酒蔵が、安心して飲めるお酒を造る為に、涙ぐましい程の努力をしていらっしゃいます
勿論、他の産物や他の東北の物産も積極的に消費したいと思います
(と言うより、日本中かな?アベノミクスだ~)
次回からは、関東すっ飛ばして、北陸・甲信越編です