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ひょっとしたらこれって、

「人生の進路を大きく変えようとしたことがある女子あるある」

じゃないかと思うんですが。

 

 

 

「こっちの生きざまにダメ出ししてくる殿方」が、何だか異様に増えませんか……?

 

 

 

 

私、今、そうなんです。

殿方に、人生をダメ出しされる機会が何だか多くて。

 

 

もちろん、ありがたいことです。

私の進路なんかに、親身になっていただいて。

 

 

でもね、「ありがたいなー」って素直に思えるご指摘と、

なんっっか、もやもやーっとするダメ出しとの決定的な違いに

私はついさっき、ほんとにようやく、気づきまして。

今日は、それについてのお話です。

 

 

 

……というか、いっつも、こうなんです。

私は、気づくのがとんでもなく遅い。

 

 

例えば電車の中で、友人と話していて、

何かイジられて、あははーって笑って、

友人が先に降りていき、「ばいばーい」って笑って手を降って、

ドアが締まり、走り出し、そうね、次か次の駅ぐらいでようやく、

 

 

 

「私、とんでもなくひどいこと言われなかった!!?!??」

 

 

 

 

って思うんです。

 

 

 

 

今回も、そうでした。

おめーの選択はまちがってる、

俺はおめーの昔の姿を覚えてる、

おめーがそんなことを本当にやりたいと思っているわけがない!

 

 

私はそれを受けて、なんかもう必死で、

私がやりたいのがどんなことだか、

今の私がどんなことに幸せを感じてるか、

あなたの知っている私と今の私がどれだけ違うか、

一生懸命説明するんですけど、相手は頑として譲らない。

 

 

 

ああ。これは、対話ではない。

あきらめて帰路についたんですけれども。

 

 

 

そのときに返すべきだった言葉が、

でもおそらくこのまま永遠に言う機会のないであろう反論が、

ついさっき、まる1日経って今やっと、浮かんできたんです。

 

 

 

「あなたは、私の、いったい何を知っているの?」

 

 

 

……これは、自省もこめての発見です。

何らかの岐路に立つ誰かに、かけるべき言葉について。

 

 

これはインタビュー業における実感でもあるんですが、

例えば事前に相手の資料を読み倒して、その人について勉強して、

 

 

「自分はこの人をすでに理解している」を前提に対話を試みると、

うまくいきません。面白いくらい。

 

 

予習していったことの「答え合わせ」になっちゃうんですね。

 

 

そもそも「理解している」なんて、思い上がりだしね。

 

 

 

「私には、あなたのことがわからない」。

対話って、むしろそこからスタートするものだと思うんですよ。

 

 

 

あなたのことが、わからない。

だから、知りたい。言葉を交わそう。

 

 

 

そこから始めて、重ねに重ねた対話の末に、

ようやく思いは、届くのだろうと思います。

 

 

 

「理解」とは、そうやって重ねた地層にこそ、

しっかりと根を張るものなのだと思います。

 

 

 

どんなに、近しい相手でも。

息が合った(かのように思える)相手でも。

 

 

 

「あなたを知りたい」。

 

 

 

それが、すべての始まりなのです。