料理が趣味です。

日々の雑事や仕事が立て込んで忙しくなるとストレスが溜まります。

そんなときの私のストレス解消法は料理を作ること。

食べることには作ることほど興味はないので、作り終えるとそれでスッキリするのですが、作りっぱなしだと傷んでしまうのでかつては気がつけば友人を呼んでのパーティーとなっていました。

 

 

東京にいたときはよく友人を食事に招いていましたが、俄然張り切ってしまいます。

「今日の招待客はふたりやから、十人前は作らんでもええから、そこんとこよく考えてね」と、常に伴侶に戒められておりました。

伴侶の個展のオープニングパーティーなどの料理も、すべてコンセプトに合わせて手作りで作っていました。最低でも50人前くらいは用意しなければいけないのが、メチャクチャ嬉しかったです。

 

大阪在住の頃も毎週のようにだれかが来宅していて、それが口コミで広がり徐々に参加者が増えてきて、あっという間に20人以上になっていたことも多々あります。

だんだんと部屋に入りきれなくなり、リビングと隣の部屋をぶち抜いてリフォーム。

「これで40人はいけるで!」と喜んでいたあの頃が懐かしい・・・。

 

 

東京に移ってからも、札幌に来てからも相変わらず来客は引きも切らずでしたが、伴侶もいなくなり小さな住まいに移ってしまった今は、大量に作ることはなくなりました。まあ、体力も衰えてきているので、その方が良いのかもですが・・・。

 

コロナのせいで今はなかなか東京にも大阪にも行きづらくなりましたが、以前はどこへ行っても訪問先では、お勝手を文字通り勝手に使って料理をしていました。

しかし父の家などは調理器具も調味料も最低限しかなく、まるでキャンプ場での料理のようです。

あるときなどは生クリームを泡立てる泡立て器がなく、仕方がないので箸を輪ゴムで縛り、1時間近く泡立てたことがあります。

それはそれで面白かったのですが、翌日は腱鞘炎になってました。

料理はやはり体力ですね。

 

 

私は以前は絵を描いたり、立体物を作ったりという美術系の仕事を生業としていました。何かを作ることは大変面白く、また達成感はありますが、何と言ってもいっとう楽しいのは私の場合は料理です。

料理はすべての感覚を駆使します。

さらに言えば五感プラス第六感も必須です。

なぜなら、出来上がりをしっかりイメージしておかないとがっかりなものになってしまいます。

まず、和食なのか洋食なのか料理のジャンルを決め、振舞う相手の年齢や嗜好から内容のイメージを膨らませ、それぞれの料理がどれもそれぞれの個性を際立たせられるように組み立てて行くのですが、そのプロセスを考えることはとても楽しい作業です。

しっかりイメージが固まったら、あとはただひたすら作るのみ。

これが一番血湧き肉踊るひとときです!

その間ほとんど瞑想状態なのですが、出来上がった料理に満足出来たときの達成感は、これはもう言葉には表現できない歓びです。

 

 

食材は絵の具みたいなものです。

どの色も素晴らしい輝きを放っています。

それぞれの美しい色をどんな風にアレンジして、どんな作品に仕上げるか?

料理、絵画のみならず、ワクワク感で仕上げられた創作物は必ず素敵な作品になります。

 

人はキャンバスです(そのキャンバスが真っ白か少し汚れているかはそれぞれでしょうが)。そして無限の色数の絵の具を携えこの世に生を受けたと思っています。

自分の裡に無限に存在する色をどのように使ってどのような作品に仕上げていくかは、自分次第です。

”自分”というイメージを明確にして、今生の生き様を全うしたいものです。

 

3/22~28のお告げ

THUNDER DRUM

サンダードラム

 

 

自分の人生というドラマの主役は自分です。

そして主役を活かす演出家も自分です。

今週は胸を張って、大いに自己主張する週にして下さい。

 

例えば誰かと一緒に食事に行ったとします。

「なにが食べたい?」と聞かれたら、「~が食べたい!」と明確に意思表示をする。

デートや遊びに誘われ「どこに行きたい?」と聞かれたら、「~に行きたい!」、もしくは「行きたくない!」と自分の気持ちを率直に伝えること。

公私に関わらず意見を述べる機会があれば、まわりの視線や思惑はいっさい気にせずに堂々と自分の意見を述べること。

相手がだれであろうとおかしな遠慮をせず嫌なことは嫌、大丈夫なことは大丈夫と明確にしていくことが重要です。

 

大抵の人が些細なことであれば、それに対して”なんとなく”対応しながら毎日を過ごしています。

「体制に影響ないんだからいいじゃん」と思うかも知れませんが、生き方というのは日々の習い症で大きく変わってきます。

どんなに些細なことでもまずは自分に対してしっかりと意思表示をすることで、あらゆる物事に対し自分にとって的確で後悔をしない判断力を会得させてくれます。

それを体得することで自分という主役を活かした素敵な作品を創り上げることができるのです。

 

単なる我が儘と自分の意志を明確にする自己主張はまったく異なるものです。

誰かの意見に反発するとか、迎合することなく凛とした態度で自分の意見を述べる。

結果的にそれが受け入れられなくても気落ちしたり、残念がる必要はまったくありません。自分の考えを明確にするということが大切なのです。

 

今週は自分の才能を信頼し恥ずかしがらずに、かと言って気負うことなく正直に言葉を発することを心がける週にして下さい。

 

 

2017年の1月初めに最後の猫を亡くすまで、たくさんのワンニャンと過ごしてきました。

私も伴侶も大の動物好きで彼らとの日々は大変でしたが、とても幸福でした。

今はひとりになりとても寂しいですが、彼らとの楽しかった日々を思い出し彼岸での再開をよりどころにしています。


 

 

七頭目の犬は近所で飼育放棄されていた子で、なんだかだと一悶着ありましたがなんとかわが家の家族にすることができました。

「近所の人に櫂ちゃん(新しくわが家で命名した犬の名前です)はオラクルさんちに来れて幸せだったね、って言われたよ」と伴侶に告げると「いや~、それはちがうでしょう。櫂が幸せかどうかはわからんけど、少なくともこの子が来てくれて我々が幸せやんか」という応えが帰ってきて、ああ、この人は本当に心底ワンニャン好きなんだと感激しました。

 

 

私達にこの上なく楽しく豊かな時間をくれた彼らに今も心から感謝です。

思い返せば可哀想な亡くし方をした子もいましたが、彼岸に行った暁にはその子達にまずは一番に謝ろうと思っています。多分、彼らはまったく気にもしていないと思いますが。

 

 

そうなんです!

彼らは瞬間、瞬間を目一杯生きているので過ぎたことをあれこれといつまでも恨んだり、逡巡したりしないのです。

とにかく彼らに大切なのは常に”今”であり、起こってくることはすべて受け入れ、本音と建前を使い分けることなく、嬉しければ喜び、哀しかったら悲しむという素直な感情表現が当たり前なのです。

そしてこれは最も凄いことなのですが、”死”に対する感性も我々ニンゲンとはまったく違います。

 

病気になっても、苦しくても文句ひとつ言いません。

ただただ淡々と受け入れます。

治療不可能でただ死を待つのみという状態になっても、その日の調子が良ければその時を100%楽しみます。

もう、だめだ~、と私が号泣していると心配そうにジッと見つめて慰めようとしてくれます。

頭であれこれ考え無駄な心配でエネルギーを浪費しません。

 

 

私は彼らを通して実に多くのことを学ばせて貰えました。

彼らは私にとってのマスターです。

 

2015年に私の母と男の子の猫を亡くし、その翌年には伴侶を亡くし、愛する者との続けざまの離別にとことん気落ちしていた私を最後の女の子の猫が支えてくれたのですが、彼女もとうとう17年の1月初旬に逝ってしまいました。

亡くなる1種間ほど前に「辛くない?病院に行こうか?」と聞くと「もうジタバタしないでいいから。静かにしてて」と言われてしまいました。

その数日後に私の腕の中で静かに逝った彼女の潔さには頭が下がります。

 

 

かなり限界だった気持ちに追い打ちをかけるような彼女との別れという3年続きの哀しみに生きる気力も無くなり、朝の目覚めがこの上ない苦痛という陰鬱な気持ちで日々過ごしていましたが、あまりに酷くなると必ず彼女が夢に出て来て元気づけてくれました。

「なに、いつまでもメソメソしてるのよ~~。少しは動きなさい!ホラ、こうして思い切り地面を蹴って飛び上がるのよ~!」。

なかなか飛び上がれない私に彼女は何度もお手本を示してくれ、やっと飛び上がれた私と一緒に宇宙をランデブー飛行して慰めてくれたことがあります。

とても楽しく素晴らしい夢のおかげで、それ以降は随分と気持ちが楽になりました。

その後も、彼女を含め他の子たちも何度も夢でやっかいな私を慰めてくれました

 

 

動物は”流れ”のままに、瞬間瞬間を素直にフルにエネルギッシュに生きています。

少しでも彼らのような生き様に近づけるようになりたいものです。

 

3/15~21のお告げ

FLOWING RIVER

流れる川

 

 

今週は流れに素直に従って下さい。

自分に起こる良きことも悪しきこともすべては必然であり、課題です。

どのようなことが起こっても、鷹揚に構えて泰然自若としていることが最良の選択肢です。

ニンゲンには言葉という素晴らしい贈り物が与えられています。

しかしそれは時として物事を複雑にしてしまう弊害ともなりえます。

言葉で考え、言葉で納得し、言葉で処理しようとすればするほど、物事をさらに複雑化させたり、混乱を招くことも多々起こってきます。

 

「頭では解っているんだけれど・・・」とおっしゃる方々をよく見かけますが、それは理屈では解ったつもりになっているだけで、実はなにも解っていないのです。

「腑に落ちる」という言い方がありますが、「腑」に落ちないということは解っていないということです。

「頭」、即ち「脳」は解ったつもりになっているけれども、身体と心が納得していないのです。それが「腑に落ちない」ということなのです。

 

理屈は解らないけれど、瞬時にして解ることってありますよね。

ニンゲンには必ず24時間寝ずの番をしてくれているガーディアンスピリットがついています。

ほとほと困ったときには自分のガーディアンスピリットに「よろしく~」とお願いし

無駄に抗うことなく、頭を休め、安心することで自然に宇宙のリズムと同調することができ、物事は収拾されていきます。

そのときは納得できない状況だったり状態かも知れませんが、結果的にはそれは自分にとっての最良の結果なのです。

 

今週は小知才覚であれこれと「頭」を悩ますことなく、「腑」に落ちる感覚を大切にし「自分にとっての最良の方向を示し、導いて下さい」というアファーメーションを唱えながら、流れを楽しむ週になさって下さい。

 

 

 

 

 

 伴侶が逝って、早5年になります。

5年前の2月29日に逝ったのですが、29日は4年に1度。

「まあ、4年にいっぺんくらい、思い出してくれたらええわ」などとのたまわっている様子が目に浮かびます。

と、言われてもやはり毎年2月末近くになると、気持ちが波立ってきます。

時間が経つにつれて気持ちは癒されていくのかなぁ、と思っていたのですが、むしろ逆なようで、年々寂しさと恋しさが募っていきます。

特に今年は命日の数日前から、落ち込みが酷くかなりダメージがキツかったです。

 

 

災害や事故、犯罪被害などでいつまで経っても気持ちが癒されないというPTSDというのが良く理解できます。

伴侶の「ちょっとあっちに行くね」、それに対して私の「うん」が最後の会話となり、それから1時間足らずの後に「ごはんよ〜」と呼びにいったら、既に事切れていたというあまりにも突然のことだったので、そのときのショック状態は今思い返してもやはり半端ではなかったと思います。

命日が近づいてくると未だにそのときの情景がリアルにフラッシュバックして、油断をすると言葉にならないしんどさに苛まれます。

 

 

思うに私を含めすべての人は何らかの形で傷ついています。

私は”汎神論”&”輪廻転生”派なので、この地球上に於いては大霊の分霊として肉体を纏わざるを得ず、その肉体を携えて人として誕生し、あらゆる体験をすることに意味があり、肉体を持つが故に体験上自ずと傷つくこともしかりと思っています。

本来、人は肉体ではなく”霊”のはずが、知らず知らずのうちに肉体のほうが主となり、ひいてはそれを護らんがために争いが起こってくるのです。

その結果、人は押し並べて傷ついていくことになるという訳です。

傷つきっぱなしにしておくと、また来生でニンゲンをすることになってしまいます。

 

 

過去生のみならず今生でも傷ついた魂をしっかり癒し、スッキリした気持ちで霊界に旅立てることが私の望みなのですが、さて我が伴侶はどうだったのでしょうか?

夢でのコンタクトが割合あるのですが、あちらではなかなか楽しそうなのでそこそこ癒されて逝ったのかと勝手な解釈をしています。

肉体がある間に出来る限り傷を癒し、愛を体感できる人生でありたいものです。

 

3/8〜14のお告げ

WOUNDED HEALER

傷ついたヒーラー

 

 

宇宙に満ち溢れる無限の愛と癒しのエネルギーが私達に流れ込んでいます。

宇宙は実に気前よく、分け隔てなくすべての命にこのエネルギーを注ぎ込んでくれています。それを素直に受け入れるか拒否するかは自分次第です。

 

自分のこれまでの人生を振り返り、傷ついた魂を労う週にして下さい。

思いつくままに傷ついたことを書き出し、下記のアファーメーションを唱えながらそれらに対して癒しと愛のエネルギーが注ぎ込まれるように祈って下さい。

 

<宇宙に満ち溢れる無限の愛と癒しのエネルギーが私達に流れ込みます。それを私達は各々の裡で豊かに育み、地球と全人類を満たします。すべての命は愛のエネルギーでひとつとなります>

 

真摯に丁寧にその作業を行うことで必ず癒しを体感することができ、愛を感じられるはずです。愛を感じると肉体的に暖かくなったり、涙腺が弱くなったり、人それぞれの現象が起こってきます。

ぜひ、その現象を楽しんで頂き、まわりの方々に放射して下さい。

傷つくことは貴重な体験です。傷つくことは”気づく”ことです。

自分を癒し、愛を感じ、より多くの命を癒せるヒーラーとなって下さい。