ニュースソースをできるだけ遮断しているにも関わらず、無人島で暮らしているわけではないのでどうしても世界で起こっていることが耳目に入ってきます。

このところずっと心が苦しく、特に今週はお気楽な前振りネタを書く気が起こりません。ですので、いきなりのお告げとさせて頂きます。

 

3/28~4/3のお告げ

ELM

動物たちがいなければ孤独で死んでしまうでしょう

先祖の存在がなかったら、根を失って滅んでしまう

エルムの天使がいなければ、未来を失うことになる

目を覚まし、耳を傾けなさい

立ち上がって大きな声で語りなさい

死にゆくものは自分だけの声を聞き

生きるものは調和して合唱する

(TREE ANGEL ORACLEより)

 

以下の<>の文章は、同じくTREE ANGEL ORACLEからの引用です。

<エルムの天使は、コミュニケーションと交換の分野で輝く存在です。

それは誠実な真のコミュニケーションをします。

コンピューターで育った世代の間で交わされる意味のないメールの交換や、仲間内のそっけないやり取りではなく、さまざまな障壁を乗り越える真のコミュニケーションといえます。

 

エルムのオーラルフィールドでは、ギリシャの英雄オルフェウスが動物たちにリラの音を聴かせます。ずっと昔から、よく追悼式がこの木の葉の下で行われてきました。

普通の人々、神秘家の人々、自然界の精霊たちとその使者たちが、みな、この木の元に集まりました。真の出会いとは、参加するものがみな、誰も偏見をもたず、お互いを尊重しあえるときのみ可能です。

エルムは、理解と和解と共感の場を促し、強めます。

 

 

また、エルムは、力強い森の守護者グリーンマンの仲間です。森に棲むあらゆる生き物を守るこのグリーンマンは、ときには小人、ときには巨人の姿になって森の中を闊歩します。エルムもグリーンマンと同じような、冒険好きといたずら好きのところがあります。

 

20世紀の電気通信の発達と普及が、オランダエルム病の発生で世界中のほとんどのエルムの木が一掃された時期と重なったのは、偶然と考えられています。

しかし、テクノロジーの発達は、例えば電話などの器機が、人間に元から与えられていた超感覚的な知恵、テレパシーというようなものの粗末な代用品でしかないことを、ますます見えなくさせてしまっています。

 

現代の社会では、本来生き生きとしたコミュニケーションのもつ魔法のような力が、携帯電話によって絶えず断ち切れてしまうことで、かつて持たれていた意味のある話し合いがますます減少してしまいました。

みな、常に意識が半分どこかへ行っていて、誰も完全に、今ここ、にいなくなってしまいました。せめてお互いの目をしっかりと見つめ合うことができたら・・・・。

エルムの天使はわたしたちに、外の世界との関係をしっかりしたものにするようにと要求します。

世界は鏡です。外の世界は、内なる世界の反映なのです。

 

 

ブラックソーン(守護者であり、影の番人でであり、暗い秘密を保持する天使)の恵みによって、失った自分自身を取り戻すために内なる世界へ入ることができたように、エルムは、わたしたちと外の世界とを結びつけます。

エルムのメッセージは「いかなる存在に対しても、自分の一面と思って向き合いなさい」ということです。これは、誠実な真のコミュニケーションの種をまくことです。

あなたがこのメッセージを深く学ぶことができたら、まだ多くの仲間の木々を失ったことに泣いているエルムの天使は、喜びの涙であなたを祝福するでしょう>

 

 

人類はますます横暴になってきています。

世界で起こっているあらゆることに対して、すべての人類に責任があります。

人類の想念があらゆることに影響を及ぼします。

天候しかり、災害しかり、争いしかり・・・。

今、世界で起こっていることは人類すべての想念の反映です。

すべてのトラブルは”恐怖”が根源です。

恐怖心が略奪や征服欲、権力欲、所有欲などのあらゆる負の欲望を呼び起こします。

 

今こそ謙虚さと誠意を持って、真のコミュニケーションである”隣人愛”を実践していくときです。

毎朝毎夕、いえ四六時中エルムの天使を心に置いて、”隣人愛”を実践なさって下さい。

昨日は”札幌タロット教室”の日でした。

東京でも教室は開いていましたが、10年前に札幌に移ってからはずっとリモートでやってます。今やコロナ渦でリモートワークが当たり前になってますが、東京の4名の生徒さんと「私達はリモートワークの先駆けだよね」とちょっとエラそうな気分で楽しくリモートレッスンに勤しんでおります。

 

こうして書いていて、そうかあ~、東京の生徒さんとはすでに10年以上のお付き合いになるのか~・・・」としばし感慨に耽ってしまいました。

10年もやってるのにも関わらず、それにしてはいっこも上達せえへんやん・・・、な~んてことは、ちょっと思ってしまいましたかねぇ~。

まあ、なにをして”上達”と言うのかは解りませんが、少なくともみなさん”占い師”になるためにカードと親しんでいる訳ではないので、それで金銭を得るための”上達”などする必要はありません。

では、何のために毎月貴重な時間とエネルギーとお金を使って、ワークをしているのかと言えば、1にも2にも”自分をよく理解するため”なのです。

 

以前に書いていた別ブログでの前世占い

今の自分の問題点の解決になったようで好評でした。

 

 

人はちょっとしたことで簡単に混乱状態になります。

で、混乱状態になったときに”自分で考える力”がないと、さらなる混乱に陥ってしまい、それが酷くなると心身が壊れてしまうという結果になる訳です。

そうならないためには、自分自身をよく理解して、受け入れた上で、自分にとって最良最適の状態に持っていくという方法を取ることが、簡単に壊れない自分をキープするためのヒジョーに大切なメソッドなのです。

要は自分の”取り扱い説明書”をしっかり作っておくことなのです。

ニンゲンはこの上なく精巧なマシンです。

しかし無機的マシンとの大きな違いは”考える力”を供えた、素晴らしいマシンなのです。が、”考える”ことと”悩み憂うる”こととは根本的に異なりますので、そこんとこよろしくです。

 

自分というマシンをとことん知り尽くすことは、なかなかに至難の技です。

デルフォイのアポロン神殿の入り口にも記されてる古代ギリシャの格言、”汝、自らを知れ”です。

かのソクラテスの標語でもありますよね~。

殆どの人が人のことは解るのに、肝心要の自分のことが解ってないというのが実情です。故にだれかに引っ張っていって貰いたい、だれか信頼できる人が現れてくれることをついつい願ってしまい、たまさかそういう風に思える人に出会うとあっという間に影響されて、言いなりになってしまう。

あげくに自分を簡単に明け渡してしまうという恐ろしいことにあいなるのです。

 

その最たるものはメディアの影響ですが、心を鎮めて周りを見渡せば、メディアのみならずありとあらゆる情報が飛び交っています。

我々ニンゲンは四六時中情報の海にドップリ浸って、いや今や溺れていると言えましょう。

これはとても危険なことです。

どんどんと自分で考える力が奪われていってます。

できれば、テレビは捨てましょう!

SNSは必要最小限度に致しましょう!

積極的に読書をしましょう!

できるだけ日記を付けましょう!

5分でも良いのでひとりの時間を作って、自分と会話致しましょう!

まだまだ自分を理解する方法は多々ありますが、まずはできることから始めましょう。これからは人類は奴隷タイプとリーダータイプの二極化が激しくなっていきます。簡単にバグが起きない自分を保って行くことが大切です。

 

3/21~27のお告げ

HOLLY

セイヨウヒイラギ

 

思いを明らかにし

恐れをさらけ出しなさい

内なる声を信頼し、勇気を手にしなさい

その剣は、真実を覆うヴェールを貫き通す

真実は、両刃の刃

情け容赦がなく、かつ、愛に満ちています

(TREE ANGEL ORACLEより)

 

ホリーにはいやな刺があります。ただし、これはただの刺ではありません。わたしたちを目覚めるようにと駆り立てる刺なのです(TREE ANGEL ORACLEより)。

我々ニンゲンは言葉が使えるという大きな恩恵を受けています。

が、それゆえに簡単に言葉による情報に惑わされてしまいます。

耳障りの良い言葉、反対に心を乱される心ない言葉、信頼に値するかのような実は虚偽に満ちた言葉、あらゆる言葉が叛乱している現代にあって、真実を聞き分けることは実に困難きわまりない状況です。

 

一瞬一瞬を敏感に生きること。

そのためには、常に自分の気持ちを明確にしておかねばなりません。

自分はどうしたいのか?

自分はどう思うのか?

自分にとって最良の方法は?

今週は自分に起こりうるずべての物事に於いて、本音で対処していって下さい。

本音で対応すると場合によっては義理を欠いたり、顰蹙を買ったりすることも起こってくるかも知れません。

さらには中傷されたり、非難されたり、仲間はずれになったりと痛みを伴うことも

多々あるかも知れませんが、勇気を持って本音優先です。

 

センサーを敏感にし、裡なる声に耳を澄まし、決してラッピングに惑わされない週になさって下さい。

今月のお食事会は”真心庵・天真”さん。

 

 

目の前で揚げられた熱々の天婦羅を味わえるということは最高の贅沢です。

今更ながら日本の食文化に最敬礼です。

今回はニューメンバーがひとり増え、4名の貸し切り状態で大満足の食事会を堪能。

 

雪見を楽しみながらの天婦羅

ラグジュアリー!

 

貸し切り状態だったので横並びのカウンターにも関わらず、黙食などどこ吹く風で板さんを交えての”方言話題”で盛り上がりました。

私は大阪から東京に移り住んで四半世紀、そして東京から札幌に移って11年目。

東京在住の折りや札幌では極力”標準語”で話すようにはしていましたし、今もそうしていますが、大阪のイントネーションだけは未だに健在でおます。

大阪言葉はそうそう簡単には抜けまへん。

 

適度な間隔で次々と揚げたてが!

春を感じさせてくれる楤の芽

 

大阪、東京、札幌しか住んだことがないので、他の地域の方言は殆ど知りませんが、かつて沖縄に遊びに行ったときに、地場のおばあちゃん達が話しているのを耳にし、まったく意味が解らず、外国語のような印象を受けたことがあります。

観光であちこちに出かけて、その土地の方言を耳にするととてもホンワカとした気分になって、毎回もっと聞きたいと思っていました。

方言は面白いです。

ゆめぴりかのご飯に感動の〆の天丼

日本人に生まれて良かった!

 

しかし、札幌に移っていろんな人に方言を教えて貰おうとしたのですが、札幌は基本的に殆ど方言らしい方言はなく、標準語が基本です。

”なまら”(スゴイ)とか”あずましい”(くつろぐ)なんて殆ど使わないそうです。

ただ、面白かったのは”ジョッピンカル”という言い方。

初めて耳にしたときは”これ何語?”。

意味は”鍵をかける”ということだそうです。

面白い!と思って覚えようとしたにも関わらず記憶力の低下なのか、なかなか覚えられず、なにをトチ狂ったのか”ガチャピンポン”と自分勝手な造語で覚えてしまい、しばらくはそれが正しいと思い込み、わざと使っていたことが今更ながら恥ずかしい・・。

他にもビミョーな言い回しや、札幌を離れるとそれなりの方言はあるようですが、今のところ印象的なのはこれくらい。

 

美しい器は料理をさらに引き立てます。

 

それから思うと大阪弁ほど喧しい方言や言い回しは他にはないのではあるまいか、と思ってしまいます。

 

今、高田郁さんの”あきない世傳 金と銀”を読んでいるのですが、今や死語になってしまったり、「おばあちゃんがよう言うてたな~」と懐かしく思える大阪弁がいっぱい出てきて、実に楽しい!

さらには”畑の羅漢さん”(働かん)とか、”竹屋の火事”(ポンポン言う)とか”植木屋の大風”(木=”気”がもめる)とか”土瓶の口”(横から口出し)とか、大阪人のしゃべくりの極みのような例え方が出てきて、そういやぁ・・うちのオカンも「あんたはホンマに乞食のお粥や!」とか「豈図らんや(あにはからんや)弟ギッチョンチョンやで!」などと意味不明の言い方してたことを懐かしく思い出しました。

 

 

因に”乞食のお粥”とは、中身がなくて湯ばかり、即ち”中身がなくて言うばっかり”。

”豈図らんや”とは、全く思いがけないことが起こったという気持ちを現す言葉なのですが、驚いたりしたときに”豈”を”兄”と置き換えて弟ギッチョンチョンというリズムの面白さでビックリした気分を言い表わしてました。

「ビックリした~!」で済むことを、わざわざ「いやいや、ホンマに豈図らんや、弟ギッチョンチョンやで~!」と言うと、大したことでなくても、なんとなく大したことなのかしらという気分がして、興味をそそられます。

 

 

大阪人てよっぽど暇人なのか、余裕のよっちゃんなのか・・・。

とにもかくにも常に”受ける”言い回しを好む人種が多いのが、お笑いのメッカとしての真骨頂なのでしょう。

 

ブルーな気分もこれにて一掃!

 

言葉って、本当に面白いものです。

”丸い卵も切りようで四角、物も言いようで角が立つ~♪”という歌詞の都々逸がありますが、いやいや、ホンマにその通りだすな~~。

みなさん、これからも言葉は大事に使いましょう!

 

3/14~20のお告げ

PIPAL

インドボダイジュ

 

内なる世界に分け入って、自分を明け渡しなさい

何事も願わず、何の計画も持たず

何ものも恐れず、怒りもなく

未来を思わず、過去も振り返らない

ためらうことなく、すがりもしない

万物が呼吸するごとく、呼吸しなさい

宇宙の振動にあわせて、震えなさい

(TREE ANGEL ORACLE)

 

自我を滅却して”今”を生きる週にして下さい。

自我を滅却することほど困難なことはありません。

眠っているとき以外に自分という意識から逃れる事は非常に難しいことです。

しかし上述のメッセージを何度でも読み返し、敢えて今週はそれにチャレンジしてみて下さい。

 

いきなりすべてを手放しなさいと言われても、そうそう簡単にできることではありません。では、どうするか?

まずは、今していることに全神経を集中することから始めてみて下さい。

例えば、食事をしているのであれば食事に、歩いているのであれば歩いていることに、誰かと話しているのであればその相手に、風呂に入っているのであればそのことにという風に、どのような些細な行為に対しても常にそのことのみに集中するのです。

そうすることによって自ずと自分がなくなり、”今”を生きるということを実感できるのです。

 

一見、大したことがないと思っている行為をしているときに、人はあれこれと思いを散漫にしていきます。

歯を磨きながら、「そうだ、明日はこうしてああして・・」。

掃除をしながら「あれはどうなったのかしら・・」。

ご飯を食べながら「あそことあそこに連絡して・・・」などなど。

 

”〇〇しながら”を決してしてはいけません。

”今”していることだけに意識を集め、観る、聴く、嗅ぐ、味わう、感じるのです。

実に簡単なことなのです。

 

いきなりの”自我の滅却”は厳しくてもそれに近づくための第一段階として、日常の些細な行為をおろそかにすることなく、ひとつひとつ大切に対応することが”自我の滅却”を促していく最良のメソッドなのです。