関西神社巡りの旅、第二弾です。
初日は大阪の坐摩神社(いかすりじんじゃ)、住吉大社、御霊神社にお詣りでしたが、2日目は奈良の春日大社と天理の石上神宮(いそのかみじんぐう)にお詣り。
春日大社を訪れるのは、母が健在の折りに訪れたのが最後で30年以上振り。
懐かしく、当時を偲びつつお詣りさせて頂きました。
春日大社と言えば、奈良公園。奈良公園と言えば神様のお使いとされる鹿さんがいっぱい。子鹿もたくさんいて、ホント可愛い。
でも、かつて母と参拝の折りに”鹿煎餅”を彼らにお振る舞いさせて頂いたことがあるのですが、そのときにエライ目にあったことがあります。
鹿煎餅を狙う鹿の大群に囲まれ、黒山の鹿だかりに母は悲鳴をあげ、それを救助するべく、私の方に注意を向けさせ、母とふたりで命からがら逃げたことがありました。
今回はそのようなアクシデントは避けるべく、できるだけ鹿と目を合わさないようにして、無事本殿に到着。
つつがなく参拝を終え、気持ちも軽く帰途についたのですが、帰り道でふと鹿煎餅屋さんの前で、数頭の鹿がいるのを見て、よせば良いのに「しばらくは来られへんからな~・・・」とつい鹿煎餅をあげたくなってしまったのです。
↑
神様のお使いの鹿さんたち
財布を出す時点ですでに目をつけられていたようなのですが、鹿煎餅を受け取るや否や、大きな牡鹿に襲われてしまいました~~~~!
「あんた、どこから現れたん!こっちの可愛い子にあげたいねんけど~~!」。
チンピラみたいな牡鹿は、私の言う事など聞いちゃあいない!
グイグイ、ズンズンと凄まじい力の頭突き攻撃!
優雅に鹿に煎餅をあげてるところを写真に撮ってもらうつもりが、嫁さんは「おもしろ~~いっ!」とか言いながら、笑って動画を摂るばかりで助けてもくれません。
30年前の悪夢の再来。
大急ぎで鹿煎餅をばらまき、必死で退散でした。
最近は外国からの観光客が激減で、鹿さんたちもお腹を空かせて可哀想です。
なんとかお腹いっぱい食べさせてあげられないものでしょうか。。
春日大社の次は奈良駅から電車で天理市に行き、石上神宮さんへ参拝。
駅から遠いのでタクシーで行きましたが、不便なところにあるにも関わらず、そこそこの参拝客が訪れていました。
こちらの神社はそれほど広くはないですが、さすが日本最古の神社のひとつであるだけあって、その気配感は素晴らしいです。
しかし、春のせいなのかニワトリサン達(こちらの神社は鶏が神さんのお使い)の興奮状態がとんでもなく、その鳴き声のあまりの喧しさには閉口でした。
でも、鳴き声にご利益ありとかなので、大歓迎で相当なご利益を頂けたのかもしれません。
↑
鳴き声がご利益だとか
かなり疲れてしまったので帰りも同じタクシーに来てもらい、今夜の宿泊先である奈良ホテルまで。
大阪にいるときから一度は泊まってみたいと思っていた奈良ホテル!
創業がなんと1909年。100年以上も前なのです!
乃木大将や高浜虚子、エドワード八世やアインシュタイン、チャップリンにヘレン・ケラー、ニクソンにディマジオ(モンローはいなかったそうですが)、マーロン・ブランド、グレン・フォード.オードリー・ヘップバーン、ネール首相、マーガレット王女にベアトリクス王女、ダライ・ラマさんなどはリピートです。
他にも著名なお歴々がお泊まりになられていますが、ホテルそのものがビューです。
↑
奈良ホテルの玄関
↑
ロビー
↑
ラウンジ
アンンティーーック!
↑
奈良ホテル敷地内にある
結婚式場でもある
聖ラファエル教会
外国みたいです。
↑
興福寺もすぐ側です
先の短いオカンと愛妻のために、うちの孝行息子が一番良い部屋をとってくれたので、景観も素晴らしく、居心地、寝心地、風呂心地は最高でした。
↑
最高のお部屋は
やっぱり最高!
↑
お風呂もゴージャス
夕食は素晴らしく美しくて美味しいフレンチ。
朝は、やっぱり奈良と言えば茶粥でしょうと、朝っぱらから超豪華な茶粥セット。
↑
美味しっ!
まさしく”命の洗濯”とはこういうことを言うのでしょう。
名残尽きない”奈良ホテル”をあとにして、次は大神神社に参ります。
その様子は次回ということで、では、また、来週!
5/2~5/8のお告げ
ALDER
ハンノキ
古い傷口がうずき、新しい涙が流れます
暖かい愛に溢れた手が、あなたの瞳と傷口にふれます
あなたの心は天に輝く星となり
涙の川が、あなたの重荷を取り去ります
残るものは安らぎだけ
(TREE ANGEL ORACLEより)
執着を捨てて、身軽になって下さい。
自分のあるがままを、批判や抵抗なしにすべて受け入れましょう。
あるがままを受け入れない限り、執着を捨てることはできません。
人生は押し並べて執着の連鎖です。
物心のついたときから、「これは私のもの」。「これはボクの大切なもの」、「これがなければ話にならない」、「これをマスターしないと先に進めない」、「あのときの侮辱が許せない」、「あのときに、ああするべきだったのに・・」などなど、あらゆる面、あらゆることに対して”執着”は当たり前のように幅を利かせます。
欲望を持つ事は肉体を維持していくためには必須です。
が、それが物であれ人であれ感情であれ、必要以上の要求をしたり、無くしてしまうことを恐れたり、手放さないために頭を悩ましたりなどということに執着してはいけないのです。
必要なときに必要な物事や人は訪れる。
そのためには常に心身を身軽にしておくことです。
物のみならず大切にしていた想いや人との別れは、ときに大きな痛みを伴います。
が、それもまた自分にとっての必然だと潔く受け入れることはとても大事なことです。そのための涙は大いに流して良いのです。
インド哲学ではこの世はマーヤ(幻影)です。
幻影に実体はありません。
実体のないものに執着することは無意味なことです。
執着を手放せば手放すほど、自分にとって真に必要な物事が自然に起こってきます。
古くなり、不必要になった物事や思い、人間関係を手放して下さい。
アルダーの精は川が干上がらないように優しい木陰を与えてくれます。
執着を手放し、もし痛みが伴うのであれば素直にその痛みに涙を流し、あるがままを受け入れましょう。
アルダーの天使を信頼して全託し、安心してあるがまま、流れのままに過ごす週にして下さい。











































