関西でログハウスを建てる社長のブログ -2ページ目

松下村塾

NHKドラマの、『花燃』で有名になった萩に行き、吉田松陰の叔父が建てた松下村塾を見てきました。


1857年に吉田松陰が後を継ぎ、明治新政府で活躍した伊藤博文や山県有朋、高杉晋作など多くの人を輩出しました。


この塾は平屋で延床面積約50㎡ぐらい。 4畳半と3畳 が2間、講義室(8畳)と土間が有り、4畳半の天井裏には高さ1mぐらいの天井裏倉庫が有ります。

で、下の部屋には生徒が寝て、先生は天井裏で寝たそうです。えっ


築150年以上経っていますが、まだ使えますビックリマーク

柱が腐っていないのは雨水から守るため、地面から30cmぐらい上げて束石の上に建ててあるからでしょう。

それと床下換気が充分取れているからシロアリの被害も無かったのでしょう。グッド!


文さん兄弟や両親が住んでいた住宅も近くに健在でした。

その建物は築200年以上も経っていますが、今でも住めそうです。目

基礎は柱の下に径30~40cm位の礎石があるのみ。

決して 今風でいう“ベタ基礎”で200年もたしたワケではありません。ひらめき電球アップ



出雲大社を見てきました。

新婚旅行でお参りした出雲大社へ50年振りに女房と一緒に行きました。


この神社は大国主の神をお祀りしてあります。 


神代の昔、その大国主神が国譲りの条件として千木ちぎ(屋根棟の両端にX印のように付いている木)が空高く届く立派な宮を作ってほしいと言われたそうです


それを証明するように、神域を発掘工事中に直径1mぐらいの柱3本が1つの柱を形成する形で見つかりました。


この3本の柱を鉄輪で締め付け1本の柱とし、それを10セットぐらい使って高さ36mぐらいの上空に神の御宮を建てたようです。(これも今で言う集成材でしょうか)


その事は以前に新聞で読んで知っていましたが、実際に見ると大変大きな柱で、どのようにしてクレーンも無い時代に建てたのでしょうか!? 

やはり神の力は侮れないビックリマーク目





次回は萩の松下村塾の建物について少しお話します。

松江城の色々

先日、山陰道をあちこち寄り道しながら周ってって来ました。 松江城について少しお話をします。


3年前に新たに発見された“祈祷札”により、この城は1611年築城ということが証明され、今年7月に正しく国宝であると再確認された。  


城の誕生日が確認できる数少ない現存天守の1つであるそうな。


この天守で特に私の目を引いたのは、天守を支える308本の柱のうち130本の柱が今でいう集成材で出来ていた。


ただ、今と違うのは接着剤でこしらえたのではなく、約50cm角ぐらいの柱を鎹(かすがい)や鉄輪(かなわ)で固めた点である。  説明では柱の割れなどの不良材を隠すために板や細い角材を貼り付けたようだ。にひひ


もう一つ、この天守が現在にまで残ったワケが良い。


明治の初め、廃藩のため全国の城はほとんど取り壊されたが、この城は地元の豪農 勝部本右衛門さんや旧松江藩士の高城権八さんらの奔走で、当時の金で180円を集め、釘や金物を取るために落札した解体業者から買い取ったらしい。 山陰で唯一保存された城である。


この城を建てたのは堀尾吉春氏で、最後の城主は徳川の子孫 松平晴郷(不昧(ふまい)流茶道の始祖)でした。



  


日本の遺産認定1号


だいぶ長い間、ブログをサボッテしまいました。

ごめんなさい。

先日、鳥取県の三朝温泉近くの「三徳山(みとくざん)三仏寺投入堂」(国宝)を見学に行った。 が、登山装備でなかったので途中までしか行かせてもらえなかった。しょぼん


しかしお坊さんに色々と話を聞く事が出来た。ニコニコ


建ったのは平安後期で、現存する神社建築では最古といわれる。 言い伝えでは706年、役行者えんのぎょうじゃが法力をもって岩窟に投げ入れたと言われ、『投入堂』(なげいれどう)と人々は呼ぶようになったそうだ。


柱は檜の18cm角ぐらいで、接地面の岩は柱が乗る部分のみ平らにしてあるだけで、アンカーで留めてあるわけではない。 また建物全体も岩とは繋いでありません。


1300年間、雨にも虫にも地震にも負けずに岩場に建っている!!目


100年前、全面足場を掛けて大工事を行い、柱を数本取り換えている。取り換えた柱を見たが、少し朽ちていた。


登山装備でないと入れない場所に あれだけの建築を完成した時は 材料を上げるアップだけでも大変だった筈。叫び目





次回は松江城です。


今年の彼岸花は少し遅い

一昨日、久しぶりに山陰線電車に乗って高校の同窓会に行ってきたお酒ビール

車窓から見える景色は稲を刈り取られた黄色の田圃に赤い額縁を付けたように彼岸花ブーケ1がいっぱい咲いていた。


ところが私がいつも散歩しているあぜ道の彼岸花ブーケ1は今日やっと咲き出した。

律儀に彼岸の入りに間に合わせたようだ。合格


以前は田圃であったが今は埋め立てをして雑草だらけ。

可哀そうに田圃がなくなり雑草が伸びすぎて日当たりが悪いので咲くのが遅れたのかな。

昨年は13日には咲いていた。目