白人が美しいと思ってしまう文化 | 猫さんダイアリー♪(=^・^=)

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老人よ、大志を抱け!

白人が美しいと思ってしまう文化

 

 

今年のアカデミー賞授賞式で、アジア人に対する人種差別があったとかなかったとか、議論になっておりますが、正直のところ、私が白人(ないしはユダヤ人?)なら、東洋人の容貌に対する差別意識を持つだろうと思います。

だって、今の世界文化は、無意識的に白人が美しいという価値観を植え付けるようにできているから。白人が、もともと他の人種より美しいのではなくて、そういう風に見える文化に皆が染まっている。 (もちろん例外もありますが。)

 

 

浜松で二人とも申し合わせたように弁当を食った。食ってしまっても汽車は容易に出ない。窓から見ると、西洋人が四、五人列車の前を行ったり来たりしている。そのうちの一組は夫婦とみえて、暑いのに手を組み合わせている。女は上下(うえした)ともまっ白な着物で、たいへん美しい。三四郎は生まれてから今日に至るまで西洋人というものを五、六人しか見たことがない。そのうちの二人は熊本の高等学校の教師で、その二人のうちの一人は運悪くせむしであった。女では宣教師を一人知っている。ずいぶんとんがった顔で、(きす)またはに類していた。だから、こういう派手(はで)なきれいな西洋人は珍しいばかりではない。すこぶる上等に見える。三四郎は一生懸命にみとれていた。これではいばるのももっともだと思った。自分が西洋へ行って、こんな人のなかにはいったらさだめし肩身の狭いことだろうとまで考えた。窓の前を通る時二人の話を熱心に聞いてみたがちっともわからない。熊本の教師とはまるで発音が違うようだった。
 ところへ例の男が首を後から出して、
「まだ出そうもないのですかね」と言いながら、今行き過ぎた西洋の夫婦をちょいと見て、
「ああ美しい」と小声に言って、すぐに生欠伸(なまあくび)をした。三四郎は自分がいかにもいなか者らしいのに気がついて、さっそく首を引き込めて、着座した。男もつづいて席に返った。そうして、
「どうも西洋人は美しいですね」と言った。
 三四郎はべつだんの答も出ないのでただはあと受けて笑っていた。すると髭の男は、
「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一(にほんいち)の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。

 

白人コンプレックスを、一番無邪気に表に出しているのは、現代日本文化日本でしょう。これは、私たちが、植民地支配を受けなかった幸運にも起因すると思う。

芸能界では、ハーフやクォーターが幅を利かせているし、下矢印

 

 

化粧品や洋服のモデルは大抵白人。下矢印

 

 

少女漫画に至っては、「こんな日本人いないよな~」という容姿の女性が出てくる。下矢印

 

 

 

 

江戸時代の美人画を見れば、この当時の日本人の美意識が、如何に現代とかけ離れれていたのかが如実にわかります。(勿論、この時代には白人コンプレックスなんてなかった。)

 

 

少なくとも、私たち日本人は、白人に馬鹿にされるようなこと、自分でしてるわけですね(笑)