アレクサンドル・ソルジェニーツィン | 猫さんダイアリー♪(=^・^=)

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老人よ、大志を抱け!

アレクサンドル・ソルジェニーツィン

 

 

アレクサンドル・ソルジェニーツィン(1918~2008)とは全然関係ありませんが、私の青春時代の名作に「マイライフ・アズ・ア・ドック」というスウェーデン映画がありました。(1984年)

 

 

主人公のイングマル少年は、兄と病気の母親、愛犬シッカンと暮らしている。父親は、仕事で南洋の海に出かけたままずっと帰ってこない。人工衛星に乗せられて地球最初の宇宙旅行者になったあのライカ犬の運命を思えば、どんな事だってたいしたことはないと考えるのが彼の人生哲学だ。やがて夏になり、母親の病状が悪化。イングマルは一人、田舎に住む叔父の元に預けられることになる。その村の住人は、一風変わった人ばかり。街に置いてきたシッカンのことが気になるものの、男の子のふりをしている女の子・サガとも仲良くなり、毎日を楽しく過ごすイングマルだったが…。
 50年代末のスウェーデンの海辺の小さな町と山間のガラス工場の村を舞台にしたこの映画は、母親の死、愛犬との別れ、また家族はバラバラになってしまうという展開で進みながらも、実にあたたかい視線で描かれている。それはこのハルストレム監督の人間に対する眼差しによるものだろう。悲劇的な要素を交えながらも、主人公の友人や村の人々との出会いを通して、人生そのものをユーモア豊かに、みずみずしい美しさを全編に漲らせて、実に心温まる作品に仕上げている。主人公を演じるA・グランセリウス少年の、何とも言えない不思議な魅力溢れる笑顔が、この作品の持つ“人生”の楽しさ、悲しさをまとめて語っているのも、“温かさ”の大きな要因のひとつだろう。傑作である。

<allcinema>
 
私は、人生で辛かったとき、(特に20代30代は辛かったと自分で思う。) あのソルジェニーツィンの運命を思えば、どんな事だってたいしたことはないと自分に言い聞かせました。 もちろん、ノーベル文学賞受賞の小説家と自分を比べるのはおこがましいんですが、それほど彼の人生は凄まじい。私の人生の最大の心の支えになったのは、彼の著作。また、辛いことがあったら、読もう~(笑)
 
ロシアの小説家,歴史家。コサックのインテリ一家に生まれた。ロストフ大学で数学の学士号を取得,モスクワ大学の通信教育で文学を学んだ。ソビエト連邦が第2次世界大戦に参戦すると召集され,戦功により勲章を授けられたが,終戦の直前にヨシフ・スターリンを批判した疑いで告発され,収容所(ラーゲリ)に送られた。1956年のスターリン批判のあと釈放され,翌 1957年正式に名誉を回復,本格的な創作活動を始めた。第一作『イワン・デニーソヴィチの一日』Odin den iz zhizni lvana Denisovicha(1962)で一躍文名を高め,『クレチェトフカ駅の出来事』Sluchai na stantsii Krechetovka(1963),『マトリョーナの家』Matrënin dvor(1963)など,ソ連社会の矛盾をついた先鋭な主題をもった作品で世界的な注目を浴びた。ところが反体制的な言動のため,1966年以後国内で作品発表ができなくなり,長編小説『ガン病棟』Rakovy korpus(1968),『煉獄のなかで』V kruge pervom (1968)などの作品が次々に国外で出版された。そのため作家同盟を除名されたが,1970年にはノーベル文学賞を受賞した。長編『1914年8月』Avgust 1914(1971)も国外で出版,1973年にはパリで『収容所群島』Arkhipelag Gulag 1巻を発表,ソ連 50年の陰の歴史,ラーゲリに照明をあて,ソ連当局を徹底的に批判した。そのため 1974年国外追放となり,一時スイスに滞在したが,その後アメリカ合衆国に移った。この間『収容所群島』の 2巻と 3巻,自伝的作品『仔牛が樫の木に角突いた』Bodalsya telyonok s dubom(1975),『チューリヒのレーニン』Lenin v Tsyurikhe: glavy(1975)を発表した。ソ連がグラスノスチを導入後,国内でも作品が解禁され,1990年正式に市民権を回復した。1994年5月,20年ぶりにロシアへの帰国を果たした。
 
 
出世作「イワン・デニーソヴィチの一日」を読むと、壮絶な収容所生活の中にも、希望を見出して生きる人たちの姿に励まされる。ある意味「強制収容所のロビンソン・クルーソー」のような明るさがありました。それとともに、共産主義革命の恐ろしさが、読む者を圧倒する。ガーン
「中国には蠅一匹いない。売春婦もいない。」「北朝鮮は労働者の天国だ。」とか宣伝して回っていた日本のノー天気なマルクス主義者は、彼の著作をどう読んだんだろう?どう責任を取ったのだろう???ショボーン
 
映画「男はつらいよ」の主題歌の一節に
 
どぶに落ちても 根のある奴は
いつかは蓮(はちす)の花と咲く~♪
 
とありますが、まさにそんな感じの生きざまですね(笑)
彼の著作を守るために、命を落とした関係者もおりました。西側のジャーナリストとの記者会見の途中に、突然鉄のシャッターが落ちてきたこともあった。
こんな事書いたら、また嫌われるんだけど、せせこましい文壇で、「先輩がどう言った。」とか「この後輩は生意気だ。」だとか言い合いしている小説家とはスケールが全然違います。
 
今なお、中国やら北朝鮮では、非人道的な強制収容所があると聞きます。収容所に入れられた人たちの中から、アジアのソルジェニーツィンは生まれないのでしょうか? すべてを運命として受け入れてしまうアジア的諦観か。。。。 キリスト教徒はこういうときに強いと、私は実感致しますね。