「サマーヒルの“Equal status”と愛育心理研究会」
“Equal status”の意味は「平等な地位」。
ここでは「上下意識のない関係>フラットスピリット」と意訳。
その“Equal status”は、サマーヒルを運営するゾーイ氏の文にある。
Summerhill is a democratic, self-governing school in which the adults and children have equal status.
わたし訳>
サマーヒルは、教師と生徒のあいだ、また生徒同士のあいだのフラットスピリットによって自治的に運営される学校である。
その“Equal status”「上下意識のない関係>フラットスピリット」で、だれもが参加し、意見交換し、会の活発化をはかろうとしたのが愛育心理研究会。
その研究会リーダーK氏は“Equal status>フラットスピリット”を意識していたよう。
会員どうしを「先生」でなく「さん」で呼ぶのを提案したのだから。
また、サマーヒルの「the school Meetings:スクールミーティング」とおなじく、参加者なるべく全員でディスカッションする、人の話を聞く、グループ討論では司会役をつけるなどと、まことにすばらしい組織マネージメントをみた。
話し横道だがアメリカの大学授業でも「フラットスピリット」を経験した。
8名ほどのグループ学習があり、年令さまざまの構成だが、皆の意見をつきあわせて課題をこなしてゆく。
そのあとで以外に思ったのは、次回ミーティングの調整日に「パーティがあるので都合わるし」という女子学生の声をきいたとき。
パーティといっても、友だち集まり、テレビの前でスナックかじりながらのおしゃべり集会で、そして以外にもグループメンバーはその女子学生の希望を受け入れた。
グループ学習より、個人の“おあそび”に都合あわせたアメリカ人の考えにわたしは目をむく思い-個人嗜好をここまで大事にするアメリカ人の考え方に。
日本人では、あらゆる「異見」は排除する集団の姿が目にうかぶ。
その“排除”に出くわしたのが、次の愛育心理研究会に参加していきなりのOからのタワゴト-「やめたら、やめることね」と「出ていけ」暗示する言い草。
リーダーが代わったこの愛育心理研究会もサマーヒルだ、ニールだとカンバンかかげるも、“Equal status”「フラットスピリット」は消えていた。
それどころか、「上下意識」まる出しで、「タテ社会の人間関係」の短所だらけ。
その構図は、時代劇にある「殿、家老2人、家来ら」を思えば分かりいい。
政(まつりごと)は「家老2人(O、M)」がとりしきり、「殿(F)」はたんなる“お飾り”で、「家来ら」はもの言えぬ。
「政」すなわち、運営マネージメントは「家老2人」の独壇場。
その異論は許さぬ「タテ社会」に異臭はなつのは、ウソ、ごますり、論理なき決めつけ、声あらげての「人」攻撃-ひとの腕つっつく“暴力”まで-などなど。
当然その組織運営には建設的な意見なく、「ムリ、ムラ、ムダ」だらけ。
このように、“Equal status”「フラットスピリット」知らぬ「殿、家老2人」は、ゾーイ説明にある「democratic:民主的」に真逆のヒトラーヒゲ生えた三人組。
さて、愛育心理研究会とやら、「殿、家老」も代わってまだ続いているような。
その組織マネージメントはどう変わったか。
サマーヒルのゾーイに学んで「フラットスピリット」をとりもどしたか。
それともヒトラーヒゲはまだ消えないか。