Nikkor105mmF2.5で街のスナップを撮っていて,ちょっと考えたことがあったので書いてみます

著作物の定義・要件は,,,

1)思想または感情を含むもの

2)創作したもの

3)表現したもの

4)文芸・学術・美術・音楽などに属する文化的所産であるもの

のように言われています

例えば,一般的な商品カタログは(まえにトランスのカタログについて書いたように)単なる「物」の説明であると考えられ著作物に当たらないと思われるのです.何故なら,ファッションアイテムのカタログのように「美しく表現する」ことを殊更重要視した写真やイラスト,文章,またそれらのレイアウトや装丁に工夫があるものを除き,上記の1)や4)にあてはまらないと思われるからです

写真の場合はどうでしょうか??

1)に関しては,「自分の感動した何か」を伝えたくて写真を撮り発表するのですから当てはまると思われます.ここのところ私が公開しているレンズの試写にしても,私なりの感情の動きを表すためにシャッターを押しているのですから,これに当たると考えています

3)については,デジタル媒体,紙媒体,スライドプロジェクションなどで見える形にするのが普通でありますし,そうしたものが著作権の保護を受けるかどうかが問題になっているので,これも該当すると思われます

4)これはちょっと微妙な問題ですが,わりと広く解釈されているようで本人がそう思っていればよいような解釈もあるようです.少なくとも人に感動を与えたいと思って表現されたものであれば該当するのではと私は思っています

問題は2)ですね,特に写真の場合は,,,

さて,「創造性」ですが,,,

写真ってそもそも「創造」的なものでしょうか?ただ単に外界の光を物理的に記録したものでしかないのではないでしょうか??その記録方法も,絵画のように『人間の感覚が感知したものを意識と経験のフィルターを通して再構成し人間の身体の動き(これも意識や感覚のフィードバックというきわめて生物的で非機械的な作用です)で形にする』といったものではなく,単に機械任せの「ポチッとな」であって「創造的」とは呼べないものではないか?

そのきっかけとしては「私はこの光景に感動したので,この感動を他の者にも味わせたい」と思ったとしても『私』は『この光景』を『記録』し公開したのであって『創造』したのではないのではないか?こういう考えに反論できるのでしょうか?

『記録』自体は機械的な『ポチッとな』であるので,私と全く同じに『ポチッとな』すれば誰でも全く同じなものを『作り出す』ことが出来るわけです:「同じ時刻に」「同じ場所で」「同じものを」「同じ装置で」「同じように」,,,といったわけです

そこに『創造性』が入り込む隙間があるのでしょうか??

あるとすれば,,,「いつ」「どこで」「なにを」「なにをつかって」「どのように」記録するか,,つまり『どう記録するか』に関する『選択』にしかないように思えます

そうして,その『選択』が『創造的』であるためには自分自身の意識や経験,感覚のフィードバックの独自性が問われることになるのでは?と思います

記録手段はほとんどの場合大量生産の工業製品を使って行われるため,往々にしてみんな同じ方法を採用してしまう虞があります

となると残るは,タイミングと対象,それに対するアプローチの仕方になるでしょう

アプローチの仕方の中には『どの機材をどう使うか』も含まれるとすれば,汎用品をつかってもその選択のなかに『創造性』をみることができるわけです

ただ単にみんなが使っているものを漫然と使い,なんとなくシャッターを切っているのなら「な〜んも創造的ではない」のです

『創造的』であるためには,機材・対象・手段・タイミング全てにおいて『私』自身が表出されているように見える必要があるってことです.『私』を突き詰めていった結果みんなと同じになってしまった場合には,「私的には満足」であったとしても「著作権的には保護の対象とはならない」ことになってしまう!!これは他の『芸術手段』もおんなじでしょうが,写真の場合とくに簡単に「同じ」になってしまいがちです

考えなしにポチッとしてしまうと「同じ時刻に」「同じ場所で」「同じものを」「同じ装置で」「同じように」撮れてしまうのです,,,夜明けに海岸で朝日をスマホのカメラをお任せ設定にして撮ったりするわけです

絵画であれば,筆遣いにその画家の個性<上手い下手も含めて>がどうしても出てしまうでしょうが,写真では同じようにシャッターを押せば同じに撮れてしまいます<オートの設定では変えようがありません>

というわけで,写真において『創造的』な写真を撮るためには他の芸術手段に比べて格段に「自分」との対決が求められることになります.プロの写真家の方は大変ですね.アマチュアの場合は自分の作品の経済的価値が無価値であってもほぼ問題ないと思われますので,自分の『創造性』に関して悩むことは少ないと思います.それより問題は他人の創作物を撮影した場合の著作権の侵害にあるのです.どういう場合かと言うと,,,

お店のディスプレイや看板などを撮影したものをSNSなどで公開した場合などです

著作権法では関連する規定として

(美術の著作物等の原作品の所有者による展示)

第四十五条 美術の著作物若しくは写真の著作物の原作品の所有者又はその同意を得た者は、これらの著作物をその原作品により公に展示することができる。

 前項の規定は、美術の著作物の原作品を街路、公園その他一般公衆に開放されている屋外の場所又は建造物の外壁その他一般公衆の見やすい屋外の場所に恒常的に設置する場合には、適用しない。

(公開の美術の著作物等の利用)

第四十六条 美術の著作物でその原作品が前条第二項に規定する屋外の場所に恒常的に設置されているもの又は建築の著作物は、次に掲げる場合を除き、いずれの方法によるかを問わず、利用することができる。

 彫刻を増製し、又はその増製物の譲渡により公衆に提供する場合

 建築の著作物を建築により複製し、又はその複製物の譲渡により公衆に提供する場合

 前条第二項に規定する屋外の場所に恒常的に設置するために複製する場合

 専ら美術の著作物の複製物の販売を目的として複製し、又はその複製物を販売する場合

、、があって,SNSでの公開は問題なさそうです

例えばこんな例が↓

 

これは閉店中のお花屋さんのディスプレイです.道路脇に展示されていることから,公共の場所で見られることを前提にしていると思われますので問題ないでしょう

著作権法上 利用が許されない場合であっても,付随的な写り込みに関しては法的に侵害に当たらないとされていますのでこのリンクにて確認してください(ざっくり言えば「メインテーマではないものが写り込んでしまった場合取り除くことが難しく,そのものの著作権を不当に害しないと思われるときは問題ない」ということです)

著作権的に大丈夫な場合でも個人の肖像権やパブリシティ権の観点からの規制は当然ありますが,特に肖像権はスナップ撮影の場合に大きな問題になります

権利を大きく解釈すると,人物を撮る写真は全てがその対象となり,公共の場所で撮るスナップ写真なども撮影時に(写っている全員に)許可を取る必要があることになります

これはこれで一つの解釈ではあり,争いを徹底的に避けるためにはここまでする必要があるでしょう.しかし,公共の場所に出ているということは赤の他人に見られることを想定しているわけですし,最近では各所にある監視カメラによって撮影され,その映像が本人の許可もなく使用されていることを暗黙のうちに受け入れていることになるともいえます

ですから,先ほどと逆方向の議論として「公共の場においては外見を見られ記録されることは想定内として受忍しなければならない」ということになります.私は基本的に後者の考え方に近いスタンスです.とはいえ,悪意を持って”決定的瞬間”を撮る者のことも考えなければいけません.また,カメラマンが単なる映像作品としてアップした写真も一度ネット上にアップされれば無差別に全世界に公開されることになってしまい,それををコピペして誹謗中傷やフェイクニュースをでっちあげる悪意の輩が出てくるとも限りません,というか最近はそういう輩に満ち溢れているようにさえみえます

悪意のコピペに関しては理論上著作権で対抗できますが,実際にコピペを防ぐのはかなり難しいでしょうから,やはり被写体の保護は肖像権によることになるでしょう.また,悪意を持って”決定的瞬間”を狙う者から被写体を守るためにも肖像権は必要です

悪意の犯罪者によって表現の自由が制限されるのは全くもって腹立たしいのですがしかたがありません

さらに,とくに不利益はないけれども「今ここにいるのを公表されるのが嫌」とか「単に写真を撮られるのは嫌」などの撮られる側の気持ちも尊重されなければなりません(この"気持ち"は政治や犯罪に関わる報道写真の場合ある程度無視されてもしかたがありませんが,,)

これらを総合的に,具体的にどう線引きするかを考えてみましょう

ひとつの指針として,デジタルアーカイブにおけるガイドラインがあります.これは法律ではありませんのであくまで業界の指針ではありますが,なかなか示唆に富んでいますのでご覧になってください

この中のポイント計算によれば

公共の場所において一般成人の私生活をスナップで撮影する場合,大写しでない限り+5点となり”公開OK"となります.ただし,被写体が16歳未満であるときは−15点となり公開範囲の限定かマスキングが必要とされます

また,「知人が見ても誰だか判別できない」のであればすべて公開可能としています

判断基準はなんでしょう?これも結構曖昧ですね〜〜

後ろ姿や手足の大写しであっても見る人が見ればわかってしまう場合もあります,というか同居の家族であればほとんど判っちゃうのではありませんか??

これなんかはいくら近親者でもダメでしょうからたぶんOKですね

ヒトではありませんがこれはどうでしょう

こんな格好してるのはこの人しかいませんので,知っていれば分かります.だめですね

では,,

この場合は,何の情報もなければ分かりませんが,撮影場所がわかると,知ってる人には「ははー,あの人だな」と判ってしまします

つまり,被写体の個性や付帯情報がどうであるかによって変ってくるのです

これも近くにある有名な像ですが,今は顔に注目してください

少しボケてますがどうでしょうか??本人特定できます?

目一杯拡大すると親しい人には判りそうでもあります

でもこれ以上ボケてしてしまうと表情が全く分からなくなります.主要テーマではなくとも,または小さくぼかされていても主要テーマな場合,ある程度表情が想像されて欲しいのがカメラマンの気持ちでしょう.であればこれくらいが限界と思います.こういった写真はNGですかね〜

難しいところです

 

結論として,私の私見IMHOは

1)16歳未満といかなくても子供を撮る場合には,事前事後を問わず必ず保護者に了承を取る.取れなければ諦める

2)一般に知られているほど特徴的でない限り,後ろ姿や体の一部が写っているだけならOKであるが,撮影場所や時刻など被写体を特定するかもしれない付随情報はつけない

3)顔は,拡大しても一般的な”人”(女,男,子供,オジサン,オバサン,老人などの類型)以上の情報を得られないような解像度であれば表情がある程度分かってもOK.この場合でも撮影場所や時刻などの付随情報はつけない

4)主要テーマ以外の写り込みに関しては,被写体の利益を不当に害することとなる場合以外は許される.この場合も可能であれば了承を取るのが無難でしょう

5)そうして写したとき相手が気づいた場合には最低限挨拶を.写真を見せるよう求められれば積極的に見せ,相手が削除を要求する場合は反論せず削除する

こんなところでしょうか.4)の写り込みに関しては,「付随的な写り込み」に関する著作権法30条の2の規定からの類推です

 

もちろん,これら権利を侵害しないと思われる場合であってもその対象に対して不用意に批判したり,ましてや誹謗中傷するなどは控えるべきことは当然です.気に入らないなら著作権法に則って正しく引用して批評するなり,被写体にどのようなスタンスで写真を使うかを説明し了承を得た上で批評すべきで,陰から野次るような卑怯なマネはするべきではありません

 

私の場合スナップ写真がメインテーマでもあるので,肖像権の問題は非常に辛いものがあります.以前は作品の公開といっても仲間内を大きく超えるものではなかったので,あからさまに誹謗中傷したり対象に不利益を与えるような写真を除き,わりと自由に撮ってみんなで批評(作品としての写真の)をし合っていたものでしたが,,,「SNSに上げる」ということは予想もしないことが起こりうる宇宙にその作品を投げ込むということです.慎重にならざるを得ないのは重々承知していますが,思うままの写真が撮れないような窮屈な気持ちになってしまうのを感じざるを得ません.写真に限らず所謂「文化的所産」なるものは世界に向かって発信することが喜びのひとつであるのですから,,,

プロのモデルさんとはいかなくても知り合いの方に納得ずくで写真を撮らせてもらうこともできますが,やっぱり「構え」や「設定」のないスナップのような情況で『その場の空気を瞬時に捉える』のが好きというか,写真の真髄のような気がする私です